「耳をすませば」の監督・近藤喜文さんインタビュー - 「借りぐらしのアリエッティ」公開記念!? | すくらむ

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 スタジオジブリ作品「借りぐらしのアリエッティ」が、きょうから公開されています。それで日本テレビでは、過去のジブリ作品をいくつか放映しています。先週、「耳をすませば」も放映されました。そのときに思いついたのが、きょう紹介する“「借りぐらしのアリエッティ」公開記念ブログエントリー!?”です。


 じつは私、仕事(国公労連の機関紙『国公労新聞』の著名人インタビュー企画)で、スタジオジブリにうかがって、近藤喜文さんと高畑勲さんにインタビューしたことがあるのです。(残念ながら、宮崎駿さんは、私の前任者が「風の谷のナウシカ」のときにインタビュー済みでした)


 近藤さんが「耳をすませば」の監督をされた翌年の1996年にインタビューしたのですが、そのときスタジオジブリでは「もののけ姫」を制作中でした。ところが、その2年後の1998年1月21日、近藤さんは解離性動脈瘤により、47歳の若さで亡くなられました。


 近藤さんは、スタジオジブリでの「耳をすませば」(1995年)の監督をはじめ、「火垂るの墓」、「おもひでぽろぽろ」、「赤毛のアン」、「名探偵ホームズ」のキャラクターデザイン・作画監督(あの「火垂るの墓」の節ちゃんを生み出したのが近藤さんです)や、「魔女の宅急便」「もののけ姫」の作画監督など、数々のすばらしい仕事をされました。高畑勲さんは、近藤さんの存在なしでは、「火垂るの墓」、「おもひでぽろぽろ」、「赤毛のアン」などの作品はありえなかったと語っていますし、宮崎駿さんも「日本屈指のアニメーター」として、近藤さんを高く評価し、「耳をすませば」に続く作品を一緒につくろうとしていた矢先に近藤さんは亡くなられました。


 宮崎・高畑作品を作画面で支えた近藤さんですが、宮崎さんの「となりのトトロ」と、高畑さんの「火垂るの墓」を、同時期にジブリで制作することになったとき、近藤さんの争奪戦が起こり、高畑さんは「他は何もいらないから近ちゃんだけ欲しい」、宮崎さんは「近ちゃんが入ってくれないなら僕も降板する」と言い出し、鈴木敏夫さんが仲裁に入り「宮さんは自分で絵が描けるから」と助言して、近藤さんは「火垂るの墓」の制作にたずさわったとのことです。


 「耳をすませば」や「火垂るの墓」など数々の作品の中に、近藤さんは生き続けていますが、近藤さん自身がどんな思いで作品をつくっていたのかという一端が分かるかとも思いますので、以下インタビュー記事を紹介します。


 スタジオジブリ作品
 映画「耳をすませば」の監督
 近藤喜文さんにインタビュー
 (『国公労新聞』第943号1997年1月1・11日合併号掲載)


 「子どもたちを励ます映画つくりたい」


 初仕事は「巨人の星」


 ――いまのお仕事をされることになったきっかけはどんなことだったのでしょう。


 近藤 子どもの頃から絵が好きだったということが大きいのですが、直接的には、高校生のときに、高畑勲監督のアニメーション映画「太陽の王子ホルスの大冒険」に感動して、アニメーションを作ってみたいと思ったのがきっかけです。


 高校を卒業後、この世界に入り、はじめは動画を描いていて、初仕事はテレビの「巨人の星」でした。メインスタッフとしてキャラクターデザインを初めて担当した作品がテレビの「赤毛のアン」です。


 ――動画というのは、どのようなものですか。


 近藤 絵コンテ(シナリオに絵が描かれたもの)にそって原画担当の人が、最初のポイントになる絵を描いて、動画はさらにその間に何枚かの絵を入れて一連の動きを完成させる役割をもっています。


 ――キャラクターデザインを考えるときに、人物の性格とかは脚本のほうでできあがっているのですか。それとも一緒に考えるのでしょうか。


 近藤 いっしょに考える部分もありますね。「赤毛のアン」のときは原作が有名ですが、髪が赤くて、目が大きくて、そばかすがあってとか、原作を読んで描き始めたのですが、うまくいかなくて、監督の高畑さんに「かわいく描いていちゃだめだ」とか、「たとえば、映画女優でいうとミア・ファーローみたいな感じじゃないか」とか提案があって、試行錯誤しながらつくりました。


 ――「耳をすませば」で、初めて監督をされたわけですが、ご苦労されたことはどんなことですか。


 近藤 キャラクターデザイン・作画監督は、自分の守備範囲がはっきりしていて、そこだけで専念していればいいんですけど、監督となると、声とか音楽とか含めて作品全体を見なければいけないので大変でした。


 女性が自立しているから主人公に


 ――「耳をすませば」や「おもひでぽろぽろ」など、主人公が少女、女性の作品が多いですね。女性を描くときに大切にされていることはどんなことですか。


 近藤 女性だけに限りませんが、人間を描くときに、のびのびとした素直な感じの絵が描きたいといつも思っているんです。主人公だけじゃなくて、その他大勢の登場人物も、見ていて気持ちがいい絵を描きたいですね。


 主人公に女性が多いというのは、やはり、女性が自立しているからじゃないでしょうか。炊事洗濯など家庭生活も含めて、男より女のほうがちゃんと生きていく感じがしますよね。


 労働組合で学んだとても大切なこと


 ――労働組合については、どのような考えをお持ちでしょうか。


 近藤 私自身、30歳近くまで、労働組合のある職場にいたんです。“本当に人間らしく生きるとは”、“民主主義とは”ということを考えて、話をする中で、労働組合の仲間から多くのことを学びました。仲間は信頼できるものなんだということも、労働組合から学んだとても大切なことだったと思います。


 ――労働組合では、どのようなことをされていたのですか。


 近藤 当時は、下請けの下請けのような零細プロダクションがたくさんあって、アニメ業界の中にどのくらい会社があるのかというのも全然わからないような状況だったんです。それで自分のところだけでやっててもだめだから、よそに働きかけに行かなきゃとか言って、20代ぐらいの人が多い職場でしたけど、電話帳で調べて訪ねて行って話をしたり、貧しい労働条件を告発する雑誌を発行したりしました。それに、アニメ文化も平和があってのものですから、平和の問題なんかも取り組んでいました。


 子どもたちに戦争の事実を伝える努力が必要


 ――「火垂るの墓」を見るたびに泣いてしまうという職場の仲間も多いのですが、キャラクターデザイン・作画監督をされたときのことなどをお聞かせください。


 近藤 こんなことはあってはいけないと思いながら、「火垂るの墓」を描いているうちにだんだん背筋が寒くなるというか、鳥肌が立つみたいな感じがしながら描いていました。


 戦争をテーマにきちんとした仕事ができたらいいなと思っていたので、「火垂るの墓」をやらせてもらって良かったと思っています。


 できあがってから、高畑さんのところに、韓国の方がみえて、戦後40年もたってまだ被害者意識で映画を作っていていいんだろうかと言われました。侵略戦争の加害責任を問うようなこともやらなくちゃいけないという話は前からあって、じつは、高畑さんが「おもひでぽろぽろ」の準備をする前に、「国境」というタイトルの作品を手がけようとしていたんです。満州に行ったきり行方不明になった兄を主人公が探しにいき、解放戦線の女性と出会った主人公が、日本という国が何をしているのか疑問を持ち始めるという内容の話だったんです。その話も具体的に進み始めたんですけど、天安門事件などの影響で企画が流れたんです。いま、そういう作品も大切だと思います。


 ――そうですね。


 近藤 最近は、日本の現代史を否定的に教えるのはよくないなどという人がいて、学校の先生なんかも影響を受けて、従軍慰安婦はいなかったみたいな話になり、非常に気になります。


 広島で平和の問題を教えてる人が言っていた話ですけど、広島にいつ原爆が落ちたか知らない子どもが増えているというんですね。


 「火垂るの墓」を作るとき、たった40年前のことなのにわからないことがいっぱいでした。たとえば、昼間の焼夷弾というのを誰も覚えている人がいなくて、結局よくわからなかったんです。


 そんなむずかしさはあると思いますが、子どもたちに戦争の事実を伝える努力をしなければ、風化する一方だと思います。ちゃんと戦争の事実を伝えていかなればいけないと思います。


 国公労連は「行革」に負けないで


 ――国家公務員については、どのように思われますか。


 近藤 いま行政改革とか公務リストラで問題になっていますよね。赤字を理由にして、結局、削られるところは、福祉とか、教育とか、生活に直結するようなところが多いじゃないですか。


 国家公務員なんていうと、仕事をしないとか、お役所仕事とかよく文句言われますよね。そういうことがあれば見直してもらわなきゃと思いますけど、基本的に、いつの時代でもそういう言われ方をして生活に一番近いところが削られていくような気がします。


 赤字でいいというわけじゃないですが、コスト第一となると、結局企業と変わらなくなりますよね。企業と同じだったら、もうからないことはやめようという話になってしまう。そうじゃなくて、必要なものは必要だというところで、国公労連は負けないで欲しいですね。


 行政は市民の身近な味方になって


 近藤 とくに、行政機関が大事だなと思ったのは、子どもが生まれたときでした。私のところは共稼ぎで、保育園に子どもをあずかってもらっていたのですが、核家族だったので、地域で支えてくれる受け皿がないとやっていけなかったですね。


 最初は民間の保育園に子どもをあずけていたんですけど、当時(19年前)のかみさんの給料が手取り6万円ぐらいで、保育料が4万円もしたんです。


 これではやっていけないので、なんとか公立の保育園に入れてもらおうと、父親も行って頼んだほうが入れてもらいやすいからということで、私も何度か市役所に出かけて、生活がいかにたいへんかという話をしたりしました。


 それで、公立の保育園に入れたら、保育料が千円になった。アニメーション業界は低賃金なもので、5段階ぐらいのランクがあって、いちばん下のランクの保育料になったんです。


 そのとき、行政というのはこんなふうになると、ありがたいなと思いましたね。


 やはり、いつの時代でも、行政が市民のいちばん身近な味方であって欲しいですね。


 ――お仕事の予定をお聞きしたいのですが。


 いまは、今年の夏に公開される宮崎駿監督の作品「もののけ姫」の原画をチェックしたりする手伝いをやっています。


 この作品は、これまででいちばんの大作になっていまして、いままで描いたことがない時代劇なものですから、侍が登場したり、着物を描いたり、わからないことが多くてたいへんな作業になっています。この作品もたくさんの方に見てもらいたいですね。


 ――最後に、取り上げてみたいテーマについてうかがいたいのですが。


 近藤 「耳をすませば」の後で感じるのは、いまの子どもたちが置かれている状況が、僕らの頃とはずいぶん違っていて、すごくたいへんになっているんじゃないか、子どもが希望を持って生きて行くのが困難になっているんじゃないか、ということです。


 子どもをひとつのものさしではかるのはやめて


 近藤 いまは、子どもをひとつのものさしで、はかっている感じがします。
 そのものさしの基準に、子どもをあてはめて、子どもの価値が決まるみたいになっている。そのものさしで、はかれない子どもは、居場所がなくなるし、生きていく希望がなくなるような状況になっている気がします。


 ――自分の居場所がなくて、自殺してしまう子どもも増えているようで、すごく悲しいですね。


 近藤 そうなんですね。勉強ができる子もいるし、できない子もいる。スポーツの得意な子もいるし、そうでない子もいる。いろんな子がいていいんだということを、子どもたちに言ってあげる必要があると思います。


 うちの子どもの友だちなんかを見ていると、みんな、それぞれの置かれているところで、一生懸命がんばってるんですよね。そういう子どもたちを励ましてあげられるようなものができたらいいなと思うんですよ。


 子どもたちを、ひとつのものさしで、はかるのはやめて、すべての子どもたちに「あなたはすばらしい」と言ってあげる必要があると思います。そういうメッセージを子どもたちに届けられる作品をつくりたいですね。


 ――きょうは、お忙しいなか、ありがとうございました。


(※紙面の制約で削ったお話がいくつかあるのですが、ひとつは「火垂るの墓」をつくるにあたって、近藤さんと高畑さんは、画家いわさきちひろさんの『戦火のなかの子どもたち』から、子どもの表情などを学んだとのこと。それと、インタビューの最後に出てくる「子どもたちを励ましてあげられるような作品」のひとつの例として近藤さんは、灰谷健次郎さんの小説『天の瞳』のような作品世界を描いてみたいと語っていました。それから、近藤さんのパートナーは、山浦浩子さんで、宮崎作品「ルパン三世・カリオストロの城」の色指定をはじめ、「パンダコパンダ」や「名探偵ホームズ」の仕上げ(彩色)チーフなどで活躍されている方です)


▼近藤喜文(こんどうよしふみ)さんの主な作品


巨人の星(1968年) 動画・原画
ルパン三世(1971年) オープニング原画・原画
ど根性ガエル(1972年) 原画・作画監督
パンダコパンダ(1972年) 原画
パンダコパンダ 雨ふりサーカスの巻(1973年) 原画
ガンバの冒険(1975年) 原画
未来少年コナン (1978年) 原画
赤毛のアン(1979年) 原画・作画監督・キャラクターデザイン
トム・ソーヤーの冒険 (1980年) 原画
名探偵ホームズ (1985年) 作画監督・キャラクターデザイン
愛少女ポリアンナ物語(1986年) 原画
愛の若草物語 (1987年) キャラクターデザイン・原画
火垂るの墓 (1988年) 作画監督 ・キャラクターデザイン
魔女の宅急便(1989年) 作画監督
おもひでぽろぽろ (1991年) 作画監督・キャラクターデザイン
紅の豚 (1992年) 原画
そらいろのたね (1992年) 監督
海がきこえる (1993年) 原画
平成狸合戦ぽんぽこ (1994年) 原画
耳をすませば (1995年) 監督
もののけ姫 (1997年) 作画監督


(byノックオン。ツイッターアカウントはanti_poverty)