生きてるだけで丸儲け!乙女崎夢子れすっ!!!!(勢)
免許の更新の手続きに、お姉ちゃまと行こうと思ってテレフォンテレフォン。
したら、夢子のお姉ちゃま(乙女崎花子とでも呼ぼうか)。
京都市内の洒落たカットハウスでチョッキンナ~チョッキンナ~してもらってるとか!!生意気!色気づいちゃってさ!フンッ!!!!(おいて行かれたのでスネてます)
かくいう、乙女崎も21日の月曜日に王子が「いいよー」って言うてくれたのでね、
無事に脱ズラしまして。
でもさ、脱ズラしたぐらいなんだから、さぞや美容院で整えてもらったんでしょーって思われるかもだけどね、
いいえ。結構伸び散らかしてボッサボサっす。
工エエェェ(´д`)ェェエエ工これでOKなんアタシー?って自分でもチョット半笑い。
美容師さまにチョッキンナ~してもらうにしても、もう少しだけのばしてみようかと我慢中。我慢してたらえらいことになってきた。
なので、花子(姉)よ。
来月はアタシをその洒落たカッツハウスへ連れていけYO!!!(伝言板)(これが人にモノを頼む態度かw)
そんなわけでして。
来月はチョットあたしも洒落たところに行ってこよう。
髪の毛もっと伸びろ~もっともっとボッサボサになれ~。
明日は例の『クレジット決済導入』の手続きのために、
黒ネコのマークでお馴染みの会社から営業の方がお越しになられるわけだ。
お客様問い合わせダイヤルみたいなところにテレフォンレテフォンしたら、
そっこーかかってきて金曜日に来てくれるって。
多分申し込みしたらそっからまた2~3週間かかるのかなぁ?
詳しく聞いてから、OPEN日を決定しようと思う!
導入は後からにして先にOPENするかもその時に決めることにしようと思ってまーす。
本当は18日に怒涛の放射線ラストとハーセプチンラストと子供たちの終業式&王子のお泊まり保育がダダかぶりだったのだけど、見事に私の高熱風邪により病院関係はキャンセルに。
放射線は無事に火曜日に終わったけど、ハーセプチンは先生が25日は来れないそうで(学会か、先生の本来の病院の乳がん検診日か)8月1日になりまして。
それが終わったら次はリュープリンの3ヶ月の効き目が終わる頃なんだろうけど、もうそれがいつなのか数えることもわけわからず、言われた通りに通うのみだなー。
そっかー。ハーセプチンも終わるってことは、3週間に一度でさえいかなくていいってことなんだw
3ヶ月に一度になっていくのねー。
続々とお仲間のみんなが『一年検診』的なものを受けていってるのを、
「当然クリアでしょうよ!」ってそのイメージだけして見守ってるのだけど、
私も11月に手術をしたので11月に検査されると思う。
先生は最初『ゴールデンウィークあたりに一度血液検査くらいしてもいいけど・・・』って言うてたけど、案の定いざG.W頃になったら血液検査の「け」の字もスルーだったからね(爆)
神医者様は、発見したくないのが本音で、発見されないほうが絶対いいって感じなので、自分が痛いとか何か困るまで検査なんかするなよって感じ。
でも1年の検診は義務的なもので、決まりごとのようなものなので受けなきゃいけないらしい。
先生らしくここも蹴飛ばしてほしいけど(爆)
『治った』の線引きみたいなものでさ、
5年無再発でどうこう、乳がんは10年でどうこう。
そういうのやめてほしいよね。
自分がなってみてわかったことだけど、
最初「げー。なんで乳がんだけ10年??いいなー5年の病気はー・・・」って思った。
だけど今思うのは、例えばこれが『5年無再発で完治ですよ』って言われたって、多分自分が一度告知を経験すればあのシーンがいつでもすぐに蘇ってきちゃって、6年目でも7年目でもやっぱりドキッとすると思うんだ。
少しでもズキッとなれば「ん?」ってなると思う。
病気は乳がんだけじゃないから、生涯、便の色や硬さにもドキドキっとしちゃうかもしれない。
なんか胃袋が・・・って思うとドキドキっとしがちかも。
窮地というか、究極の病気(がんのイメージだけど)体験みたいなものをしてしまったので、想像することもいつも極論から入ってしまうクセみたいなのがついた気もする。
乳がんは進行の遅い病気なため10年間無再発で一応完治ということにするのですが、それでも10年経過しても出てくることもありますって説明の時点で、乳がんって「全身病の呪縛」お見舞いされたって感じ。
結局のところ「今元気か?」「はい!メチャメチャ元気っす!」「それならよかった♡」ってことなだけで、それは病気か病気じゃないかに関係なく、事実だけで生きていけよーってことは健康な人も病気経験者もみんな同じことなんだよね。きっと。
だからこそ、10年無再発で一応・・・とかいう医学的なことはこの際病院の先生たちにお任せしちゃって、患者本人である私はもう『治った』と思い込んで生きていったのでもいいのかな??
今日の時点で元気。それを「健康な状態」と呼ばずに何と????
私は今日は健康な一日でした!でいいと思った。
どんどん、病院が遠ざかると、自分次第みたいになってきて、
不安になることもあるのかもだけどね。
だけど、今日がどんな一日かは、
私が今日病気であったかどうかに関係なく、動いたり転がったりしているのじゃなかろうか。
あたしが抗がん剤で倒れていたって、子供たちは元気に笑い、蝶々はふわふわと飛んでいたさ!
それをどんな状態であったって見逃さないぞって思う自分がいれば、
命ある限り、自分の人生の上に起こる出来事は全て病気で見えなくなってしまうなんてことはなくなる気がする。
そうしたいと今の自分は思うんだ。
それは今、健康に過ごせるからこそ思えることだとは分かっていても、
そう思える今があるなら、そのように過ごさないでどうする!と自分に言い聞かす!!!!
最初はすごく「治る」ということが欲しかったけど、
それはとても長い先のことなので、これからは「今日がどうか」だけ☆
でもこの生き方って素敵だと思った。
イメージだけど、島の人っぽくない??(笑)
穏やかで、朗らかな生き方だと思うの。
昨日でも明日でもない。
今日の私だけを一日の終わりに振り返るとか、
それさえ振り返らないとか。
なんとな~く、
身をゆだねて生きるって感じ。
そんな風にこれからは進もうかなーって思ってみたりしていたところなのなの☆