精神が不安定な時にどうすればいいのか考えてみて、私は未だに十代の頃の感覚を引きずっているなと気づきました。

(結婚して子育てしてもほぼ何も変わっていない)


すると十代の頃聴いていた、クーラーシェーカーというアーティストがふと思い浮かびSpotifyで聴いてみることにしました。



今聴いても結構良くて聴き入ってしまった。

すると、あることに気がついた。

洋楽は日本語じゃないから音楽だけで純粋に耳に入ってくるけれど、昔聴いていた日本人のアーティストを今聴くと結構恥ずかしい気分になったりする。

十代の頃自分に刺さっていた曲というのは四十代ではさすがに刺さってこない。


なぜ日本ではこんなに恋愛の歌詞ばかり描いた曲が流行っているのだろうと十代の頃考えていた。


歌詞も曲も良いと言われ流行っていた、浜崎あゆみも宇多田ヒカルも西野カナも残念ながら歌詞だけは刺さってこなかった。

私は恋愛経験が少ないからだと思う。


当時、なぜ世の中の人はこんなに四六時中恋愛の事ばかり考えているんだろうと思っていた。

カラオケに行っても、曲は好きなのに歌詞が恥ずかしくて歌えない曲ばかりだった。


令和の今は、恋愛至上主義の人達が少なくなってしまったようで、恋愛を描いた歌詞がかなり減ってきたように思います。

代わりにアニメかゲームの世界のような、(私には)意味がわからない歌詞も流行っている。


10代の頃、あるロックバンドの追っかけをしていて、出待ちしたり、ライブハウスなどで最前列を狙うぐらい熱中していたので、未だにロック音楽を聴くとゾクゾクする感覚があります。


去年スラムダンクの主題歌になった、テンフィートの第ゼロ感という曲を初めて聴いた時などは、昔聞いていたあのゾクゾク感が蘇ってきたような気がしました。


もう一度聴きたいと思い、ネットで検索をかけると、“第ゼロ感 歌詞 ダサい”という検索ワードが上がっていた…。

映画の主題歌にも抜擢されているし、紅白にも出場できるぐらいの知名度で、私もギターのフレーズが凄くかっこいい曲だと思っていたのに、世間の人にそういう見方をされているというのは、なんともやるせない気持ちになりました。


昔追っかけていたアーティストの曲を、最近出たものを聴いてみようと思ったら(その人は)還暦近くにもなって、まだこんな歌詞を書いていたのかと愕然として直ぐに聴くのを止めました。


もしかしたら、昔ヒットした曲にしたがって歌詞を書いたら、もう一度昔のファンが戻ってくるかもしれないよ、という周りからの圧力に負けてしまって、そんな歌詞を書かざるを得なかったのかもしれない。

でもまあどちらにせよ、元彼の蛙化現象のようでした。


先日、水曜日のダウンタウンで清春の最新曲を耳で聴いて歌詞を書き起こすまで帰れないという企画をやっていました。

清春の歌い方は昔から歌詞が聞き取りにくくて有名だったので、それを逆手にとった面白い企画でした。


本人も了承の上で出演し、清春本人も「今の若い子が書くような言葉を使っていない」と言い切っていて、歌詞解明に広辞苑が役に立つぐらい短い言葉の中にも深い意味が込められていた。


年月を経ても残っている人というのは、歌詞にもそれなりの意味を込めているのだなと知りました。


もしかしたら清春さんは、良い歌詞を書いているのにわざわざ聞き取りにくく歌うことで、

歌詞好きにも曲好きにもどちらにも刺さるよう

、どっちでも良いような歌い方にしているんじゃないかと思いました。



トリアエズワタシハブログヲカイテ、

モウスコシニホンゴウマクナリタイデス