あと6年 | トリポジ☆乳がん☆乙女崎夢子の場合。

明日は半年検査でCTとマンモの予定。

息子から鼻風邪をもらってしまい、何日間も微熱と鼻風邪症状で辛いのなんの。

ご飯作る気力体力無しで、買い食いばかり。鼻風邪ゆえに全く味がしないため、美味しいものを食べるのが無駄に感じる。

息子と私はコンニャク食べても、ステーキ食べても同じことなら、コンニャク食っとけと思いながら、美味しそうな弁当を食べて味がしないことにガッカリしている。


健康って素晴らしい。


明日は微熱があっても入り口のセンサー体温計でひっかからなければ大丈夫だろうか。


病院の入り口の体温計って、毎回34度とかでも通されるよね。

普通に低体温症で緊急事態だよね。

ここ病院だよね。

って毎回(クスッ)ってなる。


金曜日が結果なんだけど、もうすでに吐き気するわ。


ところで、だーいぶ前にブログにも書いたけど、先生に『(治療したいの)いつまで?』と聞かれてドキっとしたってやつ。

確かあのとき、娘が18になって高校卒業するまでは絶対にといってた?20歳だった?みたいなとこらへん。


今回の私の人生は、親とは関わり合いが無くて、それゆえ苦労だらけではあったものの、子供を育て上げたら残された未来はとことん自由という人生。


治療いつまでやりたいか?

というのは当時、5年以上治療しても成績に差がないとされてた頃で、その数年後には10年治療した人と5年では10年治療したほうが成績が良かったという結果にかわったので、どっちにしても生きている限り、薬の恩恵にあやかろうかと思いつつ。


でも、どうだろう。

子供が成人したら、あとはオマケの人生として、病気にとらわれることなく、とにかく最後だと思って思いっきり自由に生きてみたいと思うんだよねー。


何か症状が出たらそのとき。

子供が成人したら一度治療を手放してみようかと思う。それで10年しっかり治療も出来ているし。

もちろん、それまでに何事もなければだけど。肺転移までしておいて、先生が許さないかもだけどw


でもすべての束縛から開放されて、とことん生きてみたい。

34歳から、娘が18になる頃なら私も51歳?!17年も不安に怯えながらも一所懸命働き、救いや安らぎを求めずがんばったのならば、そこから先は本当に自由に生きてみたいと思う。


今日、地元を離れて嫁いでいった幼馴染とLINEをしてて、

いつか子供が成人したら私もこの街を出てそっちにいきたいという夢があるんや✨って話をしていた。この間、ブログにも書いたけど。



ガンという病にまさか自分がなるとは夢にも思ったことのなかった人生が一変してから、色んな不安をひとつひとつ乗り越えてきた。

離婚というツラさも、

子育てのツラさも、

治療ゆえのツラさも、

今この時、この瞬間、そばで支えてくれるものが無かった。

いや、友達の温かい優しさなどは沢山すぎるほどいただきながらだったから、一人でがんばったというのは語弊があるね。

だけども、病というのは常に孤独なもので、ずっと自分のものとしてついて回るもの。受けて立つしかないもの。


むしろ、どこにいても同じで、

むしろ、自分のためだけの人生を歩めるなら、ついて回るものはくっついてくるんだから、せめて自由は作ってでも得なければ、私の人生は何だったのだろうという悔いが残る。


誰のための人生か。


親のためでもなければ、

子供のためだけでもない。

(子供のことは私が命をかけてでも勝手に愛してしまうものなのでここでは例外)

姉のためでもなければ、友人のためでもない。


私のために使う人生を生きてから終わりたいという願望しかない。


あと6年くらい。

生きるために頑張って、

その先は羽ばたくぞー。


ってことを子供に告げたら

『実家なくなるんw?』と反対されたので

『お母さんがおるとこが実家やんwいつでも遊びに来てw』と伝えておいたw



片胸のカラダと、

治療を必要とする現実。

誰かが受け止めきれる重さじゃないものを抱えた人生。

昔のお嬢さん時代のようにはいかないから、

ひとりでひっそり生きて、楽しんで楽しんで楽しんで楽しんでこっそり終わりたいというシナリオ。


健康であり続けなければ叶わない。

だから今から6年は健康第一主義で自己管理しっかりしていきたいと本気で思うのである。


51歳ならまだ衣食住を細々と守れるくらいのパート先ありそうだよね。

カメムシがとにかく私の天敵なので、田舎はもう満喫したし、少しばかり便利な所が良いなー。


そんな妄想が今の趣味w


明日はCTに何もうつってくれるなよー!!!!