今開催中のパラリンピックですが、開会式に場面緘黙症(かんもくしょう)の女の子が聖火ランナーとして選ばれていた事をニュースで知りました。
場面緘黙症という言葉は、三年くらい前に世界仰天ニュースで知りました。
TVを見ながら、「外で一言も話せないなんて、可哀想だし、生活困るだろうなぁ。友達とかどうしてるんだろう」と思ったのですが、
…後でよく考えたら、私も子供のころ、この場面緘黙症の方と全く同じ症状でした。
家では普通に話せるのに、同い年の集団に入れられると、何を話して良いかわからずパニックになるのです。
それで、周りの子も私が話さないものだから面白くないし、気づいたらいつも一人で過ごしていました。
保育園〜小学校三年生くらいまでで、比較的軽度だったので、大人になるとすっかり忘れていたのです。
今で言う、『ぼっち』というやつですね。
「私は小さい頃、友達が全くできない変わったヤツだったんだよなぁ。」
…と、大人になっても自分を攻め続けていました。
なかなか、そんな恥ずかしい黒歴史(と思い込んでいた)を、人に話そうとはしませんでした。
当時の最低限のコミュニケーションのとり方は、うなずくか、首を横にふるかのイエスかノーだけ。
いつも一人で戦っている気がして、保育園も小学校も、いつも怖かったです。
しかし、学校は絶対休んではいけないという親子の暗黙のルールがあるので、嫌嫌ながらも毎日通いました。
皮肉な事に、体は健康体でほとんど病気でお休みする事はありませんでした。