■事実に真実はない | 心屋仁之助オフィシャルブログ「心が風に、なる」Powered by Ameba

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見えないけれど、やさしく包んでくれる。
風のように、水のように、普通の幸せに気づける、
そんなお話をお届けしようと思います。

いぜんに、 「記憶は700%ウソだ」 という話を書きました。

僕たちの記憶していることは、「全部」ウソなので


そこにこだわって生きることは

自分のブレーキを踏み続けることなんだと。


そして、その「事実ではない記憶」に縛られるからこそ

同じような出来事を体験し続けるのです。


つまり「思い」が先、事実が後、ということですね。



縛られる、というより、

それを恨みに思って「自分で握りしめている」


被害者となり

復讐、仕返しを続ける戦いの人生を自分が選び続けている。


戦い続けたいだけ。

そのために加害者を作り続ける。


誰でも彼でも加害者に仕立てる。




だから、記憶を何度も何度も

「ひどい記憶に上書き」をし続けるうちに


忘れてはいけない、と上書き続けるうちに

どんどん誇張・拡大・ねつ造 してしまう。


あんなこと言った

こんなこと言った

あんなこと言われた

こんなことされた


さらに、

事実ではない出来事、

人から聞いたうわさだけで証拠固めをしていく。




そして、昨日のBeトレの最中に

さらに面白いことに気づきました。


記憶は700ウソ、


それに加えて

あらためてこれに気づきました。


それは



「目の前で見ているものも700%ウソ」



私たちは、目で見て、聞いて、触れて

いろんなものを日々体験しています。


そして、見たもの聞いたものが真実・事実だと思っています。



でも、

目の前の出来事を


10人が同時に見ていても

10人が同じ話を聞いていても

10人が同じものを食べていても


みんな「感じ方」は違うのです。



見たもの聞いたものに、

自分の思いと経験と価値観とその日の体調まで加えます。


それが「事実」ととらえるのです。



だから、常に悲観的な事実にとらえる人

だから、常に楽天的にとらえる人

だから、常に戦っている人

だから、常に感謝で生きている人、

だから、常にぼーっと生きてる人(笑)


では、物事のとらえ方が全然違う。



目で見ても、耳で聞いても、

その「性能」にも違いがある。




ということは




「目の前で見ているものも700%ウソ」


ということなのです。




つまり、僕たちは、

これが真実、これが正しい、ではなく


「これが真実、これが正しい、こう言った、ああ言った」



と思う


と感じる




それだけが真実なのかもしれません。







ずっと以前に



「問題製造の方程式」 という記事を書きました。


うん、わかりやすい話だ(笑)




事実に真実はない。

「思う」「感じる」


つまり



「私だけの真実、私だけの事実」


だけ。



その人にとっては

それが事実、それが真実なんですね。