うつ病から抜けた | トリポジ☆乳がん☆乙女崎夢子の場合。

ハートのメガネかけさせなければ乙女崎になれぬ!
だうも、いつもお久しぶりな乙女崎夢子です!!
最近小森のおばちゃまヘアーです!
インナーカラーは乙女色です!

こんな元気そうな乙女崎だけど、
鬱な人はこの日記読まないでここでサヨナラ!してほしい!

最近の私のことを書こうと思うとどうしてもこの重苦しい話になる。

少し前のブログでもパニック障害の症状が苦しい感じで何度か書いてたけど、

●治療による副作用
●治療による長い更年期障害
●環境因子
●治っていない不安障害

から、完全に鬱になってしまった。
いや、元々鬱だったのが悪化していて、そこに更年期障害が重なり、
子どもたちにも発狂したり
泣いたり寝込んだり暴れたりを繰り返し。。。。

とうとう自○未遂までしてしまった愚か者。
その日、もう取り返しがつかないほど取り乱した私は息子に酷いことを沢山浴びせ、もう限界なんてとうに過ぎてたんだと思い知り、家を飛び出したのね。

自覚があるのは5年間ほど鬱だったと思う。

今回はどうしても行き詰まり、再婚してる元夫にまで電話をしたわ。
わーわー泣きながら話かけると
第一声、
元夫「どちらさん?(笑)」

。。。
もうこの言葉に対して私の心がどう反応しようが、そんなのどうでもいいからまず伝えねばと、
息子のことを守ってほしいと泣きながら必死に頼んだ。

「また今度ドライブでもいこうって声かけるわ」

というので「また今度じゃなく今すぐ電話して声かけてやってほしい(号泣)いっぱい傷つけた(泣)」

「わかった」

その一言で、やっと救われる気がした。長く重くのしかかった辛さを本当の父親が半分背負ってくれる。

それでもどこか私をぶら下げるための太い立派な枝はないかと探して山の中を運転したけど、このデブが耐えられる枝が見当たらず、無様だよなーとか考える脳がまだこの時はあった。
少し冷静になったところで自宅に戻り、息子に「父親から連絡は来たか?」と訪ねたら「いいや、まったく」と。

嘘でしょ?と思ったけど、
本当に連絡は来なかった。絶望した。



私がもうどこかでしんでしまうのではと不安だった娘があちこちに助けを求めていたようで、自宅に戻るまでにも姉や母親から連絡が来まくってた。
姉には山道で枝を探してたときに「そっとしといて!💢」と懇願した。
母親という他人より冷たい人の電話など久々に着信でその名を見た。
普段なら無視だけど、その日は別れを告げようかと出た。
そして、過呼吸になりながら泣きながら悪態をつきまくった。
今日まで何もしなかった愛のない母親へ、どれほど私が辛い幼少期だったか、どれほど孤独だったか、結婚したときに何を言われたか、離婚してからもどれほど私も子どもたちも不自由だったか、なぜずっと無視してきたのか?離婚してから7年、息子が生まれて14年、もっと遡れば私が生まれてから43年!ずっとずーっと無視出来たのだから、今日私が消えても貴女は何1つ変わりのない日々が待っているだけよ💢と。

「なにがしてほしい?」と言われたので、
完全に崩壊しているゴミ屋敷の我が家を、叱ることなく、文句も言わず、アドバイスもせず、ただ黙って片付けに来てほしいと頼んだ。そしてお母さんのせいだと一度でいいから反省してほしいと泣いた。

そして母親が来た。

そして、洗い物をしてくれた。

しかし!!!
「胸が悪い。。。気分悪い。なんでやろ?なんでや思う?ムカムカして気持ちが悪い」

とひたすら言い始め、そしてひたすら喋り、「こんなん1日では無理やで」と途中も途中で帰っていった。

まだ不安な私の娘が「ばーば、帰らないで。」と何度も頼んだのに、「ばーばな、胸が悪なったで帰るわ」と帰っていった。

その日の夜遅くに、元夫から息子にLINEが来たらしい。「またドライブいこーぜー」だけだった。
私の願い、息子の傷ついた心、何1つ救う気などなかったんだ。

娘が何度も廊下から毛布に埋もれてる私をのぞいてくる気配を感じる。
心配で心配でたまらないのだろう。

私はもう絶望で色んなことを思い返していた。

小さな頃から受けた色んなことを。
そして大人になってからのことを。
結婚したときのことを。
離婚に至ったときのことを。
そして今日までの苦労を。

足を怪我して病院にいったら
「お父さんも先日来て娘さんの足の怪我のこと相談されてましたよ」
と言われて嬉しい気持ちになって、
よくよく聞いたら、後妻さんの娘さんの足の怪我の心配だったとか。

私は生まれてきただけで、
生まれてきたから生きているだけで、
誰からも愛されたことが無い。
子供の頃に片親差別を受けたときも、大人になってからも、
真面目にさえ生きていれば
必ず私をわかってくれる人がいると信じて
まっすぐ生きてきた。

でもいつだって誰かの何かのための
踏み台になり
私のせいじゃないことで
私の信用がなくなったり、
好きで病気になったわけじゃないのに、私のせいで元夫が不幸だと言われたり、
支えるべき家庭を支えなかった人に、「俺をずっと支えてくれた人と再婚する」とほざかれたり、

具体的に私の人生を幼少期から包み隠さず綴ってしまえば、
もう疲れた。って思っても誰も私を責めないでくれると思うほどで、

そして今日のすべて。

もう自分でいることがしんどくて
私という人を生きることが
難しいの。

そして私は娘の影にむかって
「さっきから何なんや!もう!邪魔なんやって!💢さっさと寝てよ!!!💢」
と冷たく言い放ち、
娘が泣きながらリビングで眠ったのを確認して、短い短い遺書を残して自害に至った。


今こうして書いているということは
失敗したからで。
落ちたのに
息を吹き返して
死ぬかと思うほどの苦しさで目覚めてしまった。
嘔気で何度もえづき、胃液で溺れて呼吸困難。喉が潰れたかとうまく息が出来ない。

失敗した。すぐにやり直しにかかるも我にかえっていて震えが止まらない。リビングの娘のそばで震えながら起こさないように薬を飲んで毛布をかぶった。
失敗した。
失敗してしまった。
また越えることが難しい夜が来るわけで。
苦しい。苦しい。苦しい。
この1日でさえももう耐えられない。
失敗した。
失敗した。
やり方を間違った。
なんで失敗した。
なんで!なんで失敗したんだ!!


引き止めて欲しいわけではなかったのだけど、
薄皮1枚くらいの「誰か助けて楽になりたい」が心にあった。
楽になるならなんだっていいから。

すごいタイミングで
察知したセラピーの友人が
「今すぐいく」
と言ってくれた。
でもお邪魔することにさせてもらった。私の中に生きられる人がいなかったら帰り道に人生終わろうと決めて出かけた。


結果、このセラピーに救われたのは2度目。プロ以外が触れてはならぬインナーチャイルドの扱い方を少し治療してもらう必要がありそう。でもすでに心の視界は晴れて見晴らし良くなってた。今回ばかりは無理だろうと思ったのに。なんてすごいのだろうか。

そして心療内科にも行った。
頓服薬だけでは量が増えていってるだけなので、長く効果のある薬を処方してもらった。

それがメッチャ効いた

いや、もう、セラピーと心療内科ダブルでまじで別人😂
もう、ほんと、失敗してくれてよかった!!!!(今ここなのでご安心を)


子どもたちには
本当に心配をかけたし、
怖い思いを何度もさせてしまった。
この子達のトラウマになるんじゃないか、
この子達の将来に悪影響になったんじゃないかと不安になった。
でもセラピーのMちゃんが、
「【お母さん】の夢ちゃんがね、すっごい愛を子どもたちに注いでるねん。だからこの子達は全然大丈夫。むしろすっごく良い子に育ってるし、愛をいっぱいもらってる。【お母さん】の夢子は誰より信用の出来る人格者だよ」
と言ってくれて、心底安堵して泣いた。
私は自分は愛されなかったのに
私は自分の子供が大好きで大切でだから苦しい。この子達が幸せでいてほしいと思うほど真逆を体現してしまう。

過去の闘病記を読み返していて、
当時の自分にも謝りたい。

セラピーに行ってどうだった、こうだったと、子どもたちにも全て聞いてもらって、
子どもたちがこの世で1番、私の人生を憂いて、そして愛そうとしてくれる。

「お母さんが今までこんなこと一度もなかったのにパパに初めて泣いて頼んだのに、俺にすぐに連絡もせん、何も届かない人にもう何も望むことも頼むこともしなくていいから、お母さんしなんといて。」

ほんとごめんね。
自分の心から出てこられなくなってたママを許してね。

そして私は、実母を捨てることに決めた。

元々、何も望んではいなかった。
子供の頃に過ごした記憶もほぼ無い人だし。
でもそれでも、
実母
継母
と、
誰か一人でいいから
お母さんという人に愛されてみたかった。
私のことを心配してみてほしかった。

今回の人生では母の愛というものを得られぬ人生なのだとわかったから、
私は実母が私の心を求めるより先に、いつか私を置いて出たように、
いつも私がわずかに求めた時に常に跳ね除けたように、

今度は私がそうする。
だから母親はもう私にも受け入れられると思わないでほしい。

そして、私は私の子供たちと家族になり、
私にしか味わえない家族を築いて幸せに暮らす。

病気と闘いながらの1日は
とても孤独なものだよ。
笑っていても
ふいに闇にポツンと居るときがある。

せめて夫がいつも隣にいてくれてたら、

せめてお母さんがさすってくれたら、

せめて姑さんが叱らずに「がんばんなよ」ってだけ励ましてくれてたら、

せめてお父さんが心帰る場所を常に持ち合わせてくれていたら、

私は温もりを知れたのになと思う。

抱っこされて眠りたい。
頭をなでてもらいたい。
毛布をかけてもらいたい。

お願い。
誰も私のことを忘れないで。
私がまだ生きていることを忘れないで。
生きていると心があることも。


他人はいつも優しい。
今回の人生では、
私は他者に恵まれたのかもしれない。
優しかった人達が急にそっぽ向いたり、
SNSとかでブロックされたり、
フォロー外されたりして、
何故なんだろう、どうしてなんだろう、とか全てが嫌になる要素に加わるだけの出来事もあったりもした。
人生を終わりたいときに走馬灯のように流れる【もうこんな人生いらなくない?】のダイジェストに流れてくる数々。
もうそういう人や物事からは自ら背を向けてしまおうと思う。

どうしてなのか。
私も間違うときはある。
真面目に生きていればと思っていても、間違うことはある。
だから
謝るチャンスも確認するチャンスも欲しくなる。
でもそれが出来ない。
でもそれを仕方がないと片付けなくてはいけないんだ。


今、見渡して、
本当に大切にすべき人って、
選ばなくてもわかるもんだよね。

一生懸命つきあわなくても、
一生懸命わかってもらおうとしなくても、
もういいや。

楽になりたかった。

楽になれ。

【やり直せるのは生きている内だけ】

という言葉の通り、
薬の力を借りながら、
乙女崎夢子の人生を仕切り直して、
樹木希林さまのお言葉を拝借すると、
面白がってみようと思っております。


※今はもう安定していて、
 人前に出る仕事などを断り、
 自営業も裏方に徹しているため
 人の顔色を気にして薬を増やすこともなくなって
 買い物もできるようになり
 毎日ご飯も作れるし洗濯もできるようになりました。(できんかったんかーい)