カスハラ問題の「お客様は神様です」 | これでいいと思えるために。

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こんにちは。

 

こんな記事をみつけました。

 

 

 

三波の生前からありました。三波と一緒に車で移動している時、道路沿いの薬局で天井から「お客様は神様です」と書いた短冊を店内に飾っているのが見えました。その状況からして、三波の真意とは別の意味で使われているのがわかったのですが、私が「いっぱい書いてありますね」と言うと、三波は「そうだね」と言ってほほえんでおりました。 思えば、その頃はまだ、言葉通りに「お客様を大切に思って仕事をしよう」という真っ直ぐな思いの方が多かったと思います。ファンの方から「お客様は神様です」と色紙に書いて欲しいと頼まれたこともよくありました。お店をやっていて、「カウンター越しにお客様と向かい合っているので、私の後ろに色紙をはりたい」とおっしゃって。それをご覧になったお客様も「そういう気持ちでいてくれてありがとうね」と喜んでくださっていると、後日うかがっておりました。 それが次第にお客の立場を過剰に強く表現する言葉として使われるようになり、カスタマーハラスメントが社会的な問題になるにつれ、今度は「『お客様は神様』ではない」などと、この言葉が使われ始めたのです。三波が亡くなって6、7年たってからだと思うのですが、もうこのころには、三波の言葉だとはご存じない方も多く、言葉そのものが独り歩きしていました。

 

 

 

 

こちらは、三波春夫オフィシャルサイトから抜粋しました。

 

 三波にとっての「お客様」とは、聴衆・オーディエンスのことです。また、「お客様は神だから徹底的に大事にして媚びなさい。何をされようが我慢して尽くしなさい」などと発想、発言したことはまったくありません。

 しかし、このフレーズが真意と離れて使われる時には、「お客様」は商店、飲食店、乗り物のお客さん、営業先のクライアントなどになり、「お客様イコール神」となります。
 例えば買い物客が「お金を払う客なんだからもっと丁寧にしなさいよ。お客様は神様でしょ?」という風になり、クレームをつけるときなどには恰好の言い分となってしまっているようです。店員さん側は「お客様は神様です、って言うからって、お客は何をしたって良いっていうんですか?」と嘆かれています。

 また、クレーマーやカスタマーハラスメント問題を取り上げている番組などでは「“お客様は神様です”というのがありますからね」と、真意を紹介することなく引き合いに出されることもあります。

 

 

現代人は、相手を思いやる気持ちも薄れ、自己中が加速し、モラルの欠如により、クレーマーが問題になっています。

 

普段は大人しい人であっても、どうしても「お客様」の立場になると豹変する方がおります。

自動車の運転の時に豹変してしまう現象と同じような気がします。

いつもたまっているうっぷんが出てしまうからなのでしょうか???

 

先日、近所の方とこんな立ち話をしました。

実家が農家だそうなのですが、それほど大きくなくて、自分たちの分や近所におすそ分けする位の規模らしいのですが、

余った「イチゴ」をいただきました。

せっかくなら、「イチゴ狩り」を主催してみたらどうか、と提案すると次のようなことを仰っていました。

「お客さんって、お金を払うと急に態度が大きくなって、畑を荒らしていくんですよ、だからやらない方がましだと言ってました」と。

高齢になってからの新企画もこれじゃ、台無しですよね。

実際、それを実行したのか、よその人の経験話からそう思っていたのかはわかりませんが、やはり問題は「お客」レベルでした。

 

お金を持っているから偉いとか、お金を払う側は偉いと思う思考がおかしいのですね。

もし、大人や親がそんな態度を見せれば、きっと子供たちもそれが良い物だと勘違いしてしまいます。

注意したいものですね。

 

ここまでお読みいたただき、ありがとうございます。

 

そして、自己受容・他者受容・足るを知るを目指しましょう。