乙女崎のお店で飲めるいちごクリームラテ🍓本当に美味しいよー。(といきなり宣伝するとかどうして)
最近、オーストラリアでマインドシフトコーチってのをされてる友人のInstagramライブを見るのにハマっている。
地元が同じで、姉の同級生。
ご縁あって、いつからか繋がっていて、
最近Instagramライブで無料でこんな大切なこと気づかせてくれていいの?って恐縮するくらい、良い気づきを与えてくれる人だ。
一見、(結局お金?)と思わせといて、
「お金で幸せになれないことは皆が知ってる」とズバッと切り捨てられるw
一見、(どうせ私には無縁なセレブな話でしょ)と思わせておいて、私の脳みそが貧困なだけと気付かされるw
一見、(お金が1円も使えない辛み、どうせ味わったことなくてわかんないでしょ!)と思わせておいて、「仮にご飯も食べられないほどお金に困っている人がいるとするならば、こんなの聞いてないですぐさま働いてきてください。選んでる暇も嘆いてる暇なんてない。」と面白いほど現実を叩きつけられる🤣
いかにして、自分で不幸を装うことで、
自分に制限をかけながら、勝手に苦しんでたかを気付かされるインスタライブ。
厳しいようで、愛しかなくて、結局温かいの。
うまく伝えられないけど、
見てるだけで、
聞いてるだけで、
勝手に気付かされる。
気づいてしまって、
そして、いかについさっきまでの自分が小さな世界で縛り付けていたかに気づく。
回し者ではないのだけど、
ただ久々に人生の感覚を変えてくれるすごい存在を見つけてしまって
本当に嬉しい♫
どうして人は、自分の想う幸せのとおりに生きることを後回しにするんだろうか。
どうして、我慢や辛抱してこそ、みたいな人生を普通にこなそうとするんだろう。
よくよく考えたら、全然普通じゃないのに。
ものすごく辛抱することの多い人生だった。
「だった」といつも私は人生がそう決まってしまっていて、
これからもそれから抜け出せないつもりでいるのはなぜなんだろうか。
普通じゃないとわかっているから辛いんだよー!って嘆いてみるけれど、
普通じゃないとわかっていることにして、
辛がっている道を選んでるだけで、
そこから抜け出すとか、変えることのほうが労力がかかる、もしくは無理だと決めつけてるから、嘆いてるだけを結局楽だと思ってるんじゃないだろうか。
でも、当然ながら、変化のない、つまらない人生。
私はいつも誰かの被害者だった。
私はいつも愛されない。
私の気持ちなんて伝えても伝えても伝えても伝えても本当に理解されることはない。
こんな身体、こんな病、こんな環境で、支えてくれる人なんて出てくるはずもない。
今回の人生は、これがすべて。
って自分にリミットかけちゃってるの私なのね。(気付き)(お目覚め)(おはようみんな!)
よくさ、「幸せになる」とか「幸せを感じる」とかいうでしょ?
漠然としてて、時にとっても程遠いときがあるよね。
でもこう語られてた。
「大切にしたいものを大切にする」
まずは何よりそれだと。
「自分を大切に」とかそんなんじゃなくて、もっと具体的で、
例えば自分は寒いのが大嫌いだから、寒くなると暖かい所へ行く。とか、
極論それぐらいふっ切れた「自分の中の大切にしたいこと」をライフスタイルにしていくという感覚。
自分で自分の主導権を握ること。
自分の可能性を増やす。
愛にも、喜びにも、豊かさも、
自分から自分に手に入れる。
お金だけでは幸せにはなれないことは皆とっくに知ってる。
本当に私が大切にしたいことは何なんだろう。
今回の人生、私だけのものだったのに、
それは病気をして誰より知ったはずなのに、
常に自分なんて、自分なんて、の思考でいた。
自分を制限(リミット)する生き方の最大級は、
命の限りを考え過ぎる生き方
にもあると思う。
どうしても、一度や二度、命の期限を意識するシーンがあったからね。
常に最短を意識しつつ、
欲望はうんと長く持ってた。
でも両方を考えてる複雑脳では、
到底楽しめる人生にはならないよね。
豊かさは無かったと思うし、
乏しくも確実な人生を歩もうと歩もうと努力するのが今回の人生なのだと決めていたのかもしれない。
とてもつまらないと感じ始めたのは、
ありがたいことに、
元気だからなのだとも気付かされる。
ならば存分に味わおうじゃないかと
落ちたり上がったりしながらも
その方のインスタライブを聞きながら気付かされてきたところ。
すると、やりたいことが出てくる出てくる🤣
あれこれありすぎて、時間の使い方が下手になってるよ。