一億総中流社会。これが当たり前に叫ばれていた時代がありました。学歴という一つの指標に基づいて評価され、皆が一斉に就職する新卒一括採用。年齢に基づく経験値という一つの指標のみを評価した年功序列。そして、会社に忠誠を尽くす代わりに老年に至るまでの生活が保障される終身雇用。この全てが、今現在ものすごい勢いでガラガラと崩れ落ちています。上位数十名の資産総額は下位六十億人もの人の資産総額に匹敵します。六十人じゃないですよ。六十万人でもないです。六十「億」人です。日本の総人口が約1.27億人ですから、相当な規模感であることがわかるでしょう。それだけではありません。経済大国のアメリカでは上位1%がアメリカの総資産の約3割を握っています。

こんな話を聞いて、「とはいっても、それは海外の話でしょ?ここは日本なんだからそんなの何も関係ないじゃん。」そう思われる方もいるかもしれません。しかし、グローバル化が進展する現代においてもはや日本の経済は世界の市場と切っても切れない関係となっているのです。それだけではありません。日本の食料自給率やエネルギー自給率は減少の一途を辿っています。要は産業や生活に必要な資源を海外に頼りっぱなしなのです。ですから、海外の影響をもろに受けるのが現実です。実際に2024年3月現在において一年以上にもわたって継続されている私たちが今住んでいる日本から遠く離れたウクライナでの紛争は原油価格の高騰、ひいてはガソリン価格や電気代の高騰という形で直接的に私たちの生活に影響を与えているではありませんか。こうしたグローバル化の波は私たちにスマートフォンやインターネットの普及という形で私たちの生活に恩恵を与えている一方で、私たちを経済格差という形での分断を促しているのです。

さてここであなたの出番です。わたしはあなたに問います。

-あなた自身にとっての豊かさとはなんですか-

と。

インターネットの普及は私たちの間に横たわる情報格差を解消してくれました。今や、公教育においても情報教育が義務化、それに伴って各家庭にタブレット端末が支給され、誰もが平等に検索によって情報を参照できる世の中になっています。それだけではありません。私たちは全世界のあらゆるネットユーザーに対して自分の意見や気持ちを発信、そして同じ思いを持った人たちといつでも自由につながることが可能となったのです。一昔前には夢物語でしかなかったそんな社会が、まさに今、現実のものとして成立し、私たちは当たり前のものとしてそれを、享受しているのです。

一方で新卒一括採用、年功序列、終身雇用、そして年金に一億総中流社会。一昔前の常識が、今では通用しなくなっています。グローバルな競争が日本経済権の隅々にまで押し寄せ浸透しつつあります。実績が成果として還元されるようになる、と言えば聞こえは良いですが、今後ますます貧困層が増加することが予想されます。私たちがそして何よりあなたが、そういう競争に破れてそういう立場に陥った時、それでもあなたはこの社会は、世界は、豊かであると言えるでしょうか。

現代はモノが溢れる時代だといわれます。果たしてそれが豊かと言えるのか。逆に特定のコンテンツを不特定多数の人々が繰り返し消費を繰り返すモノが少ない時代ともいわれます。一方でインターネットに視野を広げてみると、全世界の人とやり取りできる利便性の裏で、人と人との密なつながりが希薄になってしまったこと、他人に見て欲しいこれ以上ないほど輝いている「盛れてる」自分。みんな自分を認めて欲しいから、見て欲しいから、輝いてる瞬間を切り取って、盛大に加工して、げたにげたを履かせた演出で着飾ると同時に、そんな仮想世界の中の理想の自分と実際の自分との間の埋められた溝に苦しみ、もがき、時には鬱になってしまったりします。かつて幸福な国と謳われたブータンにおいてもインターネットの普及により、先進地域と自分たちの生活を比較するようになり、自分たちの生活に対する自信がなくなりそれに伴って幸福度は丸々下がっていきました。そんな意味では平等に与えられた情報は人々の不幸を量産し、不幸の連鎖を生み出しているような気もします。

何が豊かなのか。それをあなた自身の言葉で、あなた自身の思考で、探ってみてください。あなた自身の行動で実践してみてください。後悔のないあなたらしい人生を掴み取るために一歩ずつ着実に前に進んでいきましょうね!私が全力であなたをサポートします!