みなさん、こんにちは!
いつも、ブログをお読みいただいて
ありがとうございます😊
hspで
肯認学〜ラヴァブルワールドメソッド®︎〜
九州校インストラクター瀬戸みゆきです。
自分が自分を大切にすることを知れる❣️
肯認学ラヴァブルセッションのご案内は
こちらからどうぞ

60分セッションは
残席4名さまとなりました❣️
ありがとうございます♡
さて前回の
プロフィールの続きです。
(まだ続くよ)
しんどかった時のことも
ほぼ書いてあるから
重たいのが苦手な方は
スルーしてね!
1990年
商業高校卒業後
地元の中小企業に
事務員として勤める。
1991年~1995年
ある夜
母が
突然起き上がれなくなり
検査の結果
「脳膿瘍」という病気で
腫瘍の場所が悪く
手術もできず
半身マヒ状態になった。
1年間病院を転々として
病院でわたしより
体重がある母を1人で
病院で風呂に入れていた
時期もあったよ。
死にそかったー

3回めに転院した病院で
ある日看護師さんに呼ばれて
ソーシャルワーカーの先生が
「あるお部屋に来てくださいと
いわれてますよー。」
という連絡をいただいた。
ソーシャルワーカーの意味も
わかってなかったけど
母についてのお話だろうと
思っていたんだけど
実はわたしに
向けてだったようで
部屋に入った途端に
「大丈夫?」て声をかけられて
最初何のことか
わからず
???だった。
また
「あなた、大丈夫?」
と言われて
一気に張り詰めていたものが
解き放たれたかのように
わたしは、わあー‼️と
声をあげて泣いていた。
自分でも
なぜ泣いているのか
その時はわからんかった。
でも、涙が止まらなくて
机にうつ伏せたまま
泣きじゃくっていた。
いまだったらわかるよ。
幼い頃から感情を
抑えて生きてきて
(環境的にも抑圧があって)
19歳のわたしも
かーちゃんがいきなり倒れて
いままでと
同じじゃなくなって
本当は悲しかった

悲しくて悲しくて
たまらんかった

けど
悲しみを感じていたら
ひたっている場合じゃなくて
本当に
こらえてこらえて
感情を抑えつけることで
バランスを保とうとしてた。
いきなり180度変わった
現実の中で
がむしゃらに
自分のことも
仕事も
母のことも
うちのことも
それ以外も
背負って背負って
背負いまくり生きてたから。
そんなわたしに
先生は優しく
「またいつでもおいでね!」
と言ってくれた
すごく嬉しかったし
ありがたかった

わたしは
わたしのがんばりを
わかってくれる人がいた!
理解してもらえたんだ!
その喜びを実感して
それが力になり励みになり
辛くとも
がんばれる!と思ったんだよ❗️
よくわからんかったけど
決心したように思うよ。
この後も
かなりの辛さだったけどね

実はこの時に
わたしも
ソーシャルワーカーさんのような
仕事がしたいと
一瞬思ったの





誰かの心を
少しでも
楽にするお手伝いがしたいと





当時はセラピストという
仕事があることを
知らなかった。
でも思い返してみたら
この時に
心の仕事をしよう!と
決めたなと思うよ♡
そこからが
長いけど

今日も自分に優しくいこうね
