■他人のお世話係 | 心屋仁之助オフィシャルブログ「心が風に、なる」Powered by Ameba

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見えないけれど、やさしく包んでくれる。
風のように、水のように、普通の幸せに気づける、
そんなお話をお届けしようと思います。

怒っている人を見ると

なんとかしないといけない、


困っている人を見ると

助けないといけない


AさんとBさんがケンカしている、

私がなんとかしないと


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と、「他人」なのに

心がざわざわして


居てもたってもいられなくなる。



えー


それ


「その人の問題」 です。



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「それ、私の問題だから」


と、


「だから、あなたは気にしないで」



「私がこれをできなくて

 悩んでいるのは、私の問題。


 私がパートナーのことで

 悩んでいるのは、私だから。


 あれこれ言わなくていいよ。」



つまり


「助けを求められていないのに

 助けに行ってしまう」


「問題だと言っていないのに、

 “これが問題じゃないの”と

 かかわりたくなる」



ことは


「関わりたい人の問題」


なのです。



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さて、ここまで僕が

活動させていただいて


色んなところで名前を

出していただいたり


色んな雑誌などに

寄稿させていただいたり


本が売れていったり

すると



評論家さん達が

わらわらと集まってきます。



僕は

困っている人のために

活動しているのであって


その人たちの心に

響けばいいと思っている。


なのに


「その表現は響かないと思う」


「抽象的すぎる」


「すべてには当てはまらないと思う」


などと、

当たり前のことを

お世話しに来る方がおられます。



限られた表現の中で

読みやすく

特定の人に向けてしか書きません。



だから

時には

「いい言葉をもっと使おう」と言います。


逆に

「もっと毒を吐こう」といいます。


時には

「やめてって言おう」と言います。


逆に

「すべて受け入れてみよう」ともいいます。



そして

どちらも、

どちらの言葉も必要な人がいるのです。



他人の評論

他人の分析


するということは

自分を見たくない時。


「べき」を発する時は

自分が拗ねて防御している時。



そう

他人の問題を

かまっている暇があったら


自分のこと

もっと見つめられるといいね。



だって

「お世話」するのは

「良かれと思って」

だと思うから。





こういう「べき」や

「これがおかしいと思う」って言うと


つまり

正論と、例外を言うことで

頭がいいと思われる、


「こう言うことも私は気づいたんだよ」

と、頭がいいんだということを

主張したい、


会議の時にも

そんなひと、必ずいます。


どーーーーでもいい

「こういう問題も考えられますが」と

会議の最後に、

どや顔で言う人。




はい


・・・・昔の

僕です<(_ _)>



ああ・・・    沈










ああ

こういうのが

くっついてくること自体


実は

光栄なことなんだでしょうね。