先日、私の憧れるセミナー講師の方に
「さとちゃんは、
心のヌードマネジメント ってイメージね。
それを自分でされている。
自分をさらけ出して生きているのよね。
さとちゃんのように生きたい、と憧れる人達が
たくさん寄って来ていると思うわ。」
と、言われました。
初めて言われた言葉に
一瞬、うわぁ!と恥ずかしいような、照れてしまうような
くすぐったい感覚。
でも、とてもしっくりくる感もありました。
自分のことって、なかなか自分ではわかりませんが、
自分をどう表現していこうか、は
実際目的を持ってやっていることなので
見えているつもり。
ただ、外側から見た時に
あぁ…なるほど、そんな風に捉えられるんだ、は
とても新鮮な発見があります。
嬉しいことです。
わたしの日常にカメラマンさんに入ってもらう。
こんなシーンを収めるのも
とても勇気のいること。
多くの人に私生活をさらけ出す訳ですから、
わざわざ、
しなくてもよいことでもあると思うのですよね、
あぁ、もっとちゃんと片付けておけばよかった、とか
客観的に見ると、気になるところもあったりで
隠しておきたくなる部分があることにも気づきます。
でも、「やる」を選ぶ。
写真を見た、娘が言います。
ママのこういう部分を見たい人いっぱいいるだろうなと思う。
どうやって暮らしているんだろう?
忙しそうに毎日やっているみたいだけど、
家庭はどうなんだろう?
仕事人と、お母さん業、どうやっているんだろう?とか、
この人の日常って、どんな風なんだろう?って
興味あると思う。
知りたいと思うかもね〜、って。
人の心理的に、見えない部分を見たくなるってありますよね、
知りたくなる、というか。
私自身にしても、
自分をバーーーンと開いて生きている人に
ものすごく惹かれます。
魅力を感じます。
生々しく語られるストーリーや
心の動きがとても美しいと思える。
自分を包み隠さず表現しようとする言葉に
その人自身を感じることができます。
心って、繊細に折り重なるように動き
いくつものパーツが自分のなかに現れる。
たった1人の私、なんだけれど
中には、1人じゃなくて
いろんな顔を持つ私が存在するんだなぁを思います。
そのどれもが、大切な自分であり
どれひとつとて悪いものはない。
怠けたいな…と感じる自分がいたり
今日はものすごく動きたい!自分がいたり
やさぐれるような自分
ハートが優しさで溢れる自分がいたり
誰かと抱き合いたい♡くらいにホットな自分と
いろんな気持ちがあります。
その全部が、ほんといいなぁ、を思うのですね。
こうじゃなければいけない。
こうあらねばならない。
こうあるべき。
わたしは、どうしてもこれ↑が苦手。
べきって、なんじゃ?
ねばならない、ってなんじゃ?
と、反応してしまうのです。
こうあらねばとか、べきとか、は本人が好きでやる分にはいいけれど
他人に向かって使うのは
強要でしかない、と感じてしまうのです。
ねば、とか、べき、を伝えたくなる
その奥に、なにを大切にしたくて
そうしようと思っているのかを教えて欲しいなぁ、を
いつも感じます。
言っている本人もきっとそこに気づかず言われているのだろうから
私の仕事は、そこを見つけ
そこに触れていく、のが仕事。
表現している言葉や行為の奥に
大切にしたい気持ちがあるんですよね。
その人なりの願いがある。
欲しかったもの、望んでいるものがある。
どんな人にもある。
それを得られなくて、怒りや悲しみと言った
感情が湧くわけですから、
この仕組がわかれば、とてもラクになる。
自分の感情を扱えるようになりますよね。
私の開催する講座、
ママサポ講座や、魔法のランプ、里塾では
すべてここに触れていきます。
ご自分の日常で使ってもらえるように
学んでいきます。
学びって、日常で使えないと
なんにもならないのでね。
不思議とパートナーシップが良好になっていくのが
私の講座の面白いところです。
自然に愛される女性になっちゃうんだなぁ…。
講座のネーミング変えちゃおうかと思うほどです。笑