おはようございます、心屋です。
テレビでは、東日本の大変な現状と、
福島の原発の様子が緊迫した状況で流れています。
特に、福島の原発の件では、
地震、そして津波 という 地 と 水 で状況が壊れ、
今は「水」によって冷却できないことが問題となっています。
皮肉なものです。
また、各地の津波の状況を見ていると、
水・海が、日本の各地を「飲み込み」、引いていった。
まるで、何かを取り返しに来たかのように。
そして、ひとは すべての モノを失ってしまった。命さえも。
この惨状によって、ひとは ある・あった ことに気づけたのかもしれない。
そして、あらためて「失う」ことの痛みと苦しみ、悲しみを味わっています。
僕も、いま京都まで 釜石から受講しに来ていただいてる方の
消息がつかめず、色んな方法で探していますが、
いまだに連絡がついていません。
苦しくて、悲しくて、涙が出ます・・・
なんで、奪って行くんだ、自然よ。
と思います。
でも、よく考えれば、僕たちが、自然のものを
自分のものとして所有し、利用し、消費し、
「持っているもの」として、無くしたくなくて、「所有」しようとしているのではないか、
それをいま、自然が取り返そうとしているのではないだろうか。
石油も
ウランも
木材も
コンクリートも
鉄も
生命も
実は、借りているだけのものかもしれません。
「地球を守る方法」 として
僕の友人がこんなことを書いていました。
http://ameblo.jp/nagarenomama/entry-10830614290.html
どこまで理解してもらえるかわかりませんが
僕は、なるほど、と思い、
そして上記のインスピレーションとして表現してみました。
ぜひ読んでみてくださいね。