子どもたちの貧困は「彼ら」の問題でなく「私たち」の問題である~子どもの最貧国・日本 | すくらむ

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 OECD(経済協力開発機構)が、10月21日、加盟30カ国のうち日本を含む4分の3以上の国で貧富の格差が拡大したとの報告書「格差は拡大しているか」を発表しました。報告書によると、過去20年間に高所得層の収入が軒並み高い伸びを示したのに対し、中・低所得層や若年層の貧困が増加し、低所得層の子どもが将来、高い収入を得る可能性が低いと指摘。2005年時点で子供8人のうち1人は所得分布中央値の半分未満の所得で暮らす「相対的貧困状態」にあるとしています。


 子どもの貧困の問題にかかわって、山野良一さんが、「日本の相対的貧困率はOECD諸国で2番目の悪さ 日本政府が認めたがらない、この国の貧困と子どもの未来」(週刊東洋経済10/25付の特集「家族崩壊」の中のルポ)と、『子どもの最貧国・日本~学力・心身・社会におよぶ諸影響』(光文社新書)を執筆しています。


 「私がソーシャルワーカーのインターンとして働いていたセントルイスでは、貧困地域と豊かな地域では、児童虐待の発生率は最大で250倍もの差を示す。貧困地域では年間1,000人当たり50人の子どもが児童虐待の被害児となり、豊かな地域では、わずかに0.2人にしかすぎない」


 「貧困大国」でもあるアメリカは、同時に「虐待大国」でもあり、子どもの人口は日本と3倍ほどしか違わないのに、児童虐待の発生数が30倍も多く、児童虐待で亡くなってしまう子どもたちの数も年間1,530人(2006年)にもおよびます(日本は60人。心中を入れて120人)。そして、アメリカ全土で児童虐待で亡くなった子どもの大半が、全米の平均的収入の半分しか得ていない貧困家庭の中で生活していたことが分かっています。


 また、アメリカでは、90年代から、母親の胎内で麻薬に晒されてしまう“ドラッグベビー”“コカインベビー”が全米の赤ちゃんの5%にのぼり、出産時に低体重など後の成長にリスクを負うような状況になっています。


 ノーベル経済学賞受賞者のロバート・ソローが中心になって、子どもたちの貧困がアメリカ社会全体へおよぼすコストを試算したレポート(1994年、Children's Defense Fund)の内容を、山野さんは新書の中で次のように紹介しています。


 子ども時代に1年間貧困状況にあると、生涯賃金は約1万2,000ドル(約152万円:92年当時)減額すると予想。そこで、国内すべての貧困な子どもたち約1,400万人について合計すると、1年間の影響のみで1,769億ドル(約22兆円)の減額になるとしています。一定の条件のもとでは、賃金の変化はほぼ生産性の変化と等価であるという経済学上の仮説に基づけば、この額は子どもたちの貧困がもたらす社会全体の生産性の減額になります。


 他方で、ここでは子どもたちの貧困をなくすためのコストについても計算していて、国勢調査からすると、92年当時は、子ども1人あたり、平均2,800ドルあれば貧困ラインを超えることができたとして、合計約400億ドル(約5兆円)があれば、全米の子どもたちを1年間貧困から抜け出させることができると分析しています。


 つまり、ソローたちの計算によれば、貧困を終結させるためのコストより、貧困から影響を受けるコストの方が上回っていることになります。こうして、ソローたちは、子どもの貧困を放置することによって、多くのお金を無駄遣いしていると主張するのです。


 そして、アメリカと肩を並べる貧困大国である日本の異常は、「貧困層をより貧しくする日本の歪んだ所得再配分」(週刊東洋経済10/25)にあります。政府は、市場経済のなかで家族が働いて得た所得(市場所得)に対して、税金や社会保険料を課し、子どもに関する政府からの手当などを給付します。この政府による介入で、日本以外のOECD諸国は、貧困状況にさらされる危険から多くの子どもたちを救っています。2005年の平均で見ても、「政府介入前の貧困率」の60%程度に「政府介入後の貧困率」を押し下げることに成功しています。唯一、日本だけが12.9%から14.3%(05年)へと政府の介入により逆に貧困率を上昇させるという異常事態をまねいているのです。驚くべきことに、なんと日本政府による「所得再配分」「社会保障」は、貧困層をより貧困におとしいれているのです。


 先に紹介したソローのレポートには次のように書かれています。


 子どもが貧困に苦しんでいるとき、当該の子どもだけが被害者なのではない。子どもが貧困を原因とした発達上のさまざまな課題を背負ってしまったら、社会はそのコストを代償しなければならなくなってしまう。企業は良いスタッフを見つけることができなくなる。消費者は、商品にもっと高い料金を払わなければならなくなる。病院や保険会社は、本来なら予防できたはずの病気を治療しなければならなくなる。学校の先生は、補習や特別教育に時間を費やさなければならなくなる。一般市民は、街頭で危険な思いをするかもしれない。政府は、刑務所の職員をさらに多く雇わなければならなくなる。市長は、ホームレスの人たちにシェルターを提供しなければならなくなる。裁判官は、さらに多くの犯罪や家庭内暴力などの事件を審理しなければならなくなる。税金を払う人は、防げたはずの問題にさらにお金を払わなければならなくなる。消防職員と医療関係者は、貧困の問題がなければ発生しないはずの忌まわしい緊急事態に対応しなければならなくなる。葬儀の担当者は、貧困の問題がなければ死なないはずの子どもたちを埋葬しなければならなくなる。


 新書の最後に、山野さんは、「多くの論者が危惧するように、いまの日本が向かっているのは、『貧困大国』アメリカの二の舞です。『持てる』ものと『持たざる』ものの格差が固定化し拡がっていくような社会では、犯罪や家庭内の暴力の増加がもたらされ、さらには戦争に対する社会全体の免疫力を失わせてしまうことは、アメリカの歴史や現状が、私たちに教える大きな教訓だと思います」「いまの日本が向かおうとしているアメリカ的な競争社会では、今日の『勝ち組』にいる人でさえも、明日の『勝ち組』に居残るためには、意味のない心理的なストレスと無駄な経済的な負担を、個人的にも社会的にも負っていかなければなりません。止まらない過労死や、過度のストレスや経済的な理由による自殺の増加がその究極の姿です」「子どもたちの貧困の問題は、こうして考えていくと、『彼ら』の問題ではなく、『私たち』の問題であるとも言えるのではないでしょうか。しかし、私たちは子どもたちという将来の貴重な宝の損失を防ぐことができるのです。子どもたちの貧困という現実を直視し必要な対策を続けていけば」と言及しています。


(byノックオン)