4月に広島の家族が送ってくれていた手紙とマスクが今日届きました。
ここ1ヵ月は『今どこにあるんだろう?』ってたびたび話題になっていたので
長い旅の末、ちゃんと届いて嬉しい。
一緒に入っていたカードと、今読んでる本
一昨日から幸せになる勇気を読み始めました。
嫌われる勇気と幸せになる勇気
アドラー心理学が対話形式で語られている大ベストセラー本です。
登場人物は青年と、アドラー心理学について話す哲人の2人だけなんですが、
この青年が口が悪いというか、けんか腰で、
アドラー心理学を論破してやるー!と哲人に向かって
ぺっ
この鉄面皮が!
きさま!
いまいましい毒虫め!
こういう言葉を吐くので、たびたび笑えて集中が途切れる・笑
だけど、読んでいると青年が反抗したくなる気持ちも分かる。。
ゆっくりじっくり読み進めようと思っています。
一回読んだだけじゃ到底理解できないし、きっと読むたびにハイライトしたくなるところが変わると思います。
自分が本をどんな風に読んでいるかについて、気づきを書いたことがありました。
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最近本を読みながらふと気づいたんです。
「自分の解釈したいように解釈している自分がいる」ということを。
具体例が出しづらいのですが、こう表現してみます。
自分の中にある世界で想像できる範囲の中で受けとめている
どういうことかもう少し説明すると、本を読みながらも同時に思考しています。
「こういうことかな?ああいうことかな?」「あー、あれね。」のように。
その、「こういうことかな?ああいうことかな?」「あー、あれのことね。」の中身が自分の経験上のもの、もしくは自分の想像できる範囲に収まっていて、
解釈を小さな自分の中でぐるぐる回しているだけ
と、思ったんです。
これの何がひっかかったのかというと、「私はちゃんと本を読んでいるのか?」と思ったんです。
自分の解釈したいように理解していたのでは、ただ、自分の考えとの答え合わせをしているだけで真の学びがないのではないか?
真の学びとは、理解できないことを理解してみようとするとか、自分はどうしてこういう捉え方をするのかとか、意味の分からないところは意味が分からないと残しておくとか、(無理やり当てはめるのでなく)
こういうことをせずに、答え合わせの自己満足に終わらせていたり、分からない本は自分に合わないだけの本として嫌ってた・・・
そんな風に思った。
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今日も読みながら、内容を読み取ってすぐに自分の経験と照らし合わせているのに気づいて、本を閉じました。
別にどんな読み方をしてもいいんだけど、
頭の中のおしゃべりが大きくなると、
もうそれは答え合わせになっているように思えて
頭を静かにしてただ目の前の言葉を飲み込みながら読みたいなぁと。
アドラーの思想に触れ、即座に感激し、「生きることが楽になった」と言っている人がいれば、その人はアドラーを大きく誤解しています。
アドラーがわれわれに要求することの内実を理解すれば、その厳しさに身を震わせることになるのですから。
8ページ目で早速釘も刺されております!
劇薬とも言われるアドラーの哲学にしばらく浸ってみます。
わたしはこの世界をどう解釈しているんだろう?と思ったら、ノートで読み解くことがおすすめです♡