人生が想像と違っていったら | トリポジ☆乳がん☆乙女崎夢子の場合。




「こんなふうになりたい」という夢があった。
その夢のために、こうやりたいと思った私がいた。
そのために大好きだった仕事を辞めた。

でもそこから音を立てて、違っていった。

雰囲気。
場所。
名前。
色。
内容。

全部、私の計画していたこととは違っていた。

私には何の権利もないのだと悟ったときから、

私はずーっと、この身体から離れられることを憧れるようになった。
子供のころからずっと愛されない人生。
いてもいなくても家族は悲しいというより困るだけで、なんかきっとどうせ違う理由。本当の私の幸せなんて誰もちゃんと願ってなくて、みんな自分、自分、自分。

そんな私が
妊娠して
結婚した。

息子が生まれた瞬間口から出た言葉は「ごめんね」だった。
こんなに愛しいと思うとは想像もしない人が出てきてくれた。
こんなに大切な命がいたことに、出てきてくれて知った。

お腹にいても労ってもらえないからと、
自分もお腹を労らないことで
怒りや悲しみを自分のせいにすることで
やり過ごしていた。

初めての妊娠で身体が変化する不安や、
痛みなどを抱えて、
自分の想いや考えとは違う場所で働き、
結婚の準備や、
なんかもうすべてが最悪の中だった。

ずーっと
人生が
想像と違うんだ。

ずーっと
自分が思うように
生きられない。

そうこうして、まず、パニック障害になった。
それは未だに続いていて、
もはや【気質】として付き合うことにした。

そうして、乳がんになって、
どんどん、人生が想像と違って、
とんでもなく違っていった気がした。

でも、私はずーっと
自分の身体から離れたいと思ってた人だったし、
去年までまたその想いを引き連れてたから、
ある意味願ったり叶ったりだったんじゃないかとも思うのだけど、
子どもたちとさえ出会っていなければ、
私なんか家族には愛されないし、
私ももう愛さないから、どうだっていいと思うのだけど、
唯一愛することを知ってしまったから、
がんばるし、
生きるんだ。
どんな不安にも耐える。



最近、人生が想像と違うことの理由についてとてもよく考える。


どうすれば私は私を生きていて、

私が生きるために生きていると実感できるのだろうと常々考える。


ある人は「ご飯をたべるため」というシンプルな答えを持って生きているかもしれない。


ある人は「生きるために生きる意外に何かある?」と言うかもしれない。


私も同じなはずなのに、

何がこんなに私が私を生きられていないと思わせるものは何なのだろう。



今私を作るすべてのことで、

誰かに何を褒めてもらえたとしても、

1ミリも嬉しくないのは何故なのだろう。


私のやりたいことを

私がやりたかったことを

なぜ

今になっても

やれる権利が私にはないのだろう。


子供が大人になるまで頑張って、

無事に成人したら

出ていく✨

のが夢としていたけれど、


そこまで待つ間にもし、不慮の事故でもおきて私がいなくなったら、

私の人生って違ったままやん?


と思うと、


今年が終わるときに

まだ同じ気持ちだったなら


私は違う道を歩こうと決めた✨


またそれだけで気持ちが楽になった✨


人生が予定通り、想像通りに行くはずないのなんて

誰より知ってるつもりでいるけれど、


自分のせいなのか、そうじゃないのかもわからない。


自分のせいならいいなと思うくらい、


自分で自分を生きてる実感のない人生が

どうしても拭えないことが

最大の地獄。

どうにかしたいの。

ほんと。