これまで、30代までは、

直感任せ、感覚で動いてきた私。

考える前に動いてた。 
動けば道が開けてた。

考えることはめんどくさかった。

言葉にすることが苦手だった。
苦手という意識が自動的に作動して

動くことに拍車をかけてたのもあったのかな。


基本的に考えること、言語化を避けてきてたもんだから言葉知らずで言葉足らず、喋り下手な私は対人関係において行動や表情で意思表示をして伝わるものだと思ってて、且つ相手の気持ちを汲み取れてる気になってた。

というか意思疎通という言葉があるように、人と人の対話って言葉無くても感覚でキャッチし合うもの、そんなもんだとどこかで思ってた。


それで事なくやってこれたのが30代まで。

しかし、そうもいかなくなったのが40代。


通じない、

言葉無しでは通じ合えないことが起きた。

感覚が近しいと思っていた間柄で起きたから、右ストレートを喰らい、気を失いかけた出来事があった。


でもその出来事が起こり納得してる私もいた。


自分は言語化、発言という行為から逃げておきながらキャッチ任せして、さらにキャッチし合えてる、意思疎通とれてると思い込んでたから。

自分本位な自分に恥ずかしくなった。


それに加えて人はみな十人十色な人生を、

私の知らない世界を生きていることを思い出した。

それは小さくも日常的に自分自身で、また、旅を通して実感してたし、周りで起こっている対人関係トラブルはいつか自分の身にもふりかかるような、そんな気もしてたから、
ついに来たか、と。


人と人は『違い』しかない。
『同じ』な部分があること自体が稀で奇跡。


親子でも兄弟でも双子でもソウルメイトでも

生まれ変わりだったとしても全く同じはない。

そんな一人一人が関係性を紡いでく中で苦労しないワケがない。それぞれがそこに尽力せずに、双方で歩み寄らずに平穏で平和な関係性を、ピースな世界を保てるワケないとずっと思ってた。

そうわかってたはずなのに、

いつの間にか『これまで』に慣れ、甘えてしまってた私。


重たくもめんどくさくも納得してその出来事を受け止め向き合う気持ちに至ることができた。


そうやって40代の壁は、

そろそろ言語化する能力を、自分の言葉紡いで関係性を築いてみては?と、私に新たな挑戦の『事』を運んできてくれた。


『これまで』は本読まない、

ロジカルな文章や発言を目にするのも耳にするのもまっぴらゴメンな私だったけど、笑

内側にある感覚を言葉に変換しながら、ふと、自分の心と頭を繋ぐためにはそれらも大切な作業の一つだったんだと実感した。


私は考えることや言語化が苦手とかじゃなく、そこに向かって、向き合ってやってこなかっただけだったんだとわかった。

過去に起きた何かしらの体験で眠り込んでしまった『考える』という種を、何かしらの拍子で意気消沈させてしまったんだろう『言葉を紡ぐ』という種を、意欲的に芽吹かせてこなかっただけだった。


言葉に、文章にして、それらを出していく作業は、私の中で眠っていた種が芽吹き、少しずつ少しずつ育ち始めてることを感じさせてくれた。



人はいつだって

必要なことに向かえる自分で在れる。


人はそう在れる生き物。


苦手やできないはない、うまくないはない、

そこに向かうか向かわないか。

私はそう実感した。  


ここまでが前置き、ここからが本題です。笑


ここ数年間で起きた私の体験に重なる感情と近しい経験をした方々と出逢い、再会し、会話をする機会に多く恵まれたことで、私の生きがいの種が気づかぬ間に内側で芽吹いていたことに気づかされました。

彼女たちとの会話を通して。

 

それは、
私が重要視することとは真逆の言動、言い換えると、愛を感じることができない不可解な言動を目の当たりにした時に湧き起こってくる気持ちに潜んでたことが判明した。


『なぜそうなるの?』
『どうしてそれが言えるの?できるの?』と、

そこにどうやってその人の愛を見い出したらいいのか分からない疑問の矛先に。



世間の常識、自分の世界観云々じゃない、
悲しみや守りの感情も過ぎ去り、
正当性の言い争いとか許す許さないとか、

課題の分離とかでもない。

その矛先はその奥の奥、ずっと奥に向かってた。



私が観てた先は

その言動を起こす『人間の心理』だった。


その一人ひとりの心理の追求に向かってた。


なぜその言動が生まれるのか、
その理由を私は知りたかった。

その言動を起こす、その言動が生まれる、

そのバックグラウンドを私は知りたかったんだ、と。



いろんなプロセスを経て生まれる

人それぞれの言動。


無知が故ただそうしたくてする人、

意志なく流れでしちゃう人、浅はかに自分がいいならいいとする人、自覚しながらも嫉妬やプライドを治められなかったり圧力による共感を演じてやってしまう人、言い伝えや常識から成る正義感がそうさせる人、過去の深い悲しみをもってそうすることを選ぶ人や考え抜いた中でそのやり方しか見い出せない人、やり方を模索してる中で意図的に試してる人もいるんじゃないかな、と、

想像すればしただけどんどん出てくる。


この私の想像のどれかに当てはまるかもしれないし、そのどれにも当てはまらないかもしれない。


その想像は大切なことだけど重要じゃなくて、

そのくらい、人それぞれの状況をもってして生まれる言動、選択する言動にはその人のバックボーンとなる通ってきた道、そこに至るバックグラウンドがある。


そこから成る真意を誤解なく知ること、

その言動が生まれる裏側を知ること、

それが最もクリアでシンプルなことなんじゃないか、と。


事実をもってしてその人の置かれてる状況、

その人の視点に、その人の立ち位置に私は立ちたい。そしてその事に私自身が向き合ってみたい。

なぜそうなるのか、何がそうさせるのか、紐解いていきたい。出来ることならその人と一緒に。

紐解いてけば必ず見えてくる小さな光、

私は愛の発掘をしたい。


これが私の探求したいこと、

私の生きがいだったもよう。笑 



一時、これは私のエゴなのだろうか、と

人は人、私は私、と線引きしてみたり、想像をもって歩み寄っては言い聞かせたり、決め付け片付けようとしてみたりしたこともあった。けど、やってわかった、そうじゃない。


私の視点で、私の狭い世界観での想像で、

その人の言動を決め付け片付けてては真の学びはない。瞬間的にそうしてしまうことがあっても意図的にはしたくない。それこそエゴでしかない。


だからと言って『人は人、私は私』と、境界線を引いて自分の世界を窮屈にさせる必要もない。

何かと線引きして『分断』したり『上下』に分けたりし続けることで今も昔も世界中で絶え間なく起こり続ける、小さくも大きくも変わらぬ事、繰り返されることがあるのを体感してる。


一時的線引きや一旦停止は必要な時期があることを踏まえた上でのお話。



いずれにしても、

その一件をそんな風なやり方で水に流すことは容易なことで、ただ、そう流したところで、事象は目の前から消えたところで、浄化も消化も昇華もされないその見えないエネルギーはそこらじゅうに残り続ける。


そしてそれを越えて重く深く停滞し続ける愛のない言動を起こし続けるエネルギー。


そのエネルギーはその人たちの繰り返される言動によってまた新たな浄化されない芽を生み、様々なところで広がり続けてる。

その言動が無意識であろうとも意識的であろうとも、その絡まり合う根っこが残っている以上、そのエネルギーの循環は成されない。できない。滞ったまんまが続いてく。


で、私は思った。

愛が見えないそういう言動って、

その人の苦しみや嘆きの表現、愛を渇望してる叫びなんじゃないか、と。

それって『その人はその人』と分けたくなるくらい関わるにはめんどくさいことだけど、そういうめんどくさい事こそ『愛発掘』における重要なことなのかもしれないって。


シンプルなことを絡ませめんどくさくさせちゃう、こういうことって『人』という生命の、心と頭のフリーズ現象なんじゃ…


なんてことも思ったり。笑


『同じ』はない、

一人一人に、すべてに違いがあることをわかってるならその『違い』を知ることから私は始めたい。

その違いはスペースを広げる。

その違いはバランスをとる。

その違いが愛を芽吹かせてく。

自分以外が存在してこその愛を。



もし、万が一、

愛のない言動の裏側に悪意があったとしても、
その悪意はどこから湧いてるのか、何がそうさせるのかを探っていきたい。


私が気づけていない私の癖が原因の種かもしれない。その人の過去の経験、世間や歴史の常識や誰かの一言、言い伝えが根付いてその言動に繋がってしまってるのかもしれない。


そもそも本質的に悪意だけで言動を起こす人っているのか?


一つ一つの真実を見つけるために、

そうやって一本一本、紐解いていくところから。 


時代と真逆に走り出してる自分に笑えるけれど、合流する先が視えてるからおもしろい。



そして私は、

自分以外の人が見てる景色や世界を、観方を、何に重きを置いて生きてるのかを知りたい。

一人一人を知っていきたい。

そこに興味がある。

一人一人が持つ世界に、愛に、生き方に触れてたい。


世界を旅するように。



それはどこか、私の歩んでる道を、観てる世界を知ってもらうことに繋がるような、お互いを受容し合い尊重し合える、そんな気がしてる。




さて、はじめに記した私の40壁ですが、

言葉を紡いで関係性を築いてく、そこには私の生きがいもガッツリ注入されておりましてん。


愛発掘に向けてバックボーンを知る、真実を知るにあたり、シンプルで濁りない手段は本人に尋ねる、本人と話すこと。


最短で最厚。


実際にその壁に挑んでみたところ、

一つ一つの言葉を的確にチョイスしなければ、これもまた新たな誤解を生んでしまいドツボにハマってしまう。

特に文面だと重要な微細なポイントこそが通じ合わずに破滅に追いやることもあったりなんかして。。


そうやって試してきた中で現状、

当事者同士で直接会って目を見て声を聞いて呼吸に触れ波動をキャッチし合いながら選び抜いた言葉で疑問を投げかけ言葉を交わすのがベスト。


感覚と言葉、心と頭の両方で対話すること。

に至ってるとこ。

ただしそこには双方の気持ちとタイミング、余白が重なってこそ、のお話。


そこにその人が生きている、生身で会えるのなら、のお話。


そんなこんな、

生きがいを感じながら言語化の壁を突き破り、

猪突猛進していたら、私の心と頭、感覚と言葉、行動と思考は一致してきてた。

だいぶバランスが取れてきてる。

少しずつスペースも広がってきたような気がする。


気づけば必死に言葉を紡ぐ毎日から

自然と言葉が溢れ出るようになってきてた。


私を通して出来事が受け入れられ、

私を通して感情が湧き起こり、

私を通してその感情が受け入れられ、

私を通して言葉が溢れ出る。

ただそれを繰り返してる毎日。


そこにはただただ『私』を通して行き来する流れがあって出入りがあって。

まわって巡って。循環してて。


私の肉体を通して

外の世界と『私』を繋ぐ呼吸が成されてた。


私から溢れ出る言葉、私の表現って、

私の精神の、心の呼吸だった。


となれば、

愛のない言動、愛が無いように映るあの言動は、

やはりその人たちの心の叫びなんじゃないかと思えてくる。


本人たちも気づけていない、

いや、中には気づいてるかもしれない、

もしくは気づいて欲しいという、

愛に対する渇望の表れ、意思表示なのかも、と。


『言葉は心の呼吸』


こうして毎度私はyogaからヒントをもらう。

そして迷いに迷っても最終的に辿り着く道は

yogaなんだよな〜


はい、40壁、半壁クリア!!!

あーここまでハードだったー!


ついでに、

活動し続けるアーティストの裏側をちょっとだけ覗いちゃった気分にもなりました。笑


どんなカタチでも世に作品を出し続けてる

アーティストって素晴らしい!!


この私の生きがいは自分のためではない、

もはや誰のためでもない。


この世界、

この地球の呼吸、

循環を成すほんの一部として私が息を吹き返し始めただけのこと。


悲しみや憎しみ、誤解や思い込み、

無意識の制限、気づかぬ間に残り続ける浄化されない見えない気持ちやエネルギーの停滞を、悪循環を昇華へ、と🕊



先ずは、

そうやって愛が無いように映る言動を自覚しておきながらとっちゃう人、癖づいてることをわかっちゃいるけどやってしまう人、そういった方々へ率直に私はお尋ねしたい。


あなたは、その言動をとる自分、とってる時の自分のことが好きですか?その時、その後、自分丸ごと気持ちいいですか??

と。


自覚してしているとするなら、

それはもう、そこに尽きる気がする。

私がヨーガの虜になった理由はココ、

心理の、真理の追求にあるのかもしれない。



【 おまけコーナー 】


今は敢えてコトに向かわず、

一時的にお休みをしてる方、意図的に休息を、ひとりを選んでる方、または、意志を持って試しにその道を選んでそこにいる方々へ。


そんな方々は今はここに耳を傾けず、

その感覚を信じて、とことんそれを、休息を、やらないこと向かわないことを、その選んだ道を光射すまでやり続けていただきたいです。


誰に何と言われようと

何かに通せんぼされたとしても。


ただし、そこはホームじゃない。

ということを私から伝えておきたいです。



そうやって誰しもにそんな休息の時期があるのなら、それが『不可解な言動』として受け取る側のタイミングに重なっただけのことなんじゃないか、と、向き合うほどのことでもなく、その先が視え隠れすることもあったけど、全部が全部そうじゃないと、自信はないけど今ここに直感で感じるままに。


愛のない言動が生まれ放置される理由の探求を、それが愛溢れる出来事に変わる瞬間まで、私はこの人生で自分の身をもって一つ一つを探り見届け続けたい。


本当にできないことなのか、

本当はできることなんじゃないのか、

私が生きてる間に答えが出るのかは不明だけど。笑


それでも根本原因の種を知ることは

気づかぬうちに芽吹いてしまってた不要な種を、気づかぬうちに眠り込ませてた必要な種を、

『さぁ、ここからどうするのか』

と、自分で問うて自分でチョイスするステージに導いてくれる。


そこからは自分次第、

どうぞご自由にってことで。笑



人と話して自分のことを知るときもあるし、
他の人の考え方で学ぶこともあるし、

一人でふと気づくこともある。

= 20代女性、私の知人の言葉 =


自分を知る、自分の考えを改め更新する、って

自分一人じゃ成し得ない時がある。


= 30代女性、私の知人の言葉 =


 

この私の呼吸が小さくも波紋してくのを、

このアシュラムLevanter Akashaで目の当たりにしながらマンツーマンセッションを行なっています↓

https://www.seimeelife.com/bookings-checkout/%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%83%88%E3%82%BB%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3-%E7%99%BD%E6%B9%AF-%E8%BB%BD%E9%A3%9F?referral=service_list_widget


長々とありがとうございました。

namaste.






自分中心で自分軸のある人は

自分を愛してる、自己愛がある



私はそう思った。

真に自分を愛する人は

自分が自分に愛されることで満たされていた。

自分を自分で豊かにすることを感覚的に知っていた。


そんな人は他者に何かあったとき、自分がどんな状況下にあろうとも迷いなく自分の愛をもって手を差し伸べることができる。

それは自分が自分の愛に満たされてるという自覚はなくとも感覚的に自信がある証な気がした。


その感覚は五感を越え、第六巻を飛び越えた何かなんだろう。


愛で満たされたその確固たる自分軸で、

自分を軸に考えた上で、その軸を他人軸に置き換え、他者に躊躇なく寄り添い愛を与えることができる。


それが自分を愛するがゆえの、自分中心の、自分軸のある人の愛、想いやり。

自分軸も他人軸も同じ、そこに境界線はない。


それに対し、

「自分だったらこうして欲しい、こうして欲しくない」が先に立つ、他者を自分に置き換える思いやりにおいて。

軸の矛先は結局、自分に向いている。

自分の欲望がそこに、エゴがある。


世界観、価値観の合う者同士であれば一致するものなのかもしれないけれど、そこらへんが全く同じ人間の存在は奇跡なくらい稀なワケで。

自分の価値観で他者をみて図っている思いやりは自己満の世界であり、それは時に余計なお世話になりがちなヤツでもある。


これを私は『自分本位』と呼び、

自分を自分の愛で満たしている『自分中心』とは大きく異なると感じてる。


自分本位な人とは、

何が起ころうともいつだって自分を守ることに全力を注いでて、基本的に何事も自分優先。

その自分優先に慣れすぎると『自分勝手』との境界線が見えにくくなるのか自分勝手も自分優先の内になっていて。


さらに自分の好き勝手にすることを自分軸とし、自分軸は感情のままに自由に行動することとしてその自分の自由を守ること、それを『自己愛』と認識してたりする。

その自己愛を自分自身で信じたくて確かめ続けるために自分本位で居続けているという。

その繰り返しの中に居る。


自分を愛する自分の愛し方を意図的に肯定してるから、自分の気持ちを軸に自信をもって他者の気持ちも図る。

他者の気持ちをさておける自信は他者に寄り添う気持ちを生むことはない。

真に自分の愛で満たされていない、愛することや愛し方に感覚的自信を持ててない、そこに気づけずにいると、どんな意識下でも自分にも他者にも真の愛を向けることができないと思った。


そうあれば自分どころか、他者を想いやる気持ちは自ずと生まれるはずはなく、意図的に生んだところで結局、自分よがりな気遣いになってしまう。



自分本位な人を否定しているのではなく、

私の職業柄、この質問を受けることが多い。

それに私自身もこの両者の違いにブツかり頭悩ますことが多かった。とても分かり難いものだから。


と、それより何より、

否定されがち、自分本位な人こそ本物の愛に触れられず生きづらいんじゃないか、とどこかでずっと思ってる自分がいて。


おこがましいけれどそんな人たちに寄り添えたら、と思う自分もどこかにいて。


それこそ余計なお世話になるのかな、とか、どうやって手を差し伸べたらいいのかわからなくなる自分もいたりで、結局最終、必要とし合うタイミングなのかもな、と思えた。


私は今までそんなことをずっと模索し続けてたようなそんな気がした。

彼女と再会するまで。


今のところ、そんな感じ。



それでも自分を愛する人、自分軸のある人は

自分を大切にする、守ることが得意じゃなくて自己防衛下手。

自分も他人も同じ、という感覚が強いから。


自分本位な人、自分を真に愛せてない人は、自分を優先するが故、自分を大切にすること、守ることは得意なんだよなぁ。 

自分は自分、他人は他人と、区別がハッキリしてるから。


どちらもなくてはならない感覚で、

どちらか強すぎては調和がとれない。


結局、何事もバランスという言葉に落ち着く。

中庸を、真ん中を、中心軸を◎ 



【 おまけコーナー 】


約20年前に原宿で出逢い、

約10年は共に密に過ごし、

その後10年間会わない時を経て、

先日、鹿児島の我が家で再会した北海道出身の彼女。


彼女の儚く美しい神がかった、

彼女だからこそ紡がれたこの10年分のストーリーは、純真に生きることに惹かれその道を常に目指してきた私に感動と感嘆と感激を沸き起こさせ、稲妻まで落としてくれた。


自分の中心を信じて正直に動く、まっすぐに生きることで彼女が得たギフト、それはそれは大きなものだった。


そして10年分の私の話をしては、

シンクロする体験を2人で泣いて笑って眉間にシワ寄せ真剣に語り合って。笑


自分の生を素直に受け入れた上で、自分を信じ愛し、そして切り拓いてきた人の反応は違う、発せられる言葉が違った。

そもそも愛の表現が違ってた。

ユーモアたっぷりでおちゃめで。



いつだって自分をさておき、

他者に全力で注ぐことができる彼女の愛は、育った環境含め、意識せずとも幼少期から素直に積み重ねてきたことが潜在意識下で自信となり、今の彼女の行動の源、愛のカタチとして表れてる気がした。


その絶大な、誰も何も言えないくらいのキャパシティの広さ、器のデカさ、愛の深さは歴が長いというのか、培ってきたものを感じざるを得ないレベル。


そうやって朝から晩まで彼女と一緒に過ごした日々で、彼女をみて彼女を感じて、霧がかって掴みきれてなかった

『自分中心と自分本位の違い』

『自分軸と自分勝手の違い』

『自己愛と自己防衛の違い』が

ハッキリと私の中でクリアになった。


そして毎度の如く彼女は私にハッキリと的確に私の歩んでる道における重要なポイントを伝えてくれた。

そういうとこ、ほんとリスペクト。

ほんとうにありがとう。


私は彼女のお陰でみえていなかった大切なことに、愛を軸に、私自身が変わる道を選び歩み始めることができた。


出逢う人みんなが役を担ってる神遣いだとしたら、彼女は純真爛漫に違う道を照らしてくれるエンジェルなのかもしれない。

大袈裟じゃないよ〜笑



彼女に出逢えた私はほんとにラッキー、

何より彼女はイチイチかわいい〜



いろんな角度からの気づきを与えてくれてありがとう。いっぱいの愛をありがとう。

あーもーまたすぐ会いたいぞ♡

Lots of love







最近、
我が家にひっそりと夜だけ眠りに来ていた野良猫が昨日旅立った。

深くて大きな噛み傷、擦り傷、骨折など身体中に怪我を負って。



猫同士の縄張り争いなのか、

私たちには分からない猫界の掟があったり、の、理由は全く分からないけど、長いことこの辺をテリトリーとしてる体つきの大きな雄猫、デデ(勝手に名付けてそう呼んでる)に1度は覆われ噛み付かれてる現場を我が家の庭で目撃したことがあった。


その時は今よりもっと子猫だった。


猫らしき鳴き叫び声の方へ駆け寄ってみたらその状態。

即座に大きな音を立てて絡まり合いを止めた。

子猫だけ縮まりその場に残ってたから、

「おいで」と言うとソロリと私に近寄ってきたその子猫。


実はその出来事が起こる数日前に、

我が家にとても懐いていて私たちが可愛がっていた野良猫ハミュ(そう呼んでた)が亡くなったばかりだった。

死因はマダニによる感染症。妊婦猫だった。

私はハミュにマダニが付いていたことや急に元気が無くなっていったこと、妊婦さんだったこともあり、私たちが引っ越して来る前からそこに居たんだろうお気に入りの場所があったからその場から移動させることを悩んだけど、悩んだ末に動物病院へ連れて行った。


人間にも感染するSFTS疑いで入院を強いられ、自分でも何の手当てもしてあげられないくらいの容態だったため病院に委ねた。

ハミュの気持ちを想うとそれが良いのか悪いのかわからないままに。

が、その3日後、彼女は病院内で息を引き取った。

ハミュの死にゆく情景に直面し、その子の気持ちを想ったときに自分が善かれと思ってする手助けは果たして彼らの望むことなのか、と、とても不甲斐ない自分自身がここに在ることを体験した。



そのこともあり、

お庭でソロリと近付いて来た子猫に私は

「私は何も出来ないけど困ったらいつでもココにおいで」と話してデデのことやこの辺のことを伝えた。

その猫は小さな可愛らしい眼差しでただただ話す私をじーっと見つめてきて、その後、ふと姿を消した。


ここ1週間ほどのこと。

我が家周辺でその猫をチラホラと見かけるようになった。

生きててくれた!!と、私はとても嬉しかった。

が、動きが素早くよくは見えないけど頭頂部に大きな怪我を負っている様子だった。


その数日後、

身を潜めるように夜だけ我が家のベランダに置いたままの妊婦猫が使っていた、せいちゃんの手作り猫小屋で、夜眠るだけを過ごしているその猫を2日連続で見かけた。


頭の怪我やその様子でなんとなく猫同士の状況が想像でき、せめてここでの寝心地だけは、と板張りの小屋の中にヨガマット的厚手マットを敷いてあげた。

灰色気味のその子の名前をアッシュと名付けて。


その翌朝、大きな猫の唸り声が。

デデが、その小屋の中を覗くように立ってた。


見つかってしまったと心で呟きながらデデに

「こんな小さな子を脅さないで。ここに居させてあげて」と伝わってるかどうか分からないデデを他の場所へ丁寧に誘導した。


その日、

珍しく日も暮れない明るいうちにアッシュは戻ってきて俊敏に小屋に入り込んだ。慣れない私たちの近くは身を隠し避けるにも関わらず、たまたま庭に居合わせた私たちの側を横切ってまで。


でもすぐに私たちの動きや様子、音にビクつき逃げるように出て行ってしまった。

今となっては、デデから逃げて隠れるところがここしかなくて駆け込んだんだろうな、と思える。



そのまた翌日、夕方前頃、

小屋側で猫の鳴き叫ぶ声がした。

走って駆けつけたら、デデが何かしらをむしり取っただろう毛を咥えてて、その横でアッシュが怯んでた。。。

私が小屋近くに着いたと同時にアッシュは小屋側に向かって逃げ出そうとしたけど転げながら足を引きずりながら、の状態だった。

私は即座にアッシュを抱えて小屋に避難させた。


アッシュは呼吸を荒げたまま、力尽きるように横たわった。

全く動かないけど呼吸はしてる。


角度的に見える部分の酷い外傷は無かった。

それでも見えない部分が気にかかり病院が過ぎったけれど、ハミュのことを思い出し、アッシュが病院を必要としてるのかどうかが私にはわからなかった。

先ずは安静に、外部から何者も侵入出来ないように、内側からのみ出れる小屋入口の簡易扉を付けた。

その瞬間、首だけは起こしていたんだろうアッシュが頭をゆっくり地面に下ろした。

安心してくれたような気がして私もほっとした。


その夜から朝にかけて何度か様子を覗き、呼吸をしてるかどうか、苦しくなさそうかどうかを確認し続けた。


朝方は少し口元をモゴつかせたりもしながら、目を閉じていた。久しぶりにぐっすり気持ちよさそうに眠っているかのように見えた。

「アッシュ、元気になるね。回復するまでここでたくさん休息とってね。私たちは近くにいるからね」と声をかけ、自分たちの作業を始めた。


今思うと、ぐっすり眠っていたように見えたのは気のせいだったのかもしれない。


お昼頃、

前日から体勢変わらず動かないアッシュだけど、時に少し荒げながらも呼吸はし続けてる。

寝たきりのアッシュの塞がりかけてる鼻穴を綿棒で優しく掃除して呼吸の通りを作り、顔まわりの汚れを振動が響かない程度に拭き取り落とし口元に水を少し付けたりしてみた。

そしたらしばらくして一瞬、痙攣を起こしたような動きをして呼吸も乱れた。


余計なことをしてしまったか。。。


その後すぐに落ち着いた様子だったので身体を撫で、お腹に手を当てて回復を祈って「まだまだここで休んでね、また見にくるね」とその場を離れた。


2時間も経たない後くらい。

見に行ったら呼吸してなかった。

触ったら固くなってた。

身体から液体が滲んでた。

さっきまで息をしてた小さな身体は遺体になっていた。死んでしまってた。

頭を抱えた。大きく抱えた。

私は泣き崩れてしまった。


深く深く掘って土葬しながら、

ようやく静かに眠りにつけるね、ごめんね、と、アッシュとお別れをした。


アッシュの身体には

チラホラ見えていた頭頂部の怪我以外に、私の角度からは見えてなかった耳の根本、頭部に日の浅い大きな深い傷があった。灰色だと思っていた毛並みの色は黄土色混じりの灰色だった。

こんなにじっくりアッシュのことを見ることが出来たのは遺体になってからだった。。。



前に失くした妊婦猫ハミュは、

この土地が好きで、我が家の庭でゴロゴロしたりベランダで眠り込んだり寝そべってる姿をよく見かけていた。野良だけど物音にすら鈍感気味な子だったくらい。

ハミュの異変が起きて病院へ連れてくかどうか最後まで迷わせた理由は、この土地から彼女を離すことだった。

その迷いを決定付けたこと、それは、ハミュに

「病院行く?行きたい?今日まで様子見て回復しなければ明日病院連れてくね」と声をかけたその翌朝から丸1日、初めてハミュは私たちの前に姿を見せなかった。

病院に行きたくなかったのかな、野良猫だから森の中で治癒してるのかな、と思いつつ『助けが必要だったら戻っておいで、病院へ連れてくよ』と全力で語りかけ「ハミュ〜」と呼びながら、のたれ死んでないかと心配もありつつ、家周辺の森を探し歩いてみたりした。


その日の夕方、

予想以上にグッタリしたハミュが小屋の中から入口ギリギリに佇んでた。あのぐーたらハミュが寝そべることなく佇んでこっちを見てた。

即、病院へ連れてった。


でも、アッシュはハミュと違い、

この土地でこの周辺でゴロゴロしてる様子は私は見たことがなかった。

その辺で見かけても機敏で見えないくらい姿を消すのが早かった。身体が小さいこともあるけど、いつも何かに敏感に反応し注意を払ってるような動きっぷり。


毎日毎分、何かに襲われる恐怖と不安でいっぱいだっただろうアッシュを想うと、あの場から敢えて離して病院へ連れて行ってあげてたら心も身体も回復出来たのかもしれない…

アッシュはそんな考えも望みもなかったかもしれないけど、私が発した言葉にすがる思いでただただ我が家に、ここに、何か、の可能性を感じて、この1週間、戻ってきたのかもしれないと思うと悔やみきれない。


私はどこか、病院で死を迎えさせるかもしれない野良猫に対する罪悪感を持っていた。けど、それは長閑に過ごせたていたハミュや時々見かけるその他の周りの野良猫たちを見て知っていただけでの小さな視野の中での決め付けからくる考えることへの逃げだった。


なぜすぐにアッシュを病院へ連れて行かなかったんだろう。

またしても彼らの気持ちをキャッチしきれなかった自分に、救えることが出来なかった自分に、何も出来なかった自分に、無力どころか、憤りさえ覚えた。


アッシュに幸せはあったのだろうか。

アッシュは平穏なひと時を味わったことがあったのか。

いつもいつもこの広い世界で身を潜め、小さな身体で小さな動きで過ごした短い生は、何か生きててよかったと感じる出来事はあったのだろうか。


そう思うととても切なくなり涙が止まらない。


アッシュだけじゃない。

世の中にはそんな野良猫、生き物、人間もたくさんいる。知っていても知ってるだけのこと、現場を目の当たりにしてないことを、アッシュを通して体感させられたような気がした。 


小さな生命かけてこの世界の見えにくいことを伝えてくれたような気がした。



私たちが野良猫たち、

ハミュとアッシュから感じたことはもう一つ。

彼ら動物は、一緒に生活してなくとも、私たち人間の言葉そのものが伝わらなくても、発した言葉を通して音をキャッチしてるということ。

伝わる音を通してニュアンスを、言わんとしてることをキャッチしてくれる。


我が家の周りには人間以外に動物、昆虫、生き物がたくさんいる。

彼らは話しかけたらだいたい伝えたいことが伝わる。これはハミュをはじめ、戻ってきたアッシュが確信させてくれた。

野良猫だけじゃない、狸、アブ、ゴキブリでさえ。おかげで可能な限り意図的に殺生せずに今のところ済んでいる我が家。有り難い。


それとは反対に

私は動物たちの気持ちをキャッチできていないことを身をもって体感した。それも彼らに教えられたような気がしてる。

五感を越えた感覚をもっと。


私も、私たち人間も自然界の一部であるということを思い起こさせてくれるような、そんな仲間意識をも感じさせてくれた。

彼らとキャッチし合える感覚を磨いていこう、と強く思った。


野良猫は人間と自然界を繋ぐ役割を果たしてくれてる生き物の一種なのかもしれない。

行ったり来たりしながら。

家猫でもなく、野生猫でもなく、それが野良猫の天命なのかなぁ、と。


ハミュ、アッシュ、

ここを選び、ここに来てくれて、

私たちと過ごしてくれてありがとう。


虹の橋で優しいキャツ男が待ってるから、みんなで仲良くいっぱい遊んでね🌈


いつか私もみんなに会える楽しみができたよ〜


生きとし生けるものすべてが満たされる瞬間を!


Hari om✴︎




報告を長らくお待ち下さっていた方々、

いつもありがとうございます。


私たちが描いていた

「こんなアシュラムあったらいいな」をカタチにしてみました。


アシュラム開設のお知らせです。

〜 Levanter Akasha 〜

〜 レバンタールアーカーシャ 〜



インドでいうアシュラムを部分的にイメージしつつ、色合いが少し異なるこの空間。



アシュラムと言えば、

ヨガの学び場、鍛練の場。

伝授する師と学ぶ者が規律ある生活を共にしながら "練習に励む自分自身" に集中できるよう一定の生活リズムが保たれた施設です。

ルーティーン化された静かな生活は些細な心身の変化に気づきやすく、動きが豊かな内側へ自然と意識が促されます。


そうやって自分の内側に、自分自身にどっぷり潜ることが出来る場所を『アシュラム』といった捉えた方をしている私たち。

添付連続3枚は北&南インドで滞在したアシュラム風景 -


ココは、

そのアシュラムのひと回り外側をイメージし、鍛錬する場でもあり療養の場でもあり創造の場でもある。

どっぷり潜りきるには難しい環境下で自分に潜る訓練、その訓練で、もしくは潜れたことで何かしらが動き出してく、その動き出したその先をも共に生活していく場所です。



どんな現象も思考も感情も動き、感じ、発し、体感している自分がココに在ることを知ることから。

知った先では瞬時に自分の意志で自由に、時に大いに迷いながら自分の今を選択し過ごしていく自分をみる。

ハッキリとした意識の中で自分の道を歩む自分をどう感じるか。その自分が好きかどうか。

気持ちいいのかどうか。


『自分の生』を創造していく暮らしをココに、

の想いです。


完結された一日、一瞬の連続が前後に繋がっていくような…そんな暮らしの場。



と、

言葉の説明はイメージ先行してしまいそうなので!

大それたことはしませんし、ありません。笑

私たちseimeeと一時的に一緒に暮らす、なだけの軽〜いお話です。笑


「今日は何する〜?」から始まる朝の会話。

今日は何をしたい、を感覚的に瞬時に。


今、自分はどうしたい、どう在りたい、と一旦立ち止まり悩んだり。時にはモガいたり。


何もしない日をつくる。

眠り続ける日だってある。


外側の流れがある中で、

瞬間瞬間を自分の意志で選び、自分の生を創る暮らしは『何か』の芽吹きとそれを育むエネルギーを大いに与えてくれます。


意識的に繰り返し習慣化することで、

考えなくとも自然に、そのまま行為に映し出されてく時が来る。

『ありのままの自分』として。

それが、ヨガと共にある暮らしから私たちが体得した大きな財産。


観る目を見開いたまま、

感じる心を、発する力を開け放ったまま、そのままご自身のフィールドで活かしてもらえたら。


すぐに活かせずとも、

記憶に残ることでいつか活かせる時がくることを私たちは身をもって体験しています。



そして、それぞれの暮らしの融合は私たちを、

何が起こるか生まれるかの未体験ゾーン、未知の世界へと導いてくれる。その融合なる瞬間を私たちもたくさん触れさせてもらいたいと思ってます。



ここで規律化しているのは、

体内排泄時間帯、朝一の白湯摂取と朝食摂取無し。

アシュラム同様、朝の祈りと太陽礼拝は必須。

その他、瞑想、ヨガ、楽器の練習、自己調整時間の確保は各々で、といった感じです。


アシュラムのように厳守すべき多くのルールや時間割はない、ホテルや旅館、民泊のようなサービスはない、施設だけ提供されるキャンプ場やロッジとも違う。

このスペースで過ごすことを自ら選んで来ること、そのこと自体を探ったときに何かに気づくかもしれません。気づかないかもしれません。



それはアシュラムもココも、旅することも新たな出逢いも同じ香りがする、私たちはそんな気がしています。


さて、

レバンタールアーカーシャご利用ご希望の方へ、

先ずは私たちと面識がある方を優先にご案内させていただきたいと思っております。

 

すでに私たちのスケジュールと相まって夏先まで空きのご案内が僅かな状況で、お問い合わせいただいてもすぐ直ぐのご案内は難しくご希望のタイミングと一致しないかもしれないので心苦しいですが。。。ご利用方法をお知らせ致します。



【 ご利用方法 】


1ご利用に付き、お一人様、一組、もしくは一家族のみの受付です。


seimeelifeのホームページに内

『contact / お問い合わせ』より、

レバンタールアーカーシャ体験希望のお気持ちをメッセージにてお願い致します。

https://www.seimeelife.com/top


また、

一緒に過ごすに当たり、私たちの茶番をご確認いただきたいのでYouTube登録・視聴を条件とさせていただきます。笑

(半分冗談、半分本心です)


https://m.youtube.com/watch?v=ruRNp6Vgua0


レバンタールアーカーシャのルールは、

上記、朝のルーティンと各々の自己調整以外、特に設けておりません。

その時々の現場の流れと成り行き任せ、基本的にエネルギー優先スタイルです。


こんな流れの日もある↓

 https://www.instagram.com/reel/CdgH1eNpTA1/?igshid=YmMyMTA2M2Y=

movie by haluちゃん


ご利用料金は、現状、

使用した食材、アクティビティ材料費等はみんなで等分、マッサージやヨガセッションご希望の際は別途料金いただきます。

朝の太陽礼拝参加費や滞在費は指定無しで進めております。


瞬間瞬間に生まれることを尊重し合える関係性を、その場にいるみんなが心クリアな空間を。

そんな気持ちをベースにご一緒出来たら嬉しいです。


新ステージのseimeeを、

今後ともどうぞ、どうぞよろしくお願い申し上げます。


 


【 おまけコーナー 】


現状、

レバンタールアーカーシャでは滞在のご利用を優先しておりますが、滞在ご予約が無い期間にマッサージ、ヨガセッションを受け付けております。

セッションご予約はHPよりお願い致します↓


https://www.seimeelife.com/com


面識ない方のご利用におきまして、

ひと時でもお互いを知り合う機会としてご案内前にワンクッション入れさせていただく予定です。

私たちのリズムとしてご案内がしばらく先になりそうですが、可能になりましたら詳細を告知致します。




いずれ、

アシュラム丸ごと貸し出しなどもやっていきたいな、と思ってるところ。

実際にやってみたことないこと、やってみたいことってまだまだいっぱいある。

多分、死ぬまでやりきれな〜い!!


namaste.






 

 

私のお母さんは陽気で天然。



好きなところがたくさんある中、

尊敬して止まないところはどんな時も自分をさておき相手優先なところ。

どんな時も。それでいていつも笑顔。


例えば、

大勢の食事の準備を一人でしている時、外野から声が掛かっても目を顔を見て丁寧に応えてくれる。

時にはピタリと手を止めて。

時には火も動きも止めて。座り込んで。

次から次に来る人を相手してく。

そんな母なので、父や周りからよく

「要領が悪い」だの「時間にルーズだ」と言われ続けてきた。

それに対して母はいつも

「ごめんなさい、私、トロいからぁ」と

肩をすくめながら恥ずかしそうに小さな笑顔で答えてる。



私が小学生の頃は、

同じ学年の仲良しママ友に授業参観で「ウチの子の様子も見てきて」と頼まれては引き受けていた。


mee: なんで引き受けたの?

母: 誰も来ない...って、あの子に淋しい想いをさせたくないがね。

と。

私はそこに『見返り』を見つけられない。


 

私の実家は父が長男なこともあり、

よく親戚や友人が集まって大勢で食事会や飲み会が行われていて、母はその日の大勢分の手料理の仕込みからおもてなし後片付け、その日飲み潰れた人が出たら寝床作りまで。

翌朝はみんながゾロゾロと起き出せば、炊きたてのご飯と温かい味噌汁を出していた。


今なら「旅館の女将か〜い!」と突っ込みたくなるようなそんな日常を、当時の父の生業だった畜産と農業を日中は一緒にやりながら家事と子育てをやりくりしていた。


今ならわかることの一つ、

母は大きな行事やミッションが終えると決まって、体調を崩し寝込む人だった。食べることが大好きなのに一切食べずに2〜3日眠り込み、その後、ケロっといつもの母になる。まるで動物。

無意識に心身の自己調整をしてたんだなぁと、この歳になって自分も同じ道に触れようやく腑に落ちる。

いや、私たちも自然界の生き物だから当然よね。



毎日、農畜産業で泥土塗れだった母はある時、

「キレイになりたい」と、

子どもを優先しながらできる仕事として突如始めたのがPOLAレディ。

小さなレディは、小さな事務所で好成績をあげ続け、トントン拍子に自店舗を構える流れとなり、最終、鹿屋市笠之原町の自宅隣に増設というカタチで、資金は母一人で工面してエステサロンを開業した。


自分が必要とされることにすべて応えて、自分のやりたいこともやる超スーパーウーマン!!

私も大人になったらスーパーウーマンになろう、とずっと思ってた。笑


そう、

そのサロンの一角にて、私たちseimeeは2019年、タイ古式マッサージ鹿屋の旗を挙げた、という。

スーパーウーマンには程遠いのっかり娘。笑



母と私の話。


私は中学の時、母の膝元で呼吸から離れたことがある。


3歳から小児喘息持ちで、

夜中の救急病院と吸入、毎週の注射と飲み薬漬けだった私は薬剤の知識を付けた後、喘息発作発症しながらも病院にお世話にならず、幼少期に通った喘息のための水泳教室で教わった呼吸法を軸に、その後のスイミングスクールや水泳部に通うことでなんとか乗り越えていた。



発作慣れしていた私の想像を越えてきたある日の呼吸困難具合いは、様子を見に来た母が慌てて膝元に抱き抱えてもガチガチに塊りきっていたようで、

そのどんどん丸まってく私の背中を母は自分の膝ごと抱えながら「美絵、美絵!呼吸!」

「呼吸して、呼吸してー!」と必死に背中をさすり続けてくれた。


いつしか苦しい呼吸とは裏腹に私の心は穏やかで静か、何かが遠のいていくような感覚になり。

うっすら遠くから

「ダメ、ダメよ、美絵ダメだってー...」と繰り返し泣いてるような震えた母の声がしてた。

 

いつしかすぅーっと私の意識は遠くへ飛んでったような、軽くなったような。

ふわふわと、浮いっちゃったような。。。

 

どのくらい時が経ったのかはわからないけど、

しゃくり上げるようなすすり上げるような泣き声が聞こえ始め、身体が重くなって呼吸が苦しくなった。

温もりある大きな何かが私を包み込み私の背中をさすってた。


母だった。

母が嗚咽しながら私を膝に抱え背中をさすり続けていた。

 

こうしていつもいつも母は、

私が発作を起こす度に一晩中背中をさすってくれて、側に居てくれて、声をかけてくれてた。

他にやらなきゃならないことたくさんあるはずなのに、疲れて眠いはずなのに、合間にあったかい手を当てに来てくれたり、私にだけ特別なお粥作ってくれたりリンゴすり下ろしてくれたり。

添い寝してウトウトしながら寝言のように

「代われるものなら代わってあげたい...」と呟いてたり。。。



苦しい時だけじゃない、

悲しい時も嬉しい時も母は私を抱きしめ、一緒に涙したり喜んでくれた。

いくつになっても。


いついつどんな時も、

母は私を気にかけてくれて、いつも私は母に包まれ、母に愛され、母の愛情でここに在り。

母が在って私がここに生きてるんだなぁと心に深く空に大きく広く感じてる。あの日からずっと。


 

私を産んでくれてありがとう。

愛情いっぱい与え続けてくれてありがとう。

あなたの娘でよかった、っていつも思う、いつもいつも本当にありがとね。


あなたのお母さん、ばあちゃんにもありがとう。


母の日エピソード、最後に。


母を悲しませることはあっても怒られた記憶が一切ない私。初の一人旅にインドを選んだ私に珍しく苦い表情を見せた母。


旅立つ間際に私は、

「私が悔いなく幸せに生きることが一番の親孝行だと思ってる」と両親に宣言し、母にハグしたら泣き崩れながら送り出してくれた。


そう、お母さん。

私はあれからずっと、今も、今この瞬間も幸せいっぱい満たされてるからね。


 

【 おまけコーナー 】

 

今年明けたくらいに、母がまるみえ日記を、

この記事読んだようで↓

https://ameblo.jp/kokopelli-record/entry-12716061753.html


私に向かってガッツポーズしながら

母: さすが私の娘だわ〜って思ったよ〜

と。笑


そしてドヤ顔で

母: この娘、私の娘よーーー!!!

って空に向かって両手広げて叫んでた。笑


ちなみに、

私が初のインド一人旅の時は

『子が戦場へ向かう親の気持ち』を味わってたんだそう。。。大袈裟!笑笑


わたしのおかあさんは、こんなお母さん。


残りの人生、自分のために長生きしてね❤︎

 

世の中の母へ、母なる大地へ、母という存在全てに尊敬と感謝を込めて。

お栗さんが斜め🌰向いとる!