『派遣村、その後』小川朋・小森陽一・浅尾大輔トークセッション | すくらむ

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 11月13日夜、「派遣村のその後と個人の尊厳~貧困という問題を突破するための実践と思想とは」と題したトークセッションに参加しました。これは、「平和の棚の会」創立1周年記念企画で、『派遣村、その後』(新日本出版社) を執筆した30歳の女性ルポライター・小川朋さんと、東大教授で「九条の会」事務局長・小森陽一さんとの2人のトークセッションだったのですが、終了後、小川さん、小森さん、ロスジェネ編集長で作家の浅尾大輔さんらとともに、私も打ち上げに誘われ参加しましたので、“打ち上げでのトークセッション!?”も含めて興味深かった点などを紹介します。(byノックオン)


 小川朋さん編著『派遣村、その後』の74~75ページに、年越し派遣村村長・湯浅誠さんの次の言葉が紹介されています。


 「溜めというのは、そこからエネルギーをくみ上げていく機能を持つもので、なにかやるときの自信になるとか、それがあればやれると思えるとか、がんばれるとか、ですね。私は、当事者が失った溜めを増やすために、居場所をつくるしかないと言っています。自分も生きていていいんだと腹に落ちる場所をつくる。誰かからそう言われなくても、ああ、自分も生きていていいんだ、と思う瞬間がある。それが来るのを待つか、そういう場所を用意できるか。たたかうためには、たたかわなくていい場所が必要です」


 「人の溜めをみるためには、自分の溜めを自覚するのがまず一歩です。『あの人たちは本当に努力しているのか?』という問いから1回離れないと、何のために居場所をつくるのかもわからなくなる。そのことがわからないという人も、家に帰れば、愚痴を聞いてくれる妻がいるわけですね。そういう溜めがある。そのことを自覚しないと、ああ、自分はそういうなかで生かされているんだということがわからないでしょう」


 湯浅さんが指摘する「自分も生きていていいんだと腹に落ちる場所」が、全国各地で取り組まれている「派遣村」であったり、もやい であったりするのだと思います。そして、「たたかうためには、たたかわなくていい場所が必要」という湯浅さんの指摘は、貧困問題を突破するための最初のステップになるのでしょう。


 トークセッションの中で、小川さんは、従来の労働運動の決まり切った運動の有り様、「労働者は団結してたたかって当然」みたいなところに、確かにその通りではあるのだけれど「ある種の違和感やためらいを感じる」と語りました。この小川さんの「違和感」や「ためらい」は、「自分も生きていていいんだと腹に落ちる場所」や「たたかわなくていい場所」さえ奪われている派遣労働者などにとっては、従来の型にはまった正社員中心の企業内の労働組合の運動が、あまりに無力であったという問題にも関係するように思いました。


 それに対して、小森さんは、従来の労働運動の正しさや強さに向かっての団結というのは、ためらいがちの弱さを持つ労働者にとっては「自分は弱いんだ」という自分自身の弱さも口にできないという点で、ある種の疎外感を感じてしまう問題があるのかもしれないと指摘していました。そもそも強さに向かっての団結をふりかざしてきた従来の労働運動系がこの惨憺たる到達状況にあるわけだから、人間は弱いというところからまずつながっていく、その弱さを肯定するという形で連帯を築いていくことが重要になっているのではと小森さんは語っていました。


 これに関わって、湯浅さんが派遣村シンポジウム(6/28)のときに、労働運動系はたたかう労働者、立ち上がった労働者、声をあげた労働者だけを中心にする傾向がどうしてもあって、生活系/生存系の運動はたたかえなくても、たたかわなくてもまず居場所づくり、生存を肯定するというところからスタートすると指摘していましたが、派遣労働者をはじめとした非正規労働者の問題は、従来の労働運動ではなく生活系/生存系の運動に近い取り組みが必要になっているということでしょう。これからの労働運動の連帯は、声をあげない労働者、立ち上がらない労働者に対しても冷淡であってはいけないのです。


 そして、人間は強さも弱さもあわせ持つ存在であり、ためらいながら生きている、声無き声があるということを描くルポルタージュや文学などによって共感を広げていくことも大切になっています。(※そうした観点での日本近代文学の読み直し作業が必要という点について、小森さんと浅尾さんの間で夏目漱石論や太宰治論をはじめとするレベルの高い議論が交わされましたが私の能力では紹介しきれません。とりあえず、浅尾さんの新刊『ブルーシート』 で小森さんとのトークセッションを企画してもらいたいという要望は出しておきました。加えて打ち上げでは、小森さんの東大の授業を、東浩紀さんや萱野稔人さんが受講していたときの話なども飛び出し、先月のテレビ朝日の「朝まで生テレビ」での東浩紀さんの凄さなどの話で盛り上がりました)


 また、従来の労働運動が企業内の賃金闘争に特化してしまって、一番大切な労働者の権利について全労働者的な権利闘争を進められなかった弱点が今あらわになっていると小森さんは指摘します。19世紀から労働者が血を流しながら勝ち取ってきた労働者の権利・労働法体系を、1990年代から現在までの労働法の規制緩和路線で一気に崩されてしまった。とりわけ、派遣労働者にとっては、労働者を守るはずの労働者の権利・労働法体系が、悪法によって執行停止状態にされていて、派遣労働者は労働者の権利を守られるどころか、人間としての生存権さえ守られず、路上に放り出される結果となっているのです。労働者を守るはずの法体系が執行停止状態になっているがゆえに、憲法25条の生存権を直接立てて、厚生労働省の目の前で国と対峙する「年越し派遣村」が必要だったわけです。フランスでは1年間家賃を滞納していても、冬場には家を追い出してはいけないという法律があるのです。追い出したら凍死してしまいますから、市民の命を守るために政府が法律で規制しているわけです。ところが、住む家を確保するのも自己責任とされる日本社会では、冬場に凍死しようがどうしようが路上に放り出すという社会になってしまっているのです。


 展望として小森さんは、『派遣村、その後』の中の「道筋をつける人々 労組に入って直接雇用かちとり正社員化めざす」(169~182ページ)で紹介されている派遣先の正社員の労働組合が派遣労働者も組織化して一緒にたたかっている労働組合・JMIU日本トムソン支部の運動をあげました。派遣労働者は実際に働いている企業側と雇用関係に無いため、団体交渉も不可能な無権利状態に置かれていたのですが、派遣先の正社員労働組合と連帯することで、派遣労働者も団体交渉の席に着くことができたのです。


 「私たちが求めている(派遣社員の)正社員化は、『ふつうに働き、ふつうに生活がしたい』というだけなのです」、「若い派遣労働者からは、『どうして僕らのために頑張ってくれるのか。自分の利益にはならないじゃないか』とよく聞かれます。私は、決して人のためと思ってやっているわけではありません。私たちは、姫路工場の未来を若い彼らに託したいのです。私たち社員がこつこつと積み上げた技術を伝えたいのです」、「職場というのは地域に根ざし、その場所で働きたい人を採用し育てていく、それが当たり前のことなのです。私たちも派遣の若者も同じ職場の仲間です。誰かのためではなく、みんなのためにたたかっているのです」(JMIU日本トムソン支部執行委員長・前尾良治さん談、小川朋編著『派遣村、その後』181ページより)