大前提として
なぜか
自分に罪があると思っているから
意識的に・無意識に
ひとは、ひとを責める
ひとは、自分を責める。
自分の不幸や苦労、
がんばりを使って
ひとに罪を、償わせようとする
自分が罪を、償おうとする、
罪悪感の配達人になる。
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大前提として
自分に罪があると思うから、
意識的に・無意識に
なにかをされたときに
ひとは、責められたと感じる
ひとは、ばちが当たったんだと思ったり。
自分に起きるすべての出来事に
「罪」と「罰(責め)」と「償い(謝)」をつなげて
ひとは苦しむ。
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では
もし
あなたに、罪がないとしたら
あのひとにも、罪がないとしたら
そもそも「責め」も「自責」も
「許す」ことも「償う」こともない。
ただ、許されている
そもそも、許されている。
あなたにも
あのひとにも
罪は、ない。
だから
もう
自分のことを責めなくていい。
あなたも
もう
償わなくていい。
罪悪感は
必要ない。
罪悪感があるから
「こうするべき」
「こうされるべき」
「こういうことはするべきでない」
という縛りが、ルールが生まれ、
それを破るものが生まれる。
罪悪感と
それにつながる「責め」と「謝罪」と「許し」は
もう、いらない。
あなたに
罪は
ない。
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