ボラバスの皆様へ | 【心声(ココヘ)プロジェクト】

【心声(ココヘ)プロジェクト】

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今日の「正義」が明日の「悪事」。明日の「悪意」が未来の「正論」。
今を生きる人が為すべきこと。「今」を「未来」に繋ぐこと。

昨日、いつもステッカーを置いてもらっている社協さんより
「ステッカーがもうないよ」
と連絡を戴きまして、今日中(5月19日)にまとめた枚数を持って行く約束をしていました。


まとめた枚数がステッカー50枚しかなかったので、さきほど社協さんに持って行ったところ。
「自分で売ってみぃ」
となり「ヒイー」となってしまいました。

最近は社協さんで活動することがないので(お世話になってるくせに)、
なかなか……
一緒に作業したわけでもない社協さんのボランティアさんに「物売り」するのはなあ~……
……という感じだったのです。

なのでこれまでボラバスさんに直接乗り込んで
ステッカーの紹介をさせてもらう事はなかったのです。

いつもはアミー号専属ガイド的なMr.SMZさんが助けてくれますが^^
Mr.SMZさん、いつもありがとうございます。笑

今日、もしかしてブログに遊びに来て下さる方がいるかな~と思い、
心声(ココヘ)プロジェクトのこれまでを書いてみます。↓


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私は2011年9月までは社協さんのボランティアとして
花釜・山下駅周辺・坂元で泥掻きボランティアをしていました。


7月末、それまでくすぶっていた【心声プロジェクト】を本格的に始動しました。
(……とはいえ、1人プロジェクト)

バスの中では詳しく説明する時間はなかったのですが、
今日、ステッカーご協力いただいた方の中で
電子書籍作品の存在も知っていただけると嬉しいです。


【心声(ココヘ)プロジェクト】-心声―表紙

『心声―ココヘ―』


これは、

■気持ちを外部に発散する
(文字を書く・自分の気持ちを活字(目)で見る)

■メディア報道の少ない山元町の「生の声」や現状を知って欲しい

ということで町の方々に協力していただき、ひとつの形になったモノです。
当時は大都市名の報道がどうしても優先されてしまい、
小さな町の報道や状況はなかなか(調べなければ)目につくことがなかったのです。


この活動は、2011年4月にボランティアを始めた頃から「絶対やる」と決めていたものです。
これも、作業で出逢った多くのボランティア仲間や知り合った町の方々に協力していただき、
ようやく形にすることができたものです。


辛い状況を「文字」という目に見える形で記すことは、とても大きなストレスにもなります。
それは私も知っています。
けれど、私は「書くこと」で自分を見つめ直したり
まとまらない自分の感情や状況を把握するツールとして
「文字を書く」と言うことを大事にしています。

私は言葉や文字が大好きなのです。


そんな、ストレスの大きい「感情を書く」という行為に、
町の方々は協力してくださいました。

なかなか動ける時間もなかったのですが、
ボランティアの人数の多い土日を利用して町の方に会いに行ったり、
作業時間が終了してから町の方に会いに行ったり。
そこでお話し下さるものは、とても辛い話ばかりでした。


話して下さる方も泣き、私も泣き、
だけど
「ツラいからこそ、伝えたい」
と仰って下さる町の人達がたくさんいたのです。

そうして9月に完成したのが
電子書籍『心声―ココヘ―』でした。



その収益は、これまでなかなか足を踏み入れることが出来なかった
「磯浜漁港へ」としました。

それまで、なかなか漁港へ向かうことができませんでした。
理由は一言では言い得ません。
ですが、「勇気」がなかったのです。

制作費を除く収益は全て募金、というように銘打ってあるのですが、
私が考えてもこれは「被災地商売」です。
批判があってもおかしくない。
反対があってもおかしくない。
震災に乗じた商売。

……等々、絶対言われると思ってました。
しかし、募金作品を制作・販売をはじめてからも
そのように言われることが今まで1度もありません。

それが、本当は、私自身不思議でならないのです。


私だったら、
「うちの町のこと何にもしらねーくせに他所から来たヤツがそんなモンつくってんじゃねーよ!」
って思うだろうから。


だから、そういう風に思われても仕方がないと思う反面、
言われないことが不思議だったりします。
(いつ言われてもおかしくないとも思っていますしね)


そして、9月以降は宮城県漁業協同組合 山元支所さんに相談させてもらったり、
はじめて、港に2泊3日で(突然)押しかけてみたりしました。

募金作品の収益より旗を贈ることを決めたにもかかわらず、
旗を贈る相手(漁師さん)や、その人達の仕事(港や船のこと)を全く理解していない状況で
押しつけのように旗を贈るのは「ちょっとどうなのよ?」……と思ったからです。


漁師さんからは
「変な女が来たぞ」
と思われていたようです。笑


その後は
2011年 10月28日~12月28日
2012年 1月26日~3月26日まで港で一緒に作業させてもらい、

(現在、漁師さんたちの仕事の日には毎日港で一緒に作業をさせてもらっています)



その後、電子書籍では目標額に達成しないことからステッカーを作りました。

ステッカーを大々的に販売し始めたのは11月23日からです。
今日で、またしても私の手持ちステッカー在庫もほとんど無いのです。
これまで、ステッカー制作した枚数は、

今回の手持ちが全て放流されれば




1600枚!





1600枚が全国にばらまかれた(笑)ことになります。

車に貼って下さる方や、
会社のホワイトボードに(そーっと)貼って下さる方、
友人に配ってくれる方など、
沢山の方々の手によって山元町の名前が広がっています。

また、電子書籍のことやステッカーの拡散ツイートをしてくださる方々がたくさんいるので、
募金作品が購入されることはなくとも、何かあったときに
「宮城の山元町? 聞いたことあるな」
と反応して下さる方々がいれば、それだけでも私は嬉しいです。

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今日も沢山の方々のご協力に感謝します!


■神奈川災害ボランティアネットワークの皆様
■いちご農家作業ボランティアをなされました群馬ナンバーの【MIRAI・足利風】バスの皆様
■いつもおなじみのアミー号の皆様


本日だけで、69枚+8枚のご協力をいただきました! また、募金のみ(小銭入れをひっくり返して下さった方! ステッカーをもってるのにさらにお金を下さった方!)も本当にありがとうございました!






これまで、ボランテイアの方々には私が予想していた以上の募金を預からせていただきました。予想外なのは、山元町に住む人・山元町を離れてもステッカーを購入してくださる方々がいらっしゃることです。


町の景色である港、町の名産であるほっき貝をはじめとした海産物の復活を為してくれるのは、
行政でも役場でもなく復興団体でもなく、他でもない漁師さんたち。

そんな漁師さんたちの活動環境が、
少しずつでも良い方向に向かってほしいと思っています。


まだまだ船も来ます。
漁師さんたちは頑張っています。

「(保証金をもらって)捨てる魚を捕るために漁師になったんじゃない」

これが、彼らからよく聞く言葉です。


お金の問題ではない。
漁師は漁師。
海の上で、船の上で仕事をするのが漁師なんだ、とつくづく感じます。



それは漁師に限らず、農家・酪農家、
全ての生産者の声なのだと思います。


そんな彼らからは、
人間として――生き物としての生き方を学んでいる気がします。


震災で津波に遭い、
それでも命を懸けて海にでる人達



こんなにかっこいい人間達はいません。


今では私も、車中泊生活からただの宮城県民となりましたが、
これからも「外部」として山元町と磯浜漁港に関わらせていただければと思っています。

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ステッカーは在庫が出来次第、

■やまもと復興応援センタ―(山元町社会福祉協議会 旧・山元町災害ボランティアセンター)
■山下駅前 橋元商店
さんに委託しております。

橋元商店さんでは 山元町『絆』磯浜ステッカー《マグネット版:600円》も
品薄ですがおいてあります^^;

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山元町でボランティア活動をされた皆様、
日本の各地で災害ボランテイアをされている皆様、

今日も1日、お疲れさまでした!






ドルト