私は普段は、政治や宗教などのブログは書きません。でも今回は、どうしても文字にしておきたかったので書きます。興味のない方はスルーしてください。




先日、友人である『お手紙屋さん』が主催した講演会に行ってきました。彼が言うには、おそらく日本で1番救いのない境遇にある人に話をしてもらうとのことでした。

話を聞いてる中で、きっと当事者にしかわからない苦悩や辛さ、そして、平和だった幸せな時間を想像しました。私は、彼女がいままで経験してきたことについて気軽に文字にしていいのかは悩みました。
でも、きっと1人でも多くの人に知ってもらうことが、必要なんだと感じたので、書くことにしました。



ここに書くことは、オウム真理教 麻原彰晃の三女 アーチャリーではなく
松本麗華さんといういち女性の話を聞き
彼女の執筆した著書『止まった時計』を読んで感じたことを書きます。


小柄で華奢な、でも背筋のピンとのびた姿。可愛らしくて、声が震えていて緊張しているのが伝わってきました。
そんな彼女は
ただ、ただ、お父さんのことが大好きで、家族のことが大切で、自分の周りにいる人を思いやる
普通の同世代の女性でした。
むしろ、こういう言い方は失礼かもしれないけど、世の中を見ていなかった時期があったからか、純粋な印象を受けました。



私は彼女の1つ上で、当時10代前半。
テレビでオウム真理教が関わってるであろう事件をみて、はっきり言ってあまり彼女のお父さんが関わってるという印象はありませんでした。モジャモジャの髪の毛に、その髪の毛に埋もれてしまいそうな目が印象的だったのを覚えています。
子供ながらに、テレビをつければ四六時中そのことで嫌になり、テレビをつけなかった記憶があります。


彼女の口から出る『お父さん』は
どこにでもいるお父さんで、ちょっとお茶目で、優しくて、思いやりのある 1人の人でした。
蚊すら殺せないような彼女が、どんな教えを受けてきたのか。親の顔が見てみたいとよく言いますが、親がどう教えてたのか、彼女を見ればわかります。


世間一般の人が知る彼女のお父さんは
マスコミや警察が作り上げた『極悪人』
結局、この事件は誰かを犯人に仕立て上げて、無理やり責任を取らせたいんだなと。
そうでないと警察のメンツがたたないから。
そうすれば世間が納得するだろうと
そういったものが見え隠れしています。
日本は、トップに責任をとらせればそれでいいだろうという風潮があるように感じています。



彼女たち兄弟は未だに、関わりたくもないオウム真理教の後にできた2つの団体に勝手に利用され苦しめられ
何かあれば警察に呼び出され、証拠を捏造され、尋問をされ、自分はやっていないのに何度も何度も追い詰められると自分がやったように洗脳されてしまう
生活を四六時中監視され、それは到底私たちには想像もつかないストレスの中で
周りの人たちに支えられてなんとか生きている。

死にたいと思ってしまうのは、彼女の環境を考えれば当たり前なのかもしれない。



でも、彼女に会って話を聞いて
彼女には生きて幸せになってほしいと素直に思いました。

1番印象に残ったのは
『被害者や被害者家族に悪いと思わないのか、謝罪はないのか』と言われることがよくあると。それに対して、彼女は『私たち家族や信者の9割は、事件の実行について全く知らなかった。こう言う言い方は無責任かもしれないが、知らなかったことにどう謝ればいいのかわからなくて、謝って世間が納得するのかと考えると、そうではないと感じる。形だけの謝罪をして、果たしてそれが謝罪となるのか。世の中は納得するのか。。。
昨日まで普通の生活をしてきたのに、突然被害者と加害者となるこの世の中で
。。。未だに答えが出ません。』

『父は代表として、むしろしっかりしていなくて、信者たちの間で何か問題が起きた時も、困ったなぁ〜どうしようかなぁ〜と言うだけだった。』→端々に出てくる日々の話を聞いていると、穏やかで、ちょっとぼんやりした、争いごとを望まないようなイメージでした。

『人間は必ずしも自分が見ているような人ではないこともある。でも、自分にとってはその人の見える部分が全て』



帰りの電車の中で半分本を読み、帰宅してから全部読んだ中で
彼女の言ってることに納得しました。


私たちは、彼女のお父さんのことをどれだけ知っているのだろう?彼女が知っているお父さんは偽りなのだろうか?蚊にも命がある、周りの一人一人を大切にしなさい、と言うお父さんは。。。


私は、彼女たちの家族が利用され犠牲にされているとしか思えなくなってしまいました。それはおそらく、当時マスコミと警察に作られたニュースをあまり見なかったからだと思います。
だから彼女の話を聞いてみたいと思いました。


彼女から見た真実と、被害者から見た真実が
異なっていたとしても
それはどちらも真実だと、私は思うんです。
そこに、第三者の真実は真実には含まれない。当事者にしかわからない真実がある。


そして今、彼女はお父さんの治療を望んでいます。心神喪失状態で、7人もの精神科医がそう診断しているのに、警察検察は認めず『詐病』だと言い張っています。
適切な治療を受けて、お父さんに真実を語ってほしいと、切に願っています。もし私が彼女の立場なら、同じことを考えるでしょう。真実を知りたいと。

そして逮捕されている他の人たちにも何度と面会に行っている彼女、中には面会できない人もいるそうです。それは、本人の意思ではなく、刑務所側から面会させられないと言われていると。
私たちが見えないところで、暴力を受けたあともあると書籍には書いてあります。おそらく面会させられない人物は、暴力を振るわれたばかりだったり、尊師の命令だったと言えば死刑から無期懲役にしてやると脅され拷問を受け、耐えきれなくて相手の思うがままに言葉にしてしまう人もいる。彼女は、もし自分ならそう言ってしまうかもしれないとも書いていました。
それが日本の警察なのか。。。ドラマの中の話だけだと思っていました。。。
もし自分の家族や、小さい頃からお世話になってきた人が、そんなことをされていたら どうでしょうか。逃げ場のない牢獄の中で。そう想像するだけで喉の奥がぎゅぅっと苦しくなりました。



言葉にするのは簡単かもしれません、こういうことを書けば『被害者や被害者家族のことを考えてるのか』と言われるでしょう。
でも、彼女たちのことを考えたことはあるのでしょうか。加害者家族は、世の中からの被害者ではないのでしょうか。不特定多数の言葉や文字の暴力からの被害者だと、私は思います。プライバシーまでもが晒される。どこに行っても安心できる場所がない。
さっきまで普通に生活していたのに、ある瞬間から、被害者と加害者になってしまう。それはおそらく、誰にでも可能性のあることだと思います。



たった12歳で大きくなりすぎたものを背負わされた彼女が、毎日死に怯える恐怖から解放されて
普通の人が普通に生きているような、平凡な日常を送ることができるように、願っています。