では、こちらの記事はネタバレしていきます。
(書いている人間は、刀ミュ、これまでの作品は全て複数回観ている状態です。)
初日配信の後、劇場で観劇してきた感想です。
始まる前に、タイトル、出陣刀剣男士、時代背景、そしてビジュアル…と出た段階で、これまでの作品…特に江水を観た人間にとっては
「これまでのアンサー作品では」
という見立てになりました。
結果的には、その通りかと思います。
一体今、三日月はどこいるのか、
そもそも折れずにいるのか、
この本丸の始まりの一振りは、どの刀なのか、
そしてその刀はどうしたのか…
一部
最初から「三日月が出てきた…」
三日月を、実際の舞台でもライブ配信(壽除く新作ということ)でも、観たことがないままここまできましたので、「本当にいる」「ここにいる」でした。
暗闇に浮かび上がるのが美しいですね〜
屍の上に存在している三日月
屍から降りてくるけれど、それは本当の屍ではなくもしかしたらなにかの象徴なのではないか?もしかして蝦夷でもないかもしれず。わかりませんが。
象徴のような登場の仕方、最初の方は本丸の六振りとは違う次元にいました
六振りが出陣する時代
時代は平安時代が始まった頃
大まかな区分でいうと「古代」と言って良いいにしえ。
出てくるのは
蝦夷のアテルイ、モレ
そしてそれに戦いを挑むのは中央からきた坂の上田村麻呂。
名前だけは知っている、超有名人。
実際の人物像とか、時代が昔過ぎて、書物もどこまで信じられるのかわからない。
田村麻呂、今回の描かれ方は、人間味のある暖かい、でも蝦夷に肩入れするばかりではなく、政治や戦の役割を、しっかり分った行動をする実直な人物という感じ。
刀の点からも見る
まだ地方(今回は蝦夷えみしたち)の勢力は手刀というか、小刀よりは大きいまっすぐな刀。
中央の人たちが持ってきるのも、直刀。
刀剣乱舞では小烏丸、その前の七星剣あたりなのかな?と思います。
舞台の中でもしっかり直刀でした!(オペラグラスで小道具もお衣装も、しっかりがっちり拝見)
蝦夷の戦い、歌、生き様、描き方が見事で、中央との関わり方も「そうであったと思いたい」という形になっていました。
歌
考察の意味での「歌」はまた別として、
ミュージカル刀剣乱舞としての歌
そしてミュージカル
「これは、正統派のしっかりした作りのミュージカルだ」
と感じました。
書いている私は、ミュージカルに魅せられて舞台演劇から歌舞伎までを見るようになった人間なので、ミュージカル大好きです。
一体感のある歌声、
ずれつつ重なる歌声、
場面を美しく彩る歌…
そこにいない何かに語りかける優しい歌…
とにかくミュージカル!でした。
特に配信よりやっぱり劇場での響き方。
会場がビリビリ言うような、そんな響きでした。
セリフもですね。
当然見ている我々にもビリビリ、ギシギシと響いて染みてきます。
これは演出の茅野さんをして「ここまでの9年間は伊達じゃない」と言わしめる作品。
素晴らしい…
初日配信を観てる時点でも、こんなにも「すごい!」と思えるなんて、本当に稽古期間で積み上げに積み上げてきたんですよね。
これまでの作品と考えていく
鶴丸は、とにかく初期からの古参ということで、三日月との因縁がどう考えてもある!中で、今回の隊長。
飄々として、時に厳しく、時に煙に巻くような…
でも、審神者との話のシーンは、
「良かった…」
というひとこと。
そして、同じく古参の山姥切国広、三日月とのやりとり。
審神者の口から語られる「あの刀の話」
あの刀(今回言及されてないものの、一人称や特性から歌仙兼定であることが分かります)は、私にとっても特別な刀です。
(涙なしに見られない作品になったのは、そういうこともあります)
まず心覚のことから
心覚で、画面に映る三日月に対して向かっていく水心子のシーンがありますが、その答え合わせのようなシーンがありしました。
実際に三日月がいる状態で、
あの時、なぜ水心子が惑っていたのか、ふらふらと足場がしっかりしなかったのか、なぜ、三日月に寄り添う(思いを馳せる)ことを選んだのかが、分かる。
ここは私的には圧巻で、「見せてくれるんだ!」という喜びでいっぱいでした
歴代の主の元でしっかりと歴史を体感としても見てきた、経験してきた三日月。
その時代の技術を徹底的に学んだ江戸時代の刀工水心子正秀。
刀ミュではその二振を関連づけて物語の軸としたんですね…なるほど。
それそうとして、この本丸の話!まず鶴丸だ!
私はこう思う
鶴丸は、あいつ(あの刀)のことを一緒に思い出として語りたい
でも三日月は、三日月は諦めきれずに、そのかけらを探し続けてしまう
…なのかなあ?と。
「守っているつもりだ、俺なりにな」
ここは見る人によって解釈が変わると思いますし、あくまでも私は、ということです。
アテルイとモレが手合わせをするところへ重なるように、顕現したての三日月と鶴丸が手合わせする。
山姥切の歌が響く。
伸びる影、ふたつ…
…交わされた…
また歌声がとてもいい。
二振が楽しそうに、人間に例えるなら「青春」「学生時代」のような時間をすごしている。
そこに、伸びやかな山姥切の声が加わる。
これまでの作品やセリフを思い出し、配信でも泣けてしまったのですが、劇場だとまた、目の前に楽しそうな、にこやかに手合わせする二振がいる、本当にたのしそうに。
目頭が…
(見る人の年代によって、感じ方は変わると思います、私は自身の青春のころを思い出すような、「そんなころあったな、懐かしいな…」そんなは感じ方でした)
ちょっと長くなりそうなので次に続きます。