こんにちはmiinaです。

 

 

 

前回の記事の続きのような感じで



私が両親との関係で

20年もの期間悩み、生き辛さを抱えてきた

理由というか、その育ちを

晒すみたいになってしまうかもしれませんが

書いてみようと思います。

 

 

 

読んでいて苦しくなる方もいるかもしれません。

そう言った方は途中で

このブログを閉じてくださいね汗

 

 

私は、3人兄弟の真ん中。

2つ上の姉と4つ下の弟がいて

おじいちゃんおばあちゃん、

おじさんも同居していました。




家の中はどこに居ても人がいる感じで

唯一の1人時間はトイレの中。

なので、実家のトイレは無性に落ち着きます泣き笑い

 

 

 

私の育った環境と家族構成で

周りから見ると、なんら問題のない

家族に見えていたかと思います。

 

 

 

早速本題ですが、

私が一番傷だと感じているのは

両親との関係です。

 

 

 

母は趣味の合う姉をとことん可愛がり、

祖母の後継を産め!と言わんばかりの

発言の中第二子の私は女の子。

 

 

 

時代的ですが、母は残念な思いも

きっとあったでしょう。

そして4つ下に待望の男の子。

 

 

 

私は愛情を感じることのできないまま

大きくなり、おじいちゃんおばあちゃんに

懐くようになりました。

 

 

 

かといい、おじいちゃんたちも

後取りの男の子が可愛くて仕方ないのが

近くで見ていてひしひしと伝わってきました。

 

 

 

私は、寄ってきたらお小遣いを与えて

ジュースを買いに行ったり

マッサージをお願いされたりしてた。

 

 

 

それでも私は両親よりは

信頼していた。。。

 

 

 

父はとっても厳しく、

昭和を代表したかのような親でした。

 

 

 

朝ご飯にパンを食べていたら

「日本人の朝ごはんは、米に味噌汁だ!」

とか言う堅物ですw

 

 

 

と言っても、姉や弟は許されても

私にはとても厳しかった。

(今兄弟で話してもみんながそう言うほど)




そんなの、理不尽でしか無いよねショボーン

 

 

 

ただ、父の神経質さに似ていた私は

父に期待されていたようで

そこから来る厳しさだったと

高校生ぐらいに母に話をされました。

 

 

 

でも、そんなのたかが10歳ぐらいの子には

知る余地もなくただ父が怖かった。

 

 

 

私は父が帰ることがわかると

逃げるように寝室やトイレに行っていました。

 

 

 

私が小学4年生になるころから

父の説教が度々続きました。

次の日が学校なのに夜8.9時から

1時間から2時間の説教。

 

 

 

もう何を言われているのか

訳がわからなかったことを覚えてます。

 

 

 

ただ、その説教を受けるのはなぜか

兄弟で私だけ。

 

 

 

そんな状況を見ている母は何も言わず

ただ時間の経過を待っていた。

 

 

 

体力の限界で眠気が見えると

さらに怒られたし、

何で怒られているかわからない状態で

父の質問の返答ができないと

さらに怒られ冬に薄着で外に出されたことも。

(今では立派な虐待だと言われるでしょう。)

 

 

もう1つ今でも忘れないのは

食事の特訓。。。

 

 

 

今思うと、食事の訓練?何それ?

って感じですが、




私は食が細く、食事にどうしても

時間がかかっていました。

 

 

 

それを見た父が、

食べる練習だと言って

ラーメンどんぶりに山盛りに白米を入れ

私に何分以内に食べろ!

できなかったらもう一回だ!

 

 

 

という謎の練習w

これも立派な虐待だと思う。

 

 

 

それも母は見ても何も言わない。

 

 

 

今時代で言うと虐待レベルな気がしますが

当時は虐待と言われていたのは

身体的なもの(暴力)が主なものだと思っていたので

自分が虐待のようなものをされているとは

気が付かず、母も口を出さず、

ずっとその行為を受けていました。

 

 

 

説教も食べる練習も

とても苦しくて、

でも、誰も助けてくれなかった。

 

 

 

孤独で暗くて、ただただ父の気が済んで

終わるのを待つ。

 

 

 

そんな小学生時代を過ごしていました。

 

 

 

中学生になってからは、

部活が始まり、その関係やポジションのことで

「お前が悪い」と言われ続けた。。。

 

 

 

口をひらけば

「みんなを引っ張っていけないお前が悪い」

「なんでそのポジションなんだ?」

「なんでリーダーになれない?」

 

 

 

厳しい部活に入り、それたけでも大変でしたが

愛を感じる指導に違和感はありませんでした。

 

 

 

ただ、父からは違和感しか感じなかった。

なんでそんなにも認めてもらえないのか?

 

 

 

そんなに私はダメなんだろうか?

 

 

 

褒められるためにやっているわけではないけど

なぜそんなにも

ダメ出しされなければならないのか?

 

 

 

疑問を感じていても父の圧に

言い返すことはできませんでした。

 

 

 

同じ部活にいた姉は

そんなこと言われていなかったのに、、、

 

 

 

やっぱり私は可愛くないんだ。

もしかしたら本当に拾ってきた子かもしれない。

 と思ったこともありました。


 

 

高校生になると父を避けて

話をする機会も減りました。

 

 

 

また、母は私は送迎しないけど

姉にはする。

 

 

 

どう見ても不公平な家庭だと

ようやく強く感じるようになりました。

 

 

 

お弁当も朝早くて無理だから自分で作ってね

と言われ、高校は自作のお弁当です。

 

 

 

5時45分の電車に乗っていた私は

4時に起きてお弁当を作り

自転車で駅に向かう。

 

 

 

そして、私のお弁当の残り物を

姉と母は持って行っていたのです。

 

 

 

あれ?それなら夜におかず少し作っておいてよ!

ってなりません?

 

 

 

そう提案して

やってくれたのは3日ほどw

 

 

 

そして、ある日お弁当を詰める私を見た父が

冷凍食品を禁止したのです。

あの時は絶望だった悲しい

せっかくの時短が…


 

 

元々少ししか使ってなかったのに

禁止でどれだけ大変か、、、

 

 

 

じゃあ作ってよ!

と言いたかったけど、

もう会話ができないほどの亀裂があったため

私は黙って従いました。

 

 

 

これが高校生までの両親との関係。。。

 

 

 

続きは長くなりそうなので

次回の投稿にしようと思います。

「両親との関係vol.2」

 

 

 

苦しさもまだありますが、

よかったら見てください。