大事件勃発!のプロローグ | Koko's Life

Koko's Life

波瀾万丈の半生記

今回は、大事件勃発のプロローグ!!です。

2006年6月父が他界してから、歯車が完全に狂ってしまいました。

その2年半前の冬、早朝呼吸停止の状態で病院に運ばれた父。
電話連絡を受け病院に駆けつけるも、依然危険な状態が続いている。
どうにか呼吸は確保出来たものの、症状が深刻すぎて、何も出来ない状態に。。。

そのとき、新人の女医さんが、”ある病気”の可能性を指摘。。。
”この病院では手に負えない。。。設備の整った大学病院に搬送。。。一刻を争う”...との事

すぐさま、救急車に乗り込み(父の付き添いの為) 約1時間弱の時間をかけて、
大阪市立大学付属病院に到着。
すぐに集中治療室へ、、、

こんな時、母は全く役に立ちません(ごめんショック!でもホント)
オロオロして、泣いてばかりで。。。(情けない。。。)
普段父に甘やかされて生活しているから、いつまでも子供みたいなんです(トホホ。。。)

一方私は。。。生粋の強者で、数々の修羅場をくぐって来た経験からか、
何事にも動じる事無い性分になった為。。。こんな時は重宝されます。。。(なんだかなぁぁぁ)

女医さんの指摘通り、日本では数例の病気である事が判明。
この病気について卒業論文を作成したそうです(女医さんGood job グッド!
ベテランの医師でも、判例が少なすぎて 誤診される可能性があるとの事でした。

約2ヶ月半を ICU 室で過ごした後、ようやく一般病棟へ。。。
準 ICU 室のようなところですが、家族はいつでも入る事ができるので、少しだけくつろげる状態に。。。

その頃、私はまだごんべえさんと離婚する前で、毎日死ぬほど働いていた時期です。
それでも父の容態が心配で、美容院の仕事が終わると
片道1時間半をかけて、毎日病院通い。。。

この頃父は、か細い声ながらも話す事ができたので、
ICUに居た頃の”臨死体験”の話叫びなど、聞かせてくれました。

6ヶ月の入院生活を終えて、父は生還する事が出来ましたクラッカー
入院中主治医から、”退院後は車椅子の生活になるだろうし、介護が必要になるだろう”
。。。と言われていました。だから私、ヘルパーの資格を取得したんです。父の為にチョキ

父も私の世話を快く受けてくれて、
”koko 花見に行きたい。。。弁当付きで。。。”(甘え過ぎやろ~~・笑)
”koko病院まで送って。。。”(はいはい。。。)
私の車は、いつしか父専用車に(あはは)
父はkoko...koko...と無邪気に呼んでくれます。私もそれがうれしくて。

孫3人(我が息子と兄の息子2人)いるけれど、”◯○←(息子の名前)が一番好きや”といつも言い、
アメリカ留学が決まった事を話すと、
”青い目の嫁さんかぁ。。。でもな◯○←(息子の名前)、黒い人は止めとけよ”と爆笑し、
不自由ながらも、親孝行が出来る時間を神様が与えてくれたのだと、感謝しています。

2年6ヶ月の闘病生活を終え、父は隣に居る母が気づかなかったくらい静かに息を引き取りました(涙)

さて。。。ここからが本題です。

親が亡くなると、財産相続が発生するんです。
ウチも例外に漏れず。。。
普段仲のいい親兄弟でも、争うと評判の財産分与です。

私、こう見えても 案外欲ってないんです。
欲しいものがあれば自分の力で手に入れればいいだけで。。。
只。。。ね、あまりにも理不尽な事をされると、倍にして返したい性分でして。。。

母・兄・兄嫁・私。。。の4人で話し合いました。
。。。が、母は父が亡くなった後、ショックから鬱状態が続き、痴呆も混じったような。。。
お陰で兄のしたい放題です。

兄曰く。。。
貯金や保険金は今まで世話して来た”俺のもの”。(世話して来たの...私なんですけどぉぉぉ汗
実家の土地と家屋も”俺のもの”(そりゃまぁ住むトコは大事です)
Kokoの家を建ててある田畑も”俺のもの”。(エエ~~~)
Kokoの取り分はkokoの家とその土地だけ。。。(まぁそれだけでも。。。)
   アップ
自分では賢いと思っている兄。。。のなんと阿呆なことかガーン
1/2は母のもの。1/4づつが私と兄の取り分です。
でも、そんなんどうでもいいんです。
私は自分の家と土地さえあれば。。。

ただね。。。カチンときました。
母の分与がないんです。
母の分まで、自分の名前にするつもりなんです。
私、これにはキレました。
”欲ボケにも程がある 自分の親をなんやと思てるねん”。。。と。

”こうなったら。。。言わせてもらおかむかっ”。。。。。です。

次回”大事件勃発。。。醤油まみれの私”です。
お楽しみに!!