■心屋の目的は、自動を手動に切り替えること | 心屋仁之助オフィシャルブログ「心が風に、なる」Powered by Ameba

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見えないけれど、やさしく包んでくれる。
風のように、水のように、普通の幸せに気づける、
そんなお話をお届けしようと思います。

おはようございます、心屋です。


一人の時は、色んな事に考えを巡らせます。

特に、自分の仕事の意義や生きている意味について。


そして、最近はっきりしてきたことは

僕の仕事の目的として、


来ていただいた方にぜひ持って帰ってほしいもの、

それはこのブログを読んでくださっている方にも同じなのですが


僕が一番伝えたいことの一つが


「自動を手動に変える」


ということです。


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お店に入ろうとすると、自動ドアが開く。


トイレに入ると、電動でフタが開く


出ようとすると、自動で水が流れる


時には、用を足しているときに電気が消えたりする(笑)




自動って、便利です。

考えなくていいし、手間がいらない。



でも、それが「すべて自動」だと困る。



新幹線のデッキの近くに人が立ってて

電話してると、しょっちゅう扉が開く、とか、


トイレ、今、流したいのに流れないとか。



これが、僕たちの心で起っているわけです。



心を開きたいのに開けないとか

前に進みたいのに扉が閉まるとか

仲良くしたいのに、嫌味を言ってしまうとか

優しくしたいのに起ってしまうとか。


どうにもならない「自動」反応が起こる。


思っていることと、行動がコントロールできない


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自動って言うのは、


センサーがあって、

そのセンサーに何かが触れると

プログラム、つまり決められたパターンが動く


というものです。


僕たちには

五官(見る聴く触れる感じる味わうなど)というセンサーかあり


そのセンサーが何かの情報をキャッチすると

プログラムが動き出す。


これが「おかしな自動」になっていると



優しくされると、逃げ出す

怒られると、萎縮する

人前に出ると、怖くなる


などの 好ましくない自動反応 が起こる。



ということは、この「自動」と、「反応するプログラム」を

「手動」に変えることができればいいわけです。


すると「自分で選べる」ようになる。


優しくされると、喜ぶ

怒られると、ちゃんと受け止める

人前に出ると、楽しめる


今は「選べないから苦しい」わけです。




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では、この「自動」はどうしてできたのか、ですよね。


自動は「習慣」と言いかえることもできます。



繰り返し繰り返しやったこと

繰り返し言われたこと、それが「習慣」となり「自動化」する。


たとえば自転車に乗るにしても、

「自動」だから、よそ見しながらでも乗れる。


これが「手動」だと、


毎回

「両手でハンドル持って」

「右足から」

「倒れないように」

「せーの」

「休まず漕ぐ、漕ぐ、漕ぐ」


とやらないといけない。


これは疲れる(笑)

だから、自動は便利です。




では、あなたの「困った自動」は、

いつから繰り返しているんだろう、ということです。



この「自分の自動プログラム」の中身を知らずに

プログラムを書き換えないで、手動にすることもできます。


それは

「自動ドアを力ずくで開ける」と言うやつですね(笑)


無理やり考え方を変えるとか

薬を飲むとか

無理にでも行動を変える、とかですね。


で、これも実はOKだったりします。


だって毎回、自動ドアを手でこじ開けたり

バールのようなものでこじ開けたり

電気を切ったりしてたら、そのうち壊れるでしょ(笑)


だから「好ましくない自動」を止めるには

「無理やり」っていうのも、案外効果があります。


つまり「行動から変える」ということもありです。



ただ、「動かないドア」 もあるのです。



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心屋塾では、

冒頭にお話ししたように


この「自動」を「手動」に変えるということを主にやっています。


自動的に逃げるプログラム

自動的に怖がるプログラム

自動的にネガティヴに変換する翻訳機


こういったもののプログラムの

中身を解析してバグを見つけて修正


していくのです。

ここに心屋独自の検査システムがあるわけです。



そして

この「バク」のことを「勘違い」といいます。


「事実とは違う認識」「思い込み」 というやつですね。




で、この「勘違い」という言葉を

「間違っている」とか「悪い」というふうに受け取る人もいます。



うん、それこそが 「正しい/悪い」 をジャッジ していることになります。



この「勘違い」というのは、


「その人にとって良い結果をもたらしているかそうでないか」


ということです。



しかもそれが

「事実でないものを、悪意として認識して思いこんでいる」 場合、

だいたい、ろくな結果を生みません。


「悪意の翻訳機」の言語チップになっています。



というのも「いい勘違い」「幸せな勘違い」もあるわけですから。



それがその人を幸せにしているなら

その勘違いは持ってた方がいい。


それがその人を苦しめているなら

書き変えればいい。



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鼻の穴の横に、ウンチがついていると

何の臭いをかいでも、臭い(笑)


同じく、鼻の横に香水がついてたら

何の臭いをかいでも、いい臭い。



つまり、心屋では


「鼻の横についてるウンチという勘違いをとろう」

ということです。


この「鼻の横のウンチ」のことを

「ない」と言います。


「私にはない」 これが、最大のウンチです。

最大の勘違いです


・もらってない

・奪われた

・愛されてない

・満たされていない


という勘違い。


「知らないだけ」 です。

「思いこんでいるだけ」 です。

「欲しい形と違っていた」 だけなのです。



ちゃんと「ある」のです。

ちゃんと「もらっている」のです。

だれも「奪っていない」のです。


でも「ない」と思ってしまった

それが「勘違い」の始まりなのです



だれがつけたか

自分でつけたか

なぜそう思い込んだか。


そいつを知って、取りましょう。



鼻の横のウンチ = 心の中のバグ = 「ない」という勘違い




心屋では、そんなことをやっているのです。