昨年、5月 

里塾には、私の母が参加してくれました。

 

 

母は、現在76歳

娘のような世代の人たちの中に混じり

7ヶ月間を受講してくれました。

 

 

はじめは、とても躊躇していました。

普段なかなか関わらない若い世代の中に

70歳を越えた自分がいることで

様々な気持ちがうごめいていたと話してくれます。

 

 

 

 

実は、母は、昨年1月 癌であることを宣告されました。

 

 

 

娘の私は、それを聴き、ショックでもありました。

悲しみや切なさ、怖さを感じながら

 

ここからどう生きていこうか

 

どう母の人生に彩りを与えることが

私にできるだろうか、を問い続けました。

 

 

 

私は、いつも「今を生きる」ということを

大切にしています。

 

 

今が未来を創っている、と考えています。

 

 

 

今の積み重ねが未来になる。

 

 

今の数秒前はすでに過去。

今の数秒後は未来。

 

 

 

今、どうしようか。

 

 

今、何を選ぼうか。

 

 

今、どうしたら心地よくいられるだろうか。

 

 

 

今、私の身体は何を求め、どんな声を発しているだろうか?

何を望んでいるだろうか?

そう、いつも自分の内側と対話をしています。

そして、それを、行動に変えることをしています。

 

 

 

癌を宣告された母に、私ができることは何があるだろうか?

 

 

 

母とは離れて暮らしています。

一人暮らしをする母と一緒に暮らすことがよいだろうか?

私が母の元へ行く?

子どもたちの通学はどうなるかな?

 

母は、何を望むかな?

どうだったら母は自分の心地いいを大切にできるだろうか?

 

様々な側面から考え、母に伝えていきました。

 

 

 

「別々に暮らすことが 今はいい。

それは、お母さんが今はひとりで何でもできるから。

お母さんの望みは、

いつも行く生協へ自分の足で買い物に行くことなの。

それができることが幸せ。」

 

 

 

そう言ってくれた母でした。

 

 

 

 

とは言えども、やはり1人になると

宣告された人の気持ちは揺れます。

身辺整理を毎日始めた母、

お母さんが死んだあと、あなたたちの手を煩わせたくないから、と

毎日、毎日、家の中を片付けます。

不要なモノを捨てていきます。

それを毎日繰り返していきます。

 

 

目的は、「死んだあと迷惑をかけたくないから。」

 

 

 

なんだか、切なく苦しい作業です。

 

 

 

 

親ならば、現実、たしかにそう思うかもしれません。

 

 

 

けれど、私は、死ぬことを前提に日々を過ごすよりも

喜びで日々を過ごして欲しいと思いました。

 

 

 

 

誰しもが、みんな死を迎えます。

それは、いつやってくるかわかりません。

そうか、みんないつかは死ぬんだ、

それは決まっている。

ということは、その日が来るまで

限られた時間を

 

どう生きようか、

 

ここにシフトをしたい、

それを母に贈りたい、と思いました。

 

 

 

母が、母の人生をゆっくりと見つめる時間。

 

 

自分の中を癒やし、寄り添っていく時間。

 

 

 

里塾という、7ヶ月間を母への母の日のギフトとしました。

 

 

 

 

 

母の中にある苦しみ、寂しさ、怖さに

対峙するのは

正直苦しかった。

娘という立場から離れ、場をつくる者として

また、ひとりの人として向き合う時間は

私の中が大きく揺れ、

自分の技量や、器を試されていくものでもありました。

 

 

 

いのちに向き合う。

 

 

 

それは、それは簡単なものではなかった。

 

 

 

母の話を聴きながら

幼い頃が蘇ったり

私の知らなかったことが視えてきたり

母が歩いてきた時間を

一緒に伴走する、

そんな時間でした。

 

 

 

人に寄り添うって何なのだろう?

 

 

人を大切にするって何なのだろう?

 

 

 

自分が自分をあるがまま受け入れていくことは

とても難しいことでもあるけれど、

ゆっくりと、自分に寄り添い

ともに受け入れていくことで

沈んでいたものがゆっくりと浮かんできます。

 

 

 

できなかったことへのごめんね、もある。

 

 

今ここに自分がいることへの、ありがとう、もある。

 

 

 

どんなことがあっても

自分を護り、生きてきた自分がここにいる。

いつくもの出来事を乗り越え

ここにいる自分がいる。

 

 

 

それって、凄いことだなぁと思うのです。

 

 

 

 

いのちが生まれ、誰かの手によって育まれ

だからこそ、私たちはここにいます。

 

 

 

 

里塾で過ごす時間の中で

母はどんどん変化をしていきました。

 

 

 

7ヶ月を終える頃、

母には友達、仲間ができていました。

 

 

 

娘のような世代の仲間です。

 

 

 

 

 

今尚、その関係は続いていて

私がいなくても、一人暮らしの母の元へ

遊びに行ってくれる人たちがいます。

 

 

 

里塾でしていることは

 

 

自分が自分の人生を肯定していくことです。

 

 

 

どんな人生も、

どんな生き方も、

どれも間違いじゃない。

 

 

 

どんな人にも願いがあり、望みがあります。

 

 

 

それが得られないから、怒りが湧いたり、争いが生じたりします。

誰かを責めたい訳じゃない、

自分を責め、苦しませたい訳じゃない、

 

 

苦しみや、出来事は

本当の自分の望みや、

本当の自分を生きたい!という合図なのだと感じています。

 

 

 

 

穏やかな日々や、時間は

自分の中に創ります。

 

 

静かなる時間と呼吸

 

 

坐禅や、瞑想は 自分の中にある優しさに出会うため、と

以前、僧侶の方にお聴きしたことがあります。

 

 

 

里塾では、内なる声を聴き、

自らの中に「安心」を創ります。

 

 

 

世の中が大きく揺れる2020年

外側に意識が向くと、自身も揺れます。

外側の情報や、目にするものに揺れ続け

自分がいなくなってしまいます。

 

 

 

 

ではなく、

自らの中に 安心を創る。

 

 

 

不安定な中に安定をつくる。

 

 

 

それが、宇宙でもあり

常に変化し続けている時に

変化対応していける自分なのだと感じています。

 

 

 

人の意識の進化は、地球の意識進化と同じように動いている。

 

 

 

次の世代に渡していく地球を

今よりも美しいものであるために

ともに創っていけたら嬉しく感じています。

 

 

 

里塾でお会いできるみなさま

 

楽しみにお待ちしています。

 

 

 

ineite(イネイト)道見里美

 

 

 

ineite イネイトとは

内なる自然、大いなる叡智

すべては自分の中にある。

自分のことは自分で治せる。自然治癒力

 

 

 

里塾の詳細、お申込みは下記より