こんばんわ!
心理カウンセラーの心の欧米家です。
先日、人の「今」の幸せの裏には日々のコツコツがあるんだよー、みたいな記事を書いたのですが、実は書きながら少し違和感でした。
(その記事はこちら「■幸せは1日にして成らず」
なぜなら、心屋では
「楽しい事、やりたい事にフォーカスしよう!」
と言っているので、コツコツ努力するって、それと逆な気がしたからです。
でも、昨日の夜友達とメールのやり取りをしていて、いやいや、コツコツの必要性も論理的に説明つくやん!と気が付いたので、備忘録のためにも残したいと思います。
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心屋の提唱する通り
「楽しい事、やりたい事をして、楽しくない事、やりたくない事はやらなくていいよー」
という基本的な考え方のスタンスは同じです。でも、コツコツ努力する人は、その目の前の努力の先が大事なので、コツコツにはフォーカスしていないんだと思います。
例えば、「歌手になりたい!」がやりたい事だとします。
そしたらコツコツボイストレーニングに通うとか、体作りのためにジムに通うとか、音感鍛えるためにピアノのレッスンを受けるとか、表現を豊かにするためにお芝居のクラスを取るとか、そういった全ての事が「歌手になるため」の努力です。
で、ポイントは、↑の全てが「歌手になるため」のもの、と本人が信じてるという事。
歌手になれるのは数年後かもしれませんが、「↑の全てをしっかりやっていれば必ず歌手になれる」とわかってたら、それらの努力は苦しいものでしょうか?
(※ここではオーディション受かる倍率が、とかビジュアルも大事、とかそういう細かい要素は省きます)
「仕事は好きな事ばかりじゃないから、嫌いな事も楽しもう!」みたいな表面的なポジティブ思考ではなく、↑これらのコツコツは、やってれば歌手になれるのであれば苦しいものではなく、きっと楽しいものですよね。
だから結果、コツコツも含めて「楽しい事」となるのです。
もう一つ例えると、「フェラーリを自分のお金で買って乗り回したい」が「やりたい事」だったとします。
もしきちんとそういう目標があるなら、たとえマクドナルドのバイトであろうと、鳥貴族で串刺しする仕事であろうと、その手段が「フェラーリに繋がる」ものであれば楽しんでできるはず。だって、毎回スマイルで接客するたびに、毎回串に鶏肉を刺すたびに、夢のフェラーリが少しずつ自分に近付いて来るなら、そんな楽しいお仕事ないですよね。
「楽しい事しましょう!」と言われると、人って努力とか苦労とかするものを全て避けたりしがちで、例えば「英語が話せる様になりたい」「けれど、コツコツ努力はいや」なのであれば、きっとその「英語が話せる様になりたい」という理由自体があまり自分にとってワクワクするものではないのかもしれませんね。
少し未来にある「楽しい事」や「やりたい事」を実現する際は、きっと周りの人が「あんなに頑張って、すごいねー」と思う事でさえも、努力と思わず自然と楽しんでできていると思うのです。
そう思うと、本人にとってコツコツは苦労ではなく、夢へ繋がる楽しい作業の一つなんですね。
目の前に「好きな事、楽しい事が見つからない」と思ってる方は、未来の「なりたい姿」を描いてやってみるのもオススメかも。
私もコツコツ生活、始めてます。
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