私は、メンタルコーチとして仕事をしています。

 

でも、あまり「メンタルコーチです」と

表現したことはありません。

 

 

道見さんは、どんなお仕事をされているんですか?と

訊ねられたら、そう答える。

 

なぜならば、わかりやすいから。

 

 

「あぁ、メンタルを扱っている人なんだな。」と。

 

 

 

 

 

ある日のお昼ごはん。

 

 

冷蔵庫にあるもので、

盛り付けるお皿をちょっと意識して

箸置きと、器は、すべて私が作ったもの。

 

 

これだけで、何気ない ありきたりのおかずが

ちょっとお洒落に見えたりする。

すると、私のハートやからだが喜ぶ。

 

 

母が届けてくれた 

新物のクレソンのおひたしに、

れんこんと蕗の炊いたの、と

冷蔵庫にストックしてあった、ちぎった野菜にアボガドを乗せ、

それと、ポテトサラダ。

 

 

 

ちょっと意識をして、自分が見て、食べて嬉しいな、を

つくります。

私は、こんな時間が好きで

手をかけます。

 

 

 

 

昨日は、我が家の小さな畑に野菜の苗を植え

種まきをしました。

 

 

 

 

青しそ、トマト、ピーマン、セロリ、レタスに

にんじん、白カブに、パクチーの種撒き。

 

 

裸足で畑に入り、

あちこち裸足で歩き回る。

アスファルトの上を裸足で歩くのも

なかなか新鮮な感覚でとてもいい。

 

 

 

 

 

裏のおじいちゃんが

昨年秋に撒いた越冬ものの”ほうれん草”を

おすそ分けしてくれました。

 

 

 

 

 

葉っぱは、植えたレタスの外側を収穫してきた。

 

 

 

 

メンタルを扱う仕事は目に見えません。

見えている部分にお金をかけることはできても

なかなか見えない部分に

お金をかけることは、未だ理解してもらえないこともあります。

 

 

 

私は日々様々なことをやっているけれど
そのすべての原点にあるのは

 

 


「暮らし」

 

 


なんのために仕事をしているの?
なんのためにこの活動をしているの?
そのすべては
暮らしの豊さから始まっている。




どんなに立派なことをやっていたって
どんなにお金を稼いでいたって
日常の暮らしに穏やかさや心地よさ
ともに笑顔にあれる
安心なやすらぎがなければ
それは幸せとは言えないんじゃないだろうか?を
思うから。
 

 

 

 

今日は、高校生の息子とピザをつくりました。

 

 

昨夜、「ピザが食べたいな。」と言ってたことを思い出し

朝から生地を仕込みました。

 

 

 

 

子どもたちが小さな頃から

粘土遊びをするように

一緒にピザをつくったり、パンをつくりました。

 

 

 

それぞれが大きくなり

スマホを持ち、自分の時間を過ごします。

一緒に作業することも

会話をする時間も減りました。

 

 

 

 

 

ちょうど生地が練り上がったところに

息子が起きてきて

 

「ピザ?」とひとこと。

 

 

そうだよ、昨日 食べたいって言ってたもんね、と私。

 

 

私の心の中では、

自分から作るって言うのかな?

それとも、スマホを見て、食べるだけなのかな?

彼はどうするのかな?

と、心の中で思いつつ、黙っていました。

 

 

 

すると、顔を洗って、着替えをして

自分の布団を外へ干しに行って

ピザを作っている私の目の前に座り

自分のピザ作りを始めました。

 

 

 

 

 

 

 

私は、私の好きなように自分のピザをつくる。

 

 

 

 

 

 

息子も、自分の好きなように つくる。

 

幼い頃と、あまり変わらない仕上がりに

クスッとなりました。

 

 

 

 

 

 

丸いパンの中には、具を全部入れたらしい。

 

 

 

 

 

 

多くは語らないけれど

小さな頃から一緒にやってきたことは

オトナになってくると

面倒がってやらなくなることがたくさん見えてきます。

 

 

え?どうしたの?あの時のあの純粋さは、どこ行ったの?

なんて、思ってしまうような時も、

今は見えないけれど

ちゃんとからだの奥にはあるのだろうな、を思います。

 

 

 

その子を感じ取れる感性を養うこと

見えないものを見ようとするチカラを

大人が日々の暮らしの中ですることなのかな、を感じます。

 

 

 

 

暮らしの中に、小さな幸せと喜びを見つける。

 

 

 

私の仕事は、日常を題材に

取り組んでいます。

 

 

 

暮らしを、心地いいものにしたいから

そこにフォーカスをしていきます。

 

 

 

 

いくつになって純粋な気持ちと

ゆったりゆるむ環境

本当の私であれること

 

「特別じゃないもの」が「特別」

 

前に進む”原動力”になるのだろうな

と感じています。