Mallowさんがきっかけで関心を持つ様になった古代エジプト第3中間期・第21王朝のアモン大神官(大司祭、大祭司)ファミリー。
この時代で関心のある登場人物は何人かいるのですが、今回はエジプト考古学博物館に展示されている中で(今の所)1番私が撮影した遺物が揃っている、ネシコンスさんをご紹介します。
メインブログの記事:エジプト考古学博物館~第21王朝のネシコンスについて~
メインブログではこちらの記事よりも写真多めでご紹介していますので、興味のある方はこちらも見てくださいね
今回の記事でご紹介のネシコンスさんはこちらの方。
エジプト考古学博物館に展示されている、ネシコンスの棺の顔は凛とした表情で、クールな女性の雰囲気が漂っています。
このネシコンスのファミリーの家系図はこちら。
ネシコンスについてのウィキペディア(この記事はこのウィキペディアを参考にして書いています。)
そして私の記事よりも更に詳しく、ネシコンスの記事をbastetさんが書いていらっしゃいます。
bastetさんのブログ記事~ネシコンス(ネスコンス)さんについて詳細~
こちらも合わせて是非ご覧くださいね
ネシコンスは、父スメンデス(=ネスバネブジェデト)2世と母タヘントジェフティの娘で、叔父であるパネジェム2世の妻となり、日本ではメジェド様で有名なグリーンフィールドパピルスの持ち主である、ネシタネベトイシェルの母となった女性です。
ネシコンスは夫のパネジェム2世との間にチャネフェルとマサハルタの息子2人、そしてイタウィとネシタネベトイシェルの娘2人、合わせて4人の子供をもうけました。
ネシコンスのミイラは、夫パネジェム2世と一緒にデルエルバハリのロイヤルカシェDB320墓で、1881年に発見されました。
ミイラを収めた棺は元々パネジェム2世の姉妹で第1妃であった、イセトエムケブDの為に用意されたものだったそうです。
また埋葬されたのは、サーアモン(=ネチェルケプルラー・セテプ・エン・アモン・サーアモン※シアモンとも表記されますが名前の意味がアモンの息子と言う意味なので、私はサーアモンと書いています。)の治世5年とウィキペディアでは書いてありましたが、この時代は王朝がタニスとテーベで同時に発生していて、サーアモンはサーアモンはタニスの王朝のファラオ。
ネシコンスの棺(の蓋)はエジプト考古学博物館の2階、夫のパネジェム2世と娘のネシタネベトイシェルの棺のすぐそばに展示されています。
そしてこの美しいのそばの通路に、棺本体と内側の棺が展示されている事に先日気付きました。
過去に何度も訪れたエジプト考古学博物館ですが、この棺が展示されているエリアは今までただ通り過ぎるだけでした。
で、ネシコンスの別の棺が、上の写真の棚のひとつに展示されています。
第21王朝に興味を持ってから、この棚の前も何度か通っていたのに、何故か目を向ける事もなかったのですが、先日訪れた時に何故かすごく明るく光って見えて呼ばれている様な気がしたので(←危ない。。。笑)、棺の説明文を見ていたら・・・
何となく心惹かれてしゃがみ込んで見た棺。
説明文を見て「あ、ネシコンスの棺こんな所にもいたーーー」ってちょっと感激。
外側の棺本体に、内側の棺&蓋がセットされて展示されていました。
ネシコンスと言う名前の女性は他にもいるのですが(娘のネシタネベトイシェルの娘=ネシコンスの孫も同じ名前)、パネジェム2世の妻と書いてあるので、孫の方ではなくこの記事の主役のご本人です。
ネスコンスの棺が展示されているお隣の棚には、娘のネシタネベトイシェルの棺が展示されています。
そしてエジプト考古学博物館には、ネシコンスのパピルスも展示されています。
以前は階段踊り場にあったらしいですが、現在はパピルスの展示室に展示されています。
パピルスの詳細写真は、メインブログでどーぞ♪
そしてbastetさんのブログでは、ネシコンスのパピルスについて更に詳しい説明が書かれているので、是非ご覧ください
このパピルスで唯一のヒエログリフはこの2行だけ。
左にいる黒い顔の方はオシリスで、「オシリス、西方の第一人者」と書かれています。
右側のネシコンスの姿は、お顔の部分が黒く変色していて可哀想。。。
両手を挙げているのは、オシリスへ祈りを捧げるポーズでしょうか。
そのネシコンスの前に「オシリス・ネシ(イ)コンス・マア・ケルウ(オシリスの元で声正しき者。ネスコンス)」と書いてあります。
声正しき者(マア・ケルウ)と言う言葉は、女性の場合は女性形のtが語尾についている事もあるのですが、ネシコンスのパピルスは女性形ではなく男性形のままになっています。
人間は死後オシリスになるから、女性でもオシリス=男性だから?
でも女性形になっている事もあるので、その違いは何?
ヒエログリフは奥が深くて、まだまだ勉強する事が山ほどあります。
そしてネシコンスの名前の表記ですが、パピルスの名前はネスの文字の後に羽2枚の(y)の(※省略形)が書かれているので、名前の読み方はネスコンスと書かれている事もありますが、私はネシコンスと書いています。
●追記:
ネシコンスのパピルスはルクソール博物館にも展示されていて、Mallowさんのブログで紹介されています。
エジプト旅行 2019 回顧録 ⑩ネシコンス写真集 ^._.^
ネシコンスの横たわった棺もキレイな写真で紹介されていますので、是非ご覧ください。
さて、ネシコンス関連の遺物は棺とパピルス以外に、ネシコンス自身のミイラもエジプト考古学博物館のミイラ室に安置されています。(エジプト文明博物館へ移送される予定です。)
ミイラ室内は写真撮影禁止なのですが、夫のパネジェム2世のそばにネシコンスは安置されていました。
ネットで検索すると色々とあったのですが、その中でも1番可愛く写っている写真をご紹介。
ミイラの状態でも、若い女性だと言う事が分かるネシコンス。
実際にミイラ室でご対面した時、髪に撒かれていたリボンが可愛くて思わず「ネシコンスちゃん、可愛くしてもらってて良かったね。」って話し掛けてしまいました。(←やっぱり危ない人?)
でも他の女性のミイラの髪にはリボンとかは巻かれてなくて、ネシコンスのミイラだけだったのと、ミイラからも可憐な女性だった印象を受けて、ちょっと感動したんですよねー。
ネシコンスのミイラの髪には白髪が見当たらなかった事から、またネシコンスは妊娠しており出産の際に命を落としたと思われる事から、かなり若い年齢で亡くなったと思われます。
(夫のパネジェム2世よりも先にネシコンスは亡くなっています。)
4人の可愛い子供と、お腹の中の赤ちゃん、そして愛する夫を残してこの世を去らなければいけなかったネシコンス。
そんなネシコンスが不憫で何だか可哀想な気持ちになってしまいますが、きっと夫や子供達から愛された幸せな人生だったと思います。
そして博物館にはどうやらネシコンスのステラもある様です。
写真はウィキペディアのものですが、周りの感じからエジプト考古学博物館に展示されているっぽいです。
ちなみにこのステラのネシコンスの「声正しき者」はちゃんと女性形になっていますよね?
(タイトルは女性神官と、オシリス、アモンラーの偉大なるハーレムの長と書いてあるみたい)
次回博物館を訪れたら、このステラを探してみたいと思います。
見つかるといいな~。