人生で大事なもの。
感染症の「恐怖」よりも怖いものとは!?

野村慶太郎さんのFBより

お盆に入る1週間前ぐらいから、田舎の農村は急に活気が出る。
近所のおじいちゃんやおばあちゃんが家の前の草抜きをしたり、お墓の周辺を草刈機をブンブン回して草刈りをしたり。
 

田舎の農村は、家のすぐそばにお墓がある場合が多い。
今を生きる人も過去を生きた人も、同じ場所に自然に共存している感じが温かくていい。
 

そんな場所を、近所の...おじいちゃんおばあちゃん達はみんな子供や孫が帰省するのを楽しみにして、せっせと掃除して待っているのだ。

いつも庭の木陰に1人座って、一日中じっと外を眺めているおばあちゃん。

昨年ご主人が95歳を超えて亡くなられ、急に元気がなくなった。「認知症が始まったようです…」と、通いのヘルパーさん。
孤独感は認知症を進行させる、と聞いたことがある。それなのか?おばあちゃんも、もうすぐ90歳だ。
 

時々通りがかりに気になって話しかけると、決まって、

「ウチはもう早くおじいちゃんのところに行きたい。ひとりで生きていても仕方がない。なんで私にゃお迎えが来てくれんのかの…」

と、呟くように繰り返す。
目からポロポロ涙を流しながら。
 

やるせ無い気持ちになって、小さなしわしわの手を握って励ましてみる。
いつも手は力無く握り返してくれるものの、聞いていないかのような、焦点の合わない遠い目をして、じっとまた座り続けている。

 

そのおばあちゃんが、今朝は朝早くから割烹着に三角巾を頭に巻いてせっせと草むしりに余念がない。

庭を箒でサッサと掃き、家の前の道路までセッセと掃き清めている。
テキパキスタコラ、行ったり来たり動き回るその姿は、完全に別人で、一瞬人違いかと我が目を疑うほどだ。

一体どうしたんだろう?

「おはようございます。今日はどしたん?!なんか精が出るねー。すごく忙しそうじゃね」

そう話しかけると、クルリと振り返る。
見つめ返す目にグッと力がある。別人の目だ。
背筋もしゃんと伸びている。
 

「そりゃもう明日ね、急に息子が帰ってくるんよ。キレイにしといてやらんと怒られるけえね。人使いの荒い生意気な息子なんよ、これが。わははは」

おばあちゃん、別人のように元気だ。

人が人に会う喜び。その日を待つ喜びが生む力。これほど輝かしいものなのか。

「今年の夏は特別な夏。帰省は控えましょう」

テレビでは小池百合子都知事が相変わらず得意満面で繰り返している。

コロナ感染予防が大事なのは分かる。高齢者にうつしちゃ大変だから、という考え方ももうお腹いっぱいに分かっている。

でも、今年の夏は特別な夏だと言える人は、来年もまたいつものように夏が来る人だ。
 

おばあちゃんには、その夏は来ないかも知れない。
今草刈り機を張り切って回しているおじいちゃんは、お正月にはもういないかも知れない。そういう例は、超高齢化した田舎の農村ではいくらでも見てきた。
 

だから待っている人が居るなら、迷わず帰省すればいい。
こんな時期だから「帰って来て」とは言えない人の気持ちをガッツリ汲めばいい。

周りが元気で余裕もある人達は、自分の世界の常識だけで、人の帰省まで非難するのは止めた方がいい。
 

人生には、感染症の恐怖よりも数万分の一以下の発症死亡リスクよりも、ずっと大切な事がいくらでもあるのだ。
それが人の人生の大きさであり、重さであると思う。
 

コロナウイルス以上の敵、「コロナの恐怖」に負けるな人類。

*写真はイメージ。本文とは関係ありません。