子供のころ、あんなことがあったから
あんなことされたから
してもらえなかったから
いま、私はこうなんだわ。
と、原因を過去に求めることもあると思います。
ここで大切なことは、それは、確かに原因かもしれない。
でも、実はそれは「一因」なのです。
「原因」とは、ひとつの「種」です。
「種」があるから、花も咲くし、実もなる。
でね、種だけじゃ、実は成らないのです。
種を、育つ環境において
水を上げて
日光に当てて
ときには肥料を
そして立派な実がなる、花が咲く。
あの人に、
こんなこと言われたから、
腹が立った。
ではないかもしれないのです。
あの人に
こんなこと言われた(原因)
腹が立った(結果)
ではないのです。
まず、遠い昔に、種が植えられた。(原因
いま目の前であの人がこんなこと言った。
これを、縁(えん) と言います。
そして、腹が立った。これが結果。
つまり、いくら、目の前であんなことやこんな嫌なことを言われても(縁
種がないと、腹が立ったという実は成らないということです。
目の前の人は、種を刺激しただけ。
あなたは、目の前の人に、種を刺激されただけ。
そして、腹が立つという実がなった。
実が成った時は
縁という、目の前の出来事を責めるのではなく
その前に、ずっと昔に種があるんだということ。
・自分の心のブレーキを見つけて外す 初級セミナー
・コミュニケーション改善の最終兵器 上級セミナー