のろけ話 | トリポジ☆乳がん☆乙女崎夢子の場合。


復っっ活ー!!!!


Hi!エブリワン、ご機嫌いかが?

乙女崎復活。どこもかしこも乙女崎。


どん底→夫さんに泣きつく→日中急に怒り狂い泣き喚く→友達にテレフォン→夜は夫さんに泣きつく→チョット元気復活→ブロ友サンたちからメッセージ届く→かなり元気復活→あねねからテレフォン→もう元気完全に復活→近所の親友Sチャン(自転車部)がここを読んだと慌ててピンポン(訪問)してくれる→とことん元気復活しすぎて大変!←今ココ


という『みなさんのおかげですスペシャル』によって、元気モリモリータな乙女崎に戻ってこられたYO!本当に本当にありがとう☆

12日から、喜んで放射線治療を受けてくるからね!

週5日×5週間って超長い気がするけれど、ここはひとつ、ケモのとき(ウィークリーパクリのとき)のように『先を数えるのではなく、終わった数を数えていくぞ』の精神でがんばろう☆


「まだ24回もある・・・」じゃなく、「もう1回終わったじゃーん♡」 のキモチでね☆


これからケモ通う人や、放射線を受ける予定でスタンバってる同士の皆様!

是非とも一緒にこのキモチで立ち向かいましょうぞ!!!!






今日は夫さんの話を書くわよー。



私と夫さんはね、私が10歳(小4)、彼が9歳(小3)のときからスープの冷めない距離に住む幼馴染っつーやつなんだ。それを言うとね、決まってみんな

「きゃ~そうなんだ~~~素敵だねーーー♡」

って言うてくれるの。でも私が「●●チャンで言うならば、●●君と結婚するみたいなもんなんだぜ?」って教えてあげると、みんな超シブイ顔する(爆)


近所の中でも一番仲良しやったかも。本人は『俺は10年間お前がスキやったんやぞ』と言い切るwでも私の中では、完全にあたしの弟なんじゃないかと勘違いするほどの存在だったんだ。そんな風に男として意識したこともなかったw

ムカつくし、生意気やし、あんまし優しくないし、自分勝手で、でも可愛いヤツという感じ。


高校三年生のとき、最愛の祖母が他界したとき、近所の集会所でお葬式をしたんだけど、お坊さんがお経を詠むのを中断して振り返り

『・・・泣きすぎw』

って注意されるくらいの号泣だった私。


夫さんも参列してくれてたらしいんだが、そんなことに気づけるような状態じゃないw


後日、学生の私だけが忌引きで1週間近く休ませてもらえたんだけど、

そのときにわざわざ声をかけてくれて無言。(無言てw)

夫さん「乙女崎!!」

夢子「なに?」

夫さん「・・・・・・・・」

夢子「・・・・はw」

夫さん「俺・・・あんな泣いとるお前見たん初めてやったさかい・・・・元気出してな!」

夢子「・・・・wwブーーーw(笑)ありがとうww 元気出すーw」

夫さん「じゃ!」

夢子「えーーーーーーwwwなにーーーそれだけーーー????」


ぶっきらぼうに帰っていった。


昔っから夫さんはそういう人やった。



大人になってそれぞれがそれぞれの人生を満喫。

朝犬の散歩してたら、出勤する夫さんによく出会い「おはよー」って言い合う程度になってたんだ。

そのうち私も引越しをし、出会うこともなくなった。



ある日スーパーでおばちゃん(現、お姑さま)に出会い、今どこどこでお店してるんだーって話をして、息子にヨロシク~って言うたら、すぐさま息子(夫さん)はお店にやってきてくれたわ(笑)


そうしてまた遊ぶようになり、紆余曲折を経て、何がどうなったんだか、今に至る(はしょりすぎ)。



結婚当初は、大嫌いやった(笑)

なんなんこいつw

まぢでかwうわーーーうわーーー最悪wwwwwの連発やった。

結婚なんかするんやなかったってほんまに思った。

もーー嫌いで嫌いでたまらんなった。


持ち直しても、また新たに嫌いなところが目に付く。

ほんっまに最低な夫やった。(女遊びとかギャンブルは一切しないけど、私にとってはほんまに大嫌いなヤツやったw)



離婚したいと思ってた。

多分このまんまやったらするやろうなって思ってた。


夫婦としては成り立たないと思ってた。


したら、ガンになった(爆)


神は私に何が言いたいねんwって思った。

何がなんでも別れたらあかんようにされとんのかと思った。

抗がん剤をしようが、相変わらずクソの役にも立たん男やw

何度もやさぐれて蹴って泣いて暴れた。

お前のせいじゃ!お前のせぇぢゃーーーー!って暴れた。

なんでお前ちゃうんじゃ!!!って暴れた。

ここ(ブログ)に夫さんに言うた暴言を書いたら、アメーバのセキュリティかなんかにひっかかったらしく、ソッコー削除されるほどの暴言を夫さんに浴びせた。



また紆余曲折、時も流れて今。

夫さんはとっても優しい。

私は夫さんがとっても大切だと思っているんだ。



気づいた。



夫さんはずーっと根本は変わらん。


おばあちゃんが死んだときに、ぎこちなくも私に元気だしてくれと声をかけたいと思ってくれたあの優しい男なんだ。


常に心が色んなことで暴走してきた私の隣で、

一人マイペースに何も変わらずいてくれたことで、

結果的に救われた。

わかってほしい。知っててほしい。見ててほしい。って必死に夫さんに訴えてきたけれど、その都度気まぐれに変化する私の上辺の苦しみなんかよりも、


「お前さんはこういう子やでな」


と、誰よりも根本的な私そのものをちゃんと知ってくれてるのは夫さんだけやと思う。



でも、最近は私もやっと私も夫さんのこと、一番知ってる自信があるで!って思えるようになった☆

最近はやっと、もっともっと夫さんのこと知ろうと思えるようになったし、

夫さん「と」こういうことしたい、ああいうことしたい、

ここに行きたい、あそこに行きたい、って思えるようになったんだ。



まさかこんなことになるなんて思いもしなかったから、ごめんねって思う。

私なんかと結婚しなんだら、もっと楽しいことばっかり夢見て暮らせたかもしれんのに、ごめんねって思うこともいっぱいある。

片方の胸がなくなってしまって、夫婦生活(夜の営み?)みたいなもんはもちろんする気にもならん。私は自分のことやからそれでいいけど、夫さんはそれを言葉に出すでもない、態度に出すでもない、我慢してる素振りすら見せずにいてくれる。34歳の男がきつかろう。


『お前は結構パンチきいとるヤツやからな、お前がおらんなったらすぐにお前がおらんことに気づいてしまう・・・寂しいなんてもんじゃない。。。だから絶対に俺より先に死ぬな。』って最初に言うてくれた。


今思えば、ちょっとビールの缶を洗って捨ててくれんかったぐらいが何やったんなんwって思うことアリ。


小さいココロやったんは私のほうかもしれんと思うこともいっぱいある。


元気やった(ずっと元気だと信じてた)頃は、「こんなに育児が大変やのにゲームばっかりしやがって!!!!」とかそんなことが最大の苛立ちで悩みだったんだけどね。


今ももちろんそれはある。でも、それはそれだ。

そのときにブワーーって文句言うておしまい。でOKだ。


普段無口で多くは語らない男だけども、

大切なことはちゃんと教えてくれる。

今思えば本当に夢子を偉そうにふんぞり返らせてくれるのは夫さんの優しさだな。


もう26年になるんだ(爆)一緒にいるようになって。

ずーっとこんな感じで、夢子が100歳、夫さんが99歳で「おじいちゃん、惜しかったね。(あと1年で100歳だったのにね。)」って言われながら一緒に1秒違いくらいで世を去りたいなぁ。


もちろん夫さんとの約束だから1秒あとを追いかけるかんね☆





私も絶対に治して長生きしますから、

夫さんもどうか長生きしてずっと夢子の理解者でいてください。

毎日暑い中本当にありがとう。

美味しいごはん作って子供たちと笑顔で待ってるからね!















長いノロケを最後まで読んでくれてありがとうw

今日も応援ポッチリをよろしくお願いいたします☆

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