関東大震災に関しては、吉村昭氏の著作が良く知られているが、工藤氏の著作の方が「朝鮮人虐殺」に関して中立的な立場から述べていると思われる。例えば、吉村氏の著作にもあるが、震災後奇妙な記号が町中に記されていた事に関して、衛生公社によるものだと言うのはおかしい。わざわざ日本語でもない奇妙な印をつける必要は無いのでは。工藤氏の言う様に、日本人のしたことでは無いと思う。鮮人の放火計画だったのだと思う。
・不逞朝鮮人による皇太子(昭和天皇)暗殺のクーデター、日本国国家転覆を前提に、震災下での彼らによる、強盗、強姦、放火、殺人の蛮行は実際に存在し、これがそもそもの発端。
・自警団と不逞朝鮮人との争いが激化。遂に軍を持ってこれを鎮圧するに至る。異常な状況下、自警団の活動を抑え、鮮人と自警団との争いが拡大し皇太子に危害が及ばないようにする為、政府が苦肉の策として「朝鮮人による不逞行為は無かった」と発表。箝口令を敷き情報統制。国体維持の為止むを得なかった。
・その様な状況下で、誤解から善良な朝鮮人の犠牲は無かった訳ではないが、後日余りに桁違いの数がねつ造されるに至った。
・善良な朝鮮人も出来うる限り政府によって保護された。

工藤氏は、善良な鮮人の犠牲が無かったとは言っていない。その点で客観的中立的立場である。客観的立場を裏付ける根拠として、当時の朝鮮人の首都圏での人口など実際の数字を根拠にしている点も挙げられる。吉村氏などの著作では数的に矛盾があると。後年、その数が余りに多くねつ造されたとしている。
鮮人の犠牲に関しても、正当防衛により殺害された実際の不逞鮮人を被殺害テロリストとして数も割り出し、それを差し引いてある。多くの著書ではこの被殺害テロリスト数も虐殺数に入れられたと思うが。

兎に角、不逞朝鮮人の国家転覆の為の皇太子暗殺を前提とした、蛮行は存在し、放火などもあり、震災の被害は拡大、人々は恐れ、不逞鮮人との対立となった。行き過ぎた行為もあったかも知れないが、非常に異常な状況下、止むを得ない部分もあった。ただ、行き過ぎた行為に及んだ日本人は法の裁きを受けている
なお、震災当時は大正天皇が病弱の為、皇太子が摂政となり政を取り仕切っていた。政治的にも内外に不安定さのある国状であった。
日本人が震災下で勝手にパニックになって、根拠のない朝鮮人の暴動を作り上げ鮮人たちを一方的に虐殺したと言うのは誤解であると筆者は述べている。

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