(前回の続き、1980〜1990年代)

小学校では誰とも話さず、友達も一人もできない当時の私でしたが、家では結構充実していましたおねがい


絵を描いて、紙粘土をこねて、折り紙を折って、TVを見て。

図書館でユニット折り紙の本ばかり借りては、箱物の折り紙ばかり折っていました。


当時流行っていた『粘土でアクセサリー』の粘土は高いし別売りのものまでおねだりできないので、すでにある型を使って、紙粘土で色々増やしてみたり、また紙粘土でミニチュアの料理のような物を作っていました音譜


飼っていた犬やインコと遊んだり、田舎なので虫を観察したり。

ありの行列をみつけては、行列をたどって巣を発見して喜んでみたり。みの虫の中の虫をだして、色紙の上にのせて置くと、色紙の簑を作り出すので。かわいーと言いながらまた自然に返したり。





それでも、他の人よりも考えて動くのはスローなので、かけた時間の割にはそんなに大作はできなかったです。



母は仕事や家事が忙しく、口を開けば小言ばかりえー

父は積極的に子供と係る人ではないので、実の両親なのに、まるでおじさんとおばさんみたいな距離感でした。


ですから、私が家族で信頼していたのは祖母だけでした。


祖母は料理も裁縫も得意で、私の好物の鶏の照り焼きを作ってくれたり、私と妹のワンピースを作ってくれたりもしましたキラキラ

なおかつ余った端切れで当時流行っていたジェニーちゃんの服まで作ってくれました。かぎ編み針でジェニーちゃんの帽子も作ってくれましたラブラブ!




祖母は、忙しい両親の代わりに、百貨店まで電車で連れて行ってくれる事がありました。

量り売りのお菓子やら、母は絶対買ってくれなかったクレープやアイスキャンデーを買ってくれました。


土曜の夜は休み前なのに、両親といるとなんだかリラックスできないので、離れにある祖母の部屋に行き、祖母の布団に潜り込みながら、祖母が好きな世界ふしぎ発見を一緒に見ました。

私にとってはシェルターのような役割でした。


昼間は、母に代わって祖母が家に居てくれたので、再放送の刑事ドラマを一緒に見ました。


ドラマにはさほど興味はなかったものの、祖母との時間の共有が、その頃唯一安心できる空間だったのです。


母も祖母も、もちろん父も、私の学校での様子を聞いてこなかったので、私に友達がいない事には全く気づいていないようでした。

成績も、小学校の頃は問題なかったし、学校も嫌だけど毎日通ってたので、むしろ問題のない子だと思われていたはずです。