おはようございます、心屋です。
心屋では、たまに企業の研修などもさせていただくことがあります。
また、前職でも数年間、社員研修にかかわっていました。
そして、いまカウンセリングや心理学のセミナーをさせていただいて
面白いことに気がつきました。
それは「だれが、どう見るか」ということで、
研修も、カウンセリングも中身が決まるということです。
-----------
例えば、人事の担当者から
「この人たちを研修してやって欲しい」
と言われて
「どんな状況なんですか」
と訊くと
「サービスがなってなくて、接客の心構えとか・・・」と
「悪いポイントを改善して欲しい」
「この人たちを何とかして欲しい」
といった、愚痴や批判のようなものをよく聞きます。
すると、研修をする側も、つい
「このひとたちは、ダメなんだ。サービスのなんたるかもわかっていない・・」
という「目」で研修を組み立て、いざ始めます。
が、「悪い」前提でやっているのに、
なにか話がピンと来てない。
「え? ふつうにそんなのやってますよ」
となることがあります。
実際、詳しくお話を伺ったり、
その人なりの思いや、取り組んでいることを伺うと
「すげー、なんか素晴らしいですね」
ということがあります。
---------
カウンセリングやセミナーでも同じ。
カウンセラーである僕が
「この人は、生き方や考え方、他にも何か問題を抱えている人なんだ」
つまり
「問題のある人」
だと思って「よし、自分が何とかしてやろう」というつもりで接すると、
おかしなことに、その方は「問題であり続けようとする」
つまり、こちらの「期待」に応えてくれたりします(笑)
----------
先ほどの人事担当者に、例えば
「じゃ、一緒に研修に参加してくださいね」 と提案すると
「いや、私は問題ないので、あの人たちだけ何とかしてください」 ときます。
だから、社員は参加しないでアルバイトだけとか、
社員は「監視役」とか、高見の見物で、出たり入ったりするようなことも。
もうお分かりいただけたと思いますが、
「どの人」が「どの目」つまり「どんな偏見」で見るかによって、
色んな物の見え方が変わってくるということです。
また、「偏見されている人」つまり、現場の方たちは、
「偏見されている」ことぐらいわかります。
「どうせ私たちのこと、ダメって思ってるんでしょ」
という思いや態度に出ますから、
大体ろくなことはない。
-----------
だから、カウンセラーや、研修講師、教育者といった人たちだけでなく、
すべての改善サービスを行う人たちは、
目の前の人を「問題のある人」として偏見して
「問題を見つけて改善する」のではなく、
目の前の人が本来持っている素晴らしさを引き出せるような
そんな仕事が出来ればいいなと思うのでした。
つまり、
「問題を問題と感じる人に問題がある」 ということですね。
-----------
以前の職場の研修をさせていただいた時、
依頼者であるトップの方からも同じような話を頂きました。
その時、僕は 「この仕事受けられなくても仕方ないなー」 と思いながら、
「実は○○さん(TOP)のものの見方が変わるだけで
問題が大きく変わるんですけど」
「だから、一人だけ受けていただければ、
基本的にはなにもしなくていいです」
「ま、もちろん仕事的には両方がいいですけど(^-^)」
と、僕はこの話をし、そのトップとナンバーツーの方に
僕のカウンセリングを受けていただけるのなら、
という前提で研修をお受けしました。
最初は 「ということは、あいつらが出来てないのは、俺が悪いというんか?! 」 と
抵抗されていたその方も、
研修が進む間葛藤されつつ、
この話を何度もさせていただいて、
最後には僕のカウンセリングを受けていただけました。
素晴らしく柔らかい思考をお持ちの方でした。
さらに、ナンバーツーの方におかれては、
その話をすると 「やってやって」 と、即断即決(^-^)
実際、数時間向かい合った上に
色んな自己開示までしていただけました。
「普通、立場上、色んな余計なプライドがあって
ここまで話していただけないんですけど
なんで、こんなにすんなり受けてくれたんですか」
と訊くと
「んー、だって、よくなりたいからねー」
脱帽でした。
---------
自分が変わるためには
変わりたいと思っている人は
まずは、自分を守っている殻を脱がないと、
なかなかできません。
・プライド
・あきらめ
・恐怖
・無関心
・平気(私は大丈夫
という殻です。
そして、提供側も
目の前の人を「問題のある人」として見るのではなく、
・素晴らしい人
・壁を乗り越え中の人
・何かを学んでいる最中の人
として、尊重していくことで
何かが、その人の中で、そして自分の中で変わり始めていくと思うのです。