陰陽統合師・ヒトミです☯️
怒涛の日々の中で
「永遠の光の祭り」というワードが
際立ってきたことを前回のブログで綴りましたが
もう一つ、私たちの中で
HOTなワードがあったんです
それは・・・
そして、織田信長と徳川家康
これが何故か分からなかったのですが
この理由がモロに分かってきたので
今回はそちらを綴らせていただきます
数年前から源氏に呼ばれることが多かった私たち
ルーツを辿ると、どうも
清和源氏とも縁が深そうで
自分は勝手に源氏と
繋がりがあると思っていました
そんな中、今年に入ってから
2度、鎌倉に行くことがあったのだけど
1回目の鎌倉は
二人とも
「このエネルギー
無理すぎる・・・
」
と言って、せっかく仕事で足を運んだのに
鶴岡八幡宮にもお参りも出来ず
(参道まで行ったのに)
結局、凄い気分のまま
次の目的地を愛知に
変更したことがあったのです
数年前に行った時は全然大丈夫だったのに
なんでこんなに無理だったんだろう・・・
と思いながら
しばらくは鎌倉には足を運べないな。。。
と二人ともが思ったことがあったのです
なのに、10月24日からの東京出張で出会った人が
鎌倉のお店の人を紹介して下さり
仕事の取引が出来そうということで
帰りのタイミングで
鎌倉に寄ることなったのです
「これはリベンジやな
」
と喜んでいたのも束の間
よもやよもや
紹介して下さったお店の方が
「本当に来たのかよーーーー
バカだなーーー
」
と、今まで体験したことがないようなレベルで
話すら聞いていただけず
撃沈
まさかの2連敗・・・
しかも、このお店に行く直前
鶴岡八幡宮にも行ったのだけど
今回はお参り出来たものの
「なんかここで
殺されてる気がする・・」
と豊氏も言い出す始末・・
鎌倉は源氏縁の地のはずなのに
こんなにエネルギーが合わないのは
実は源氏の敵だったのかな・・とか
思い始めて
「ということは平家なのか
」
と思っていたのです。
そして、その後
11月5日から宮島の厳島神社へ
仕事で行ったのだけど
全然知らなかったのだけど
宮島は平清盛が開いた場所なのだそう
やっぱり平家かーーーーーー

とか思いながら仕事。
ポンポン好調に決まっていく中で
豊氏が前職のモヤモヤが出てきたりもして
なんだか源平の戦いを感じる時間にも
そして京都に帰ってきてすぐ
嵐山の紅葉祭りで舞を舞う予定だったのですが
あいにくの雨で
室内での舞にはなったのだけど
ここで舞った曲が「小督(こごう)」
この曲は
小督局という絶世の美女が
藤原(冷泉)隆房と
高倉天皇に見初められ寵姫となるのだけど
なんと、この両方の男性の正室は
平清盛の次女と五女で
あろうことか、清盛の娘が正室の婿から
寵愛を受ける女性が小督局だったとのことで
平清盛の逆鱗に触れることを恐れた小督局が
嵯峨野に逃げたという曲なのです
またもや平家ーーーーー
やっぱり今は平家の流れなのか
とか思っていたのだけど・・・
これの理由がはっきりしてきたのは
もう少ししてから。
で、その後、ある人から言われのないことで
言いがかりをつけられる体験をして
それをヒーリングの師匠に話したら
「テリトリーの問題やね。
戦国時代とかの時のをクリアリングすると良いよ」
と言われ
やっぱりか・・・
と思い、戦国時代のことと
そこからの流れで源平合戦のことも
もう一度調べたのです
戦国時代のことは
例のごとく
チャクラん堂のくみちゃんが
徳川家康と織田信長が夢で出てきたということで
かなりホットな話題ではあったんだけどね
実はこれも源平からの流れがあったんです
織田信長は平氏の子孫だと名乗り
そして徳川家康は源氏の子孫と名乗ったという
これは実際の血脈的なルーツというよりは
源平交代思想
というものが当時あったらしく
そこからの流れだったのだそう。
なので、源平の戦いは
実はずっと終わってなかった
というではないですか
いやはや。
源平の戦いを
統合していくメッセージですね
と思っていたのだけどね。
先日、ニトエリさんと有賀さんとで
zoomを繋いだんです
お二人は義経のエネルギーを
持っているというので
そこらへんのお話も聞きたくて
で
「私たち、ずっと源氏の方に
縁があると思ってたんですけど
鎌倉がどうにも合わなくて・・」
と話すと
「いや、鎌倉は源氏の
最期の地だからじゃないですか
」
と有賀さん
え
どゆこと
と話を進めていただくと
驚くべきことが分かったのです
なんと鎌倉幕府最後の将軍
源 実朝(みなもと の さねとも)は
鶴岡八幡宮の銀杏の木の下で
甥の公暁(くぎょう)に
暗殺されているというのです
しかも・・・・
暗殺日は1月27日
何を隠そう1月27日は私の誕生日
調べると公暁の没日も1月27日
ぎゃーーーーーー

「ここで殺された気がする」
ってこれのことやったん

なんなんこれーーーーーーーー

ならば、やはり源氏の鎮魂
そして平家の鎮魂
ひいては源平の和合が
めちゃくちゃ大事やん

ってなったのです
そして、有賀さん曰く
義経は結局、兄の頼朝に殺されているし
実朝も甥に殺されてる
信長も家臣の光秀に殺されてて
元はと言えば「世直し」をしようとしたのに
結果、身内に殺されるってのも
なんの因果だろうね
と。
そして、またまた
ぎゃーーーーーー

何故ならば、鶴岡八幡宮の参道で
文明法則史学の村山節先生が
「文明には波がある」
というメッセージを
受け取っているからなんです
源実朝の暗殺など
そういう波があるのだとして
その歴史の残る場所だったから
そういうメッセージを受け取られたのかも・・
って思ったら
もはや鳥肌・・・
でね。
「世直し」とはなんぞや
ってことに行き着くんですよね。
権力争い
正しさの押し付け合い
という世界では
どうやっても統合しなかった歴史
現代を生きる私たちがやっていくことは
もはや、統合です
その統合とは
結局は私たち一人一人が
光っていくのみ
だからこそ
やっぱり
永遠の光の祭りを起こしていく
のが
私たちの役割だなって
強く感じたのでした
それでは![]()
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