こんにちは、
SAORIです。
3年前の今日書いた記事が上がってきました。
骨格診断を受けると似合うカタチ(シルエット)と、素材が分かるのですが、それと同時に分かることがあります。
似合わないカタチと素材です。
"似合う"の反対は"似合わない"なので、まあ当たり前なのですが、
似合う・似合わないにも段階があると思います。
すごく似合う!
似合う!
悪くない
うん・・・似合わない!
4段階くらい?
似合わない!というのはどういう状態かというと、
それぞれの持ち味や、個々人の魅力が表に見えず隠れている状態です。
とってももったいない状態です!
こんな風に書いていました。
今も同じように思っていますが、
「自分の着たいものを着よう、好きというときめきで選びます!」と思ったときに、好きだけど似合わないの矛盾。にぶつかることがありました。
「かわいい!」と思っても着た自分の姿が「変」ってことですね。
だから、好きな雰囲気と自分に似合う(と言われてる服)をなんとか擦り合わせようとしていました。そして、それはすごく難しいアプローチだったなぁと思います。
擦り合わせなくてよかったのかも
まず、似合わなかったら自分で見て気づいていました。
「なんか変」の感覚が教えてくれるからです。
それは、身体に合っていないってこと、私を活かせないってこと。
私を使いこなせていないってこと。
似合ってるって、自分がしっくりくること、そのストンと落ち着いた心地よさを自分自身が感じること、この姿は好みだ!と感じること。
だから似合ってないと感じた時点でそもそも好みになり得ない。
似合うって感じることも自分が感じる好き!の一部だ。
と気づいてから擦り合わせるって無理だなと思いました。そして、似合うと好きを戦わせて妥協ポイントを探るのはやめました。
今の自分に向き合って、そして身につける洋服やアイテムのことを知ろうとすれば自分に似合う服が好きな服になります。
自分に似合うを見つけるのは、自分がしっくりくると感じるものを見つけることです。
だから、「自分に似合う」を自分の感覚で判断しようとしなければ、誰のためのおしゃれ?となります。
似合うかどうかっていうことを、周りに承認されるべきものにしたら本当に苦しいことになるということです。
自分にしっくりくるのかそうではないのか。好きなのか好きじゃないのか
この感覚、最初はよく分からないと思います。
昨日書いた記事にも通ずるところがあります。
着たい服を着ようとしても、後ろ盾がないと不安でついつい好みより正解を求めてしまう自分
私も鏡を見て、〇!▲!とすぐ反応できませんでした。
だから写真に撮ってみることを続けました。
そして、比べます。
時間をかけてゆっくり決めます。
その間は服を買うのをやめます。
自分がどうなりたいかを自分に問います。
ファッションを通じて自分にとことん向き合う時間が私は大好きです。
すごく似合う!
似合う!
悪くない
うん・・・似合わない!
こっちは分かりやすい
このゾーンを体験するには、新しい出会いを面白がるスタンスだといいと思います。
好きな服が似合うとは限らないと言われますが、これは、今の時点で好きな服が・・・ですよね。
今まで好きだった服より、自分にしっくりくる服があるのかもしれない。
だから、今まで好きな服を似合うように寄せて着ることにこだわり続けるのはこのチャンスをうやむやにする感じがして私は好きじゃない。
新しい出会いを受け入れてトライしてみるということが新しい洋服に出会うきっかけとなり、それを着た姿に自分はどう感じるか?を知れるチャンスです。
似合ってるって、自分がしっくりくること、そのストンと落ち着いた心地よさを自分自身が感じること、この姿は好みだ!と感じること。
自分の「好き」を自覚していくことで自分に「似合う」に辿り着けると思います。