妹は私の誇りです | こころとからだにハピネスを

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京都市内のセラピーサロンでみなさまの“こころとからだの健康づくり”をマッサージとカウンセリングでサポートさせていただいています。

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こんばんは〜
三月も半ばに入りました。
花粉症の季節ですが皆さんは大丈夫ですか?
今日は愛読してる記事の中で感動で涙がポロポロ〜皆さんにシェアさせていただきます。

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養護学校には行けましたが、トイレに行くと教室に戻れない。
遠足でも集合場所に戻れないので、車いすの子から「トイレの時は私達に行ってね」と言われました。

そのように、私は子ども達に面倒を見てもらっている先生でした。
けれども、子どもたちは決して平らな中に生きていなかったんです。

高校2年のきいちゃんは、小さい時に高熱が出て、手足が動かなくなりました。
3歳で遠くの施設に入って、身の周りの事も1人では出来ず、「どうせ私なんて」が口癖でした。

ある日、きいちゃんが、職員室に飛び込んできて、「お姉ちゃんが結婚するの、何着ていこうかな?」と、とても嬉しそうでした。

でも、何日かして、教室で机に顔を突っ伏して、泣いていたのです。
「どうしたの?」と聞くと、「お母さんが、結婚式に出ないでって。

私のことが恥ずかしいんだ、お姉ちゃんばかり可愛いんだ、私なんて生まれてこなければよかった、お母さんも私なんて産まなきゃよかったのに」と、声をあげて泣いていました。

きいちゃんのお母さんはそのような方ではありませんでした。
もしかしたら、きいちゃんが辛い思いをすると思われたかもしれません。

その当時は、子ども達の素敵な絵や文章も、本名では発表されませんでした。
先輩に訴えたら、「ここの子ども達は、亡くなる時も隠される。
家族のせいではなく、社会がそうなんだ」と。

私は、どうしたらいいかわかりませんでしたが、「お姉さんにプレゼントを作ろうと」と言うと、きいちゃんは「着物を縫ってあげたい」と言いました。

浴衣ならと思って、和紙の里で染めを習い、お姉ちゃんは日本海に沈む夕日が大好きと聞いて、さらしの布を夕日の色に染めました。

ミシンを勧めましたが、きいちゃんは自分で縫うと、何度も針で指をつき、練習用の白い布が赤く染まりました。

お姉ちゃんのためにと毎日毎日縫い続け、式の10日前に縫い上がって、お姉ちゃんに送ることができました。

長くなりますので続きは次回へ

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本日の写真は家族で外食したお造り定食。
ボリューム満点💯
美味しくいただきましたラブ

いつもブログを読んでいただきありがとうございます。
明日も皆さんが笑顔の1日でありますように音譜