人と会話していて思うこと | 私が親という役割を自覚するための道筋

私が親という役割を自覚するための道筋

機能不全家庭で育ち、人生に行き詰まっているのに、親になったらどうにかなると思っていた私が、自力ではどうにもならずに、カウンセリングとかコーチングで学びながら、少しずつ成長する日々を書いています。

こんばんは。

ココノコです。

 

よく人との会話で思うことは

「そんなもの自分で調べれば分かることだろう?」

ということです。

 

子ども同士の問題。

自分の子どもの行動が気になる。

自分が子どもにつらくあたってしまう。

 

こういう話ばかりしている人がいますが、

全部、親の責任で起こることで、

子どもの責任ではありません。

だけど、そう言う話を永遠としている。

子どもに問題があるように話をします。

 

私はこういう話を聞くと

親が自分自身の問題を子どもに押し付けて

根本的な問題から逃げているんだ

と捉えます。

 

この話、なんか意味あるの?と

考えます。

 

ママ友同士の話って、

自分の子どもがどれくらい劣っているか?

みたいな話をして、

自分の子どもを落としながら笑いを取るとか

だけど、すごく家では努力させて

裏ではマウントをとっているとか、

そういうことをしているように見えます。

 

子どものために

必死で自分を変えようするんじゃなくて、

人からどう見えるかを気にして

表面を繕ったり、躾けたりして

そういうことばっかりしているんだな、と

思います。

 

私は表面的なことにも

社会的なことにも

意味を感じることができなくて

身に着ける努力が出来ません。

どうしても出来ません。

それは流動的で、身につけても

意味が無いように思えます。

 

とにかくとにかく馬鹿らしいと感じます。

 

子どもへの心がない

「人に合わせないと死んでしまう」

くらいの恐怖で子どもを縛っている。

そこには心がない。

 

今の私は人に合わせなくても

死んでしまわないのですが

見捨てられ不安が残っているので、

かなり不安を感じます。

 

ああ、嫌だな…。

なんで毎回合わない人と関わってしまうんだろう。

そしてわざわざ嫌われてしまう。

目立ちたく無いのに、わざわざ話をしてしまう。

 

下の子が苦労しないように

強くならないと。