数年前。
  
「一緒にいてストレスになったよ。
キミの関わり方に問題があるよ」と言われたことがある。
  
  
子育てについてだった。
息子との関わり。
  
  
伝えてくれた人は 愛を持って伝えてくれた
これからどう関わるかが大切なんだよと言ってくれた。
  
  
でも、でも
その時の私には すべてをそれで受け取れる器は
持ち合わせていなかった。
  
  
「私の子育ての仕方が悪かったんだ」
  
  
ただただ、自分を責めた。
今まで息子と過してきた時間
私は何をやってきたんだろう…と
自分を責めた。
  
  
そして、息子も責めた。
  
  
息子は人前でとてもシャイ。
家族といるときは ひょうきんで頑固。
「僕のことなんだから、ママは口を出さないで。
僕のことは僕で決めるんだから。」と言う。
  
  
幼稚園児のころ
幼い彼相手にケンカしたことがあった
  
  
「でていけー」と言うと
ほんとに出て行っちゃうタイプ。
  
  
で、帰ってこない。
探しに行き、見つけて、
「車に乗って!」と言っても
  
「ママが出て行け!って言ったんでしょ、」と乗ってくれない。
  
  
困ったなぁ…なんて強い子なんだろうと思ったこともあった。
  
  
  
言葉を話すこと、理解すること
ここが周りの子と比べると
とてもゆっくりしていた。
2番目の子だったから
私も この子なりのペースがあるから、と
ゆっくり構えて、彼を見ていた。
  
  
  
小学生になり 自分のことは自分でできるようになった。
でも、やはり人の前では自分を主張することはしない。
  
  
そんなとき
親から離れた時間の中で
息子と共に数日過してくれた方からの
「問題だよ」との言葉。
  
  
心がガラガラと崩れた。
自分を責め、息子を責めた私。
  
  
  
今、思うと なんてことをしたんだろうと
胸が痛む。
  
  
  
息子や私は、本当に問題だったんだろうか?
問題だと捉えたのは相手方の方で
私がそれを問題と捉えることだったのだろうか?
  
  
知らなかっただけ
できなかっただけ
  
  
それだけだったんじゃないだろうか?
  
  
  
そして、私は息子の今をちゃんと見て
認めていただろうか。
そんなことを思った。
  
  
なぜ、言い返せなかったんだろう。
その自分が悔しかった。
  
  
私は息子をちゃんと見てきた。
息子のその時と ちゃんと関わってきた。
泣いて笑って
彼のいいところも、そうじゃないところも
ちゃんと見てきた。
一緒に生きてきた。
それだけで よかった。
なぜ、そう言えなかったんだろう。

息子を私は信じてる。
この子は素晴らしい子だって

なぜ言えなかったんだろう。
その自分が悔しかった。
  
  
  
できること、できないことある。
ひとりひとりみんな違うのに
違っていいはずなのに
私はそれを大切にしてやってきたはずなのに
 
言えなかったんだよね…
  
  
悔しかったなぁ…
  
  
今、小学5年生。
きっと、幼さもたくさんあると思う。
でも、今なら 彼のことを
私は自信をもって、
  

「この子は優しさのある素晴らしい子です!」って言える。
  
   
 
自分を主張することは控えめだけど
ひとつのことをやり遂げること
人へ対しての優しさや思いやりを
たくさん持ってる。
  
   
  
最近、息子に会ってくれた方に
   
  
私が息子のことを
「シャイだから、自分のことあまり話さないかも」と伝えたら
  
  
 
「いや、彼はちゃんと見てるよ。
いろんなことをしっかり見てる。
わかっているはずだよ。」と言ってくれた。
  
  
 
とっても嬉しかった言葉だった。
  
  
  
私の中に ずっと
「彼はストレスになったよ」と言葉が抜けない私がいた。
  
  
  
でも、その言葉のおかげで
いくつもの息子の素晴らしさに気がつかせてもらえた。
私自身に気づかせてもらった。
  
  
見えないことの大切さ
自分の価値観で捉えないこと
ジャッジをしない視点
待つということ
  
  
 
他人がどう思うかより
私がどう思うか。
  
  
  
私が私に自信を持つこと。
私が私の子育てや生き方に
ブレない自信を持つこと。
  
  
それを教えてもらったんだなって思う。
  
  
息子には息子の輝きがある
娘には娘の輝きがある
  
  
同じ私から生まれた子ども達だけど
ひとりひとり違う。
  
  
  
あなたたちなりの生き方で
あなたたちなりの喜びで
これからも生きていってほしいと
ママは願っています。
   
   
言葉は人を励まし勇気づけることもできる
時に 刃物のようにするどくもなる
  

ひとりの大人として
子ども達の向こう側にあるものを
感じとれる私で
言葉を大切に使える私でいたいと思います。