少しずつ世の中が変わり始めていることを
からだの中でキャッチしている。
これから必要であろうことを
私は、今、やっている気がしてる。
今の状況にふさわしくないことを考え
先行して歩く。
なんとなく そんな感じ。
でも、きっと 今後必要になる。
自給自足って、
農作物を自分でつくり、食べる。
それだけのことを言っているのではなく
私の言う、自給自足って「自律・自立」のこと。
もっと、言うと
お金がなくても
自分を知って、自分の得意や強みと
誰かの得意や強みを
堂々と
物々交換していきましょうね、ということ。
繋がり合って、受け取りあい、与え合っていきましょうね、
ということ。
例えば、なんでも売り買いできる市場がある。
そこには、商品なるものはない。
あるのは、「人材」だけ。
そこでは、その人が その人の持つ価値を売る。
私は、じゃがいもと人参づくりが得意です!
お魚が欲しいです!交換してください、とか。
私は、ケーキがつくれます!
誰かに私の話を聴いて欲しいから
「話を聴いてくれる人」が欲しいです!
はいはい!!私、ケーキが欲しいです。
私は、話を聴くのが得意です。
それと交換してください!
などなど、市場では
物質や、物質じゃないものがやり取りされる。
必ずしも、欲しいニーズは
モノだけではなくて
物もあるし、物じゃない場合もある。
ただ、そばにいる、「寄り添う」という
存在そのものが とても大きな価値であり
チカラになったりもする。
そこには、人の持つぬくもりとか
エネルギーがもたらす強さがある。
市場があっても、「自分なんて…」とやっていたら
どんなに素晴らしいものを自分が持っていても
誰かに届けることができない。
実は、自分のやっていることは
他者から見たら、特別なことだったりする。
私は、文章を書くことが好きで
下手でも書く。
それは好きだから。
私にとっては、決して特別なことじゃないし
頑張って努力もしていない。
けれど、周囲からは「すごいね」と言われる。
「どうして書けるの?言語化できるの?」と言われても
はて?
となる。
そんなものなんだろうな、を思う。
自分が簡単にできることは
誰かにとっては特別なことになるのだろうな、と。
私にはできないことがいっぱいあって
だから、誰かに与えてもらっている。
受け取る、をしている。
そして、私も、誰かに与える、をしている。
自分が好きでやっていることを
ただ、表現している。
それは、どこかで 誰かに受け取ってもらえて
与える、になっているのだと思っている。
世の中って、こうして
どんな人にも その人だからこそがあって
素晴らしい。
私たちは、その自分自身を思い出していくことなんだと思う。
そして、それをつながりの中から
堂々と重なり合わせていく。
その技術(得意や強み)を
ただ、交換すればいい。
それが、私のこれから見ている自給自足の世界。
ひとりで立っているようだけれど
周囲に与えられ、受け取り、生きている。
まるで、それは
地上に美しく咲く一輪の花が
見えない土中の根っこで
たくさんの微生物に支えられ、養分をもらい
雨や陽射しをもらうことで美しく咲き誇っている。
それと同じ。
ひとりの人の存在は
多くのつながりでできているのと同じ。
だからつながりあっていく。
自分という存在の素晴らしさに 自分が気づくこと。
与えることで与えられる。
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5月20日から里塾がスタートします。
平日コースは満席となり締め切りました。
ありがとうございます!
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