私の仕事は

 

その人のなかにある輝きにふれること。

 

 

私の目の前にいるひとは

とても魅力的なのに

 

その人自身は、

 

自分の美しさに気づいていない。

 

 

いや、きっと、時々 気づいているはず。

 

 

あれ?

 

もしかして、私って…

 

と、よぎるはずなのに、スルーしちゃうのかもしれない。

 

 

「そんな訳ないし…」って。

 

 

 

誰か輝く人をみて、あの人のようになりたい、と憧れる。

 

 

 

それは、その人そのものになりたいんじゃなくて

 

 

その人が、自分を楽しんで、喜んで生きている

 

その姿に憧れるのだと思う。

 

 

 

私もそう生きたい!!

 

 

 

自分の周りを見て欲しい。

 

 

 

あの時と、今、を比べて

自分の周りにどんな人がいる?

何か変わってない?

 

 

イキイキ生きてる人が多い?

 

悲観的になって、誰かの悪口とか言ってる人が多い?

 

 

 

どこの場所にいるのか、自分で決められるんだ。

 

 

 

どんな人たちと関わっていきたいのか

自分で決められるんだ。

 

 

 

何度、話してもどうしてもしっくりいかなかった人がいる。

 

 

どうしてだろう?と考えた。

 

 

それは、自分を開いていなかったからだなぁと思った。

 

 

 

 

今、私の周りには自分を表現し

どんな自分をも愛していこう、愛する、と決め

自分の中の愛と優しさから

生きている人たちがたくさんいる。

 

 

そこにある葛藤も見せてくれる

 

悲しみや、切なさも、見せてくれる。

 

そして、それをまるごと抱えて

喜んで生きていこう、とする人たちばかり。

 

 

 

 

 

その人の痛みは、その人にしかわからないんだ。

 

どんなに聴いても

私には、その痛みは体験できない。

 

だから、

 

もっと、こうすればよかったよね、とか

 

わかるよ、それ、同じ体験した、なんて

言えるようなことじゃないと思うんだ。

 

 

わかったふりするなよ。

 

 

そう言いたくなる。

 

 

知識で片付けるなよ。

 

 

そう言いたくなる。

 

 

 

私たちは、様々な体験を通し、感じ味わって生きている。

 

 

時に辛いこともあるし、悲しいことだってある。

 

 

逃げたくもなるし、蓋もしたくなることだってある。

 

 

 

けど、生きてんだよね。

心をいっぱい動かして。

 

 

 

悲しくたって、お腹がすいて、

たくさん泣いて、もうダメだ、ってなっても

「あなたが好きだよ」って言ってくれる人がいて

 

 

 

悲しくて、辛くても

いつもずっと側にいて、自分を諦めなかった

”じぶん”という命の存在がいてくれた。

 

 

 

 

どんな体験も

 

自分という存在の素晴らしさに気づかせてくれるために

起こっているんだなぁに気付かされます。

 

 

 

自分を粗末に扱ってたら、そう扱われるし、

 

自分を自分が愛せてないから

「私を愛して〜〜」ってやってるし、

 

あぁ、私もやってきたなぁ…を実感します。

 

 

 

自分が自分を扱うように

外側はその自分を見せてくれる。

 

 

 

外側を見ていたら、自分のことがよくわかるよ。

 

 

 

起こった事柄をどう対処するのか

その相手や、事から

自分の内側の感情がどう動き、言葉を出しているのか

その時に、自分のことが

よく見えてくるよ。

 

 

 

 

相手をジャッジするって、結局自分のことを責めているからね。

 

 

 

え?私ってダメなの?

ほんとうにそうなの?

 

 

 

健康的な疑いをいつも投げかけています。

 

 

 

愛から動いている人たちを見ながら

あぁ、私もおんなじだ〜〜を想います。

 

 

 

 

世の中っておもしろい。

 

そして、美しい。