8月までは体も頭もしっかりして元気だった父。
9月になったら急激に衰えてきて、話しをしていても受け答えがぼんやり、何度かふらついて転倒してしまうので「見守り強化」の情報共有をした矢先の入院だったそうです。
「あまりに突然なので、スタッフの間でも驚きとショックがあるんです。毎朝体操に来て、入居者の皆さんと出掛ける時もしっかり歩いてたんですよ。
○さんは入居者の中で、数少ない心身両方にしっかりしていた方だったから・・」
さて、片付け(今回は主にゴミ出し)をするため部屋に入りましたが、以前はマメに掃除をしてキレイに使っていたという部屋ですが、さすがに汚れが気になりました。
仕事をしていた頃に使っていた机がありました。上が乱雑になっており、物事の判断が出来なくなっていたことが確認できる様子でした。
物の間から見えた、父の筆跡。
ホームに入る前、近所の人たちに「家族に捨てられた」と言っていたそうです。
父は気性が激しく、物心ついた頃から母にも子どもたちにもキツく厳しく、家族でいるのが辛い毎日でした。
家族でないと体験しない、わからない経験がありました。
離れてみると和らぐ感情、日々発生する様々な反応がなくなると互いに楽になる。
そういう相性の相手は、血が繋がる間柄でもあり得ると思います。
私は実家を出て家賃を払うようになり、少しだけど部下ができて、世の男性の厳しさ(守るべき家族がいる稼ぎ人という役割や、社内の立場。部下がいればその後ろに彼らの家族がいる)を知った頃、もしかしたら父はプレッシャーやストレスに弱かったのかな、だから(不適切とは思いますが)吐口として家族に当たっていたのかな、と思うことがありました。
親も私たち子どもも歳をとり、やっと私も過去を違う時点で検証出来るようになり、だけど怖くて会えなかった。
1年前にも異変の兆候が出始めた連絡があり、勇気振り絞り会いに行った時の父は、私が誰か分からなくなっていました。
そこにいたのは、私たち家族の知らない穏やかな笑顔の、観音化した父親でした。
家具の配置から、部屋にいる時間の長くをその机に座り過ごしていたと考えられます。
先のメモの横、座ると目に入る位置にもう一枚ありました。
この言葉が有名なものなのか、誰かが本に書いたものか、法事の時にお寺で聞いたものか、父が自分でそう思い書き留めたものかはわかりません。
どうであれ、あの激しい性格の父がこういう内容を、毎日何時間も目にする場所に置いておく心境になっていたことを、このような形で知りました。
たぶん、何度も自分に言い聞かせてきたであろうと思います。
私以外の親族が掃除に入り捨ててしまうことを避けたかったし、それなら私がもらっておきたかった。
だから持ち帰ってきたのですが、次の掃除のため神奈川へ行く時に、父の残す荷物の中へ戻そうと思います。
病院の治療のおかげで回復し、現住所のあるホームには戻れない見込みだけど、きょうだいが新たなホームを見学しているし、新たな生活が始まっても馴染みのあるものがあったほうがいい。
私の自己満足なんかより、その言葉を大切にして生活していたであろうことを思えば、机は処分するけれど、何処か見えるところにその言葉を置いておくほうが良いと判断しました。
また時間をやり繰りし、なるべく早いうちに、父のもとへ返します。