新自由主義で意図的につくられる「一部のエリート」と「子どもの貧困」 | すくらむ

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国家公務員一般労働組合(国公一般)の仲間のブログ★国公一般は正規でも非正規でも、ひとりでも入れるユニオンです。

 なぜか一昨日の朝日の報道よりも数字が大きくなっていますが、国民健康保険証を取り上げられ「無保険」状態になっている中学生以下の子どもが全国で3万2,903人にのぼることを、厚生労働省が昨日発表しました。3万人を超える子どもたちが医療からも排除されるなどの「子どもの貧困」は、じつは新自由主義によって「つくられる貧困」なんだということを、東京田中短期大学准教授の山本由美さんが要旨次のように指摘しています。(雑誌『経済』10月号所収「座談会 子どもの貧困と現代社会」)


 新自由主義、グローバリゼーション下で、経済界は日本が勝ち抜くためには、一部のエリート人材養成が必要と考えています。しかし、お金はかけたくないので、エリート養成の一点集中的な仕組みをつくって、エリート以外の教育は切り捨てたいわけです。この仕組みをつくる柱が全国学力テストで、学校評価や教員評価によって学校や自治体を序列化し、それにリンクして学校選択制を機能させて、経済界は差別的な予算配分システムをつくっていきたいと思っているのです。


 そうして、今まである程度平等だった公教育を意図的に序列化し再編していき、結果として意図的に「子どもの貧困」がつくられていくシステムができあがることになります。


 貧困と子どもの学力は強い相関関係をもっています。学力テストの点数の高い学校は就学援助率が低く、就学援助率が高い学校は学力テストの点数が低いのです。


 学校選択制で、就学援助率が低く学力テストの点数の高い学校に生徒が集中していき、集中する学校はほぼ例年固定化しています。所得階層と、学校を選択する行動と、学力テストがリンクして、学校の格差が固定化していくのです。


 一方の学校には、高い所得階層の子どもが集中し、学力テストの点数も上がる、そして、もう一方の学校には、その逆のことが現れます。そして、後者の学校は、学校選択制のもとで小規模化し、すぐに統廃合対象となります。


 学校統廃合のケースを調査すると、子どもたちは、生まれ育った身近な人間関係から無理矢理引き抜かれて、新しい場所に入れられるけども、教育内容のすり合わせも不十分で、不安を相談できる慣れ親しんだ教師もいないといった状況の中で、孤立感、無力感によって心に傷を負って荒れていきます。子どもたちは心的外傷状況にあるといえ、統合後、学級崩壊、不登校、いじめなどが起き、子どもたちが荒れてしまうのです。


 地域の小学校の集団が学校統廃合で壊され、保育の集団(子どもと父母と職員と地域)も保育園の民間委託で職員も保育内容もある日ガラッと変わり壊されていく。子どもたちが身近な地域の中で、自分の人格の核になっていくような周りとの人間関係が奪われていく。貧困によって人間関係も奪われていくのです。自己責任という原理は、個々の家族の親たちをバラバラに分断していくことにもなり、さらに学校評価、教員評価が保護者と教員を分断していくことにもなります。


 また、山本さんは、教育のありようの問題について、以下のように座談会で語っています。


 教育の領域で、対貧困政策として行われているのは、道徳教育の強化です。家庭教育や家庭・地域・学校の連携、幼児教育、そういうところに国がグッと手を入れ、政策の側から家庭の自己責任を唱えながら中身に介入してくる、そういう政策の流れが強まっています。生活困難層や貧困層が社会を不穏にしないようにという治安維持的な意味で、道徳教育を強化し、子どもの内面の問題をそのままにして表面に道徳を無理矢理かぶせることで、かえって子どもの心が壊されていくという側面があると思います。そういう流れにいかに対抗する共同をつくっていくか、というのが大きな課題です。


 そして、無償の公共サービスとして大学教育まで受けられるヨーロッパの多くの国と、日本のように個々の家族の大きな負担で賄う国とでは、まったく違うと思います。大学まで税金で学べて、無償で卒業して能力を培った子どもたちは、やがて学んだことを社会に還元しようとか、社会のために働こうとか、共同して社会をつくっていこうとか普通のことのように思うでしょう。自分の利益のためだけに能力を使わないで、能力は共同の財産なんだということが当たり前のこととして育っていく国と、そうではなくて、親が死に物狂いで働いて教育費を稼いで、競争的な関係の中で、少しでも他の子より先に知識をつめこんで、自分だけでも勝ち組になろうと必死に子どものときから生きている国と、ぜんぜん違う人間が育ってくると思います。


(byノックオン)