2023年 1月 感情のコントロールが出来ない | 大切なものは目には見えない

大切なものは目には見えない

日々の普通の生活が当たり前だと思っていたけど、それは当たり前では無かった。
今日と同じ明日が必ずあるとは限らない。
本当に大切なものは目には見えないから、私の心が感じたことを忘備録として残します。

2023年は今までの私の人生で、一番たいへんな年でした。

最低最悪な一年でした。


2023年1月

まだ、この一年が私たち家族にとって

どんな恐ろしい年になるのかまだ知らなかった時

お正月はかろうじて何事もなく過ごせたように思います


でもこの時は既に必要以上の異常な買い物が始まっていました。


この時はまだ、私も息子が薬の依存症だとは思ってはいませんでした。

処方薬の乱用だと思っていました

今考えたら、それ自体も恐ろしいことでした。

なのに、この時の私は馬鹿で無知で、

急に変わってしまった息子を前にして、ただ狼狽えているだけでした。


まだ私は「依存症」がどういうものか?

とか、依存症の本当の恐ろしさを知りませんでした。

理解出来ていなかった。


そして、心療内科とメンタルクリニックの2ヶ所から処方された薬は、全て息子が隠し持っていたので、私はどんな薬をどれくらい飲んでいるのかさえ分かりませんでした。


薬の乱用について注意すると、異常に反応しました。

その異常さが怖くてそれ以上は言えませんでした。

そして、薬が少なくなって来たらすごく不安がりました。

決まった量よりも沢山飲んでるんだから、当然、次の診察日よりも先に薬がなくなります。

そして診察日には自分が希望するように、薬を増やして貰えなかったらすごく不機嫌になりました。


薬の乱用が始まってすぐに、息子の感情の起伏が大きくなりました。

そしてこの頃から自傷行為も激しくなってきました。


暗い顔してる時もあれば、楽しそうにギターを弾いている。

普通に話が出来る時も時々ありました。


そして何かで怒りのスィッチが入ると、急に暴れだします。

一度スィッチが入ってしまうと、もう自分でも感情コントロールが出来なくなってしまうみたいでした。


とことん感情のエネルギーを爆発させてしまうまで物を壊しました。

この時はまだ自分の物が破壊の対象でした。

その時の破壊対象は、だいたいいつも何故か自分の大切なギターでした。


私や家族には他害はありませんでした。


しかし、息子が別人格になって暴れるのが、ただただ私は怖かった。


ギターを床に叩きつけたり、踏んだり蹴ったりする時の大きな音に怯えていました。


その時の事がトラウマになり、私は今でも少し大きな音がすると、あの時のことを思い出して恐怖が蘇ります。

ちょっとした音にも敏感になってしまいました。

それが始まると私は家から逃げました

玄関と車にはいつでも避難できるように、貴重品やコートなどの防寒着とかを纏めて置いていました。


こんな事が何回か繰り返されました

今思えば、もっと早く警察に電話とかすれば良かったのに…

でも、まだその時は私にはそれはできませんでした。


だんだんエスカレートしていく暴れ方に

心身共に疲れてしまって、もう駄目だと思いました。


考えた末、1月の終わりに息子が通院している心療内科に夫と二人で相談に行きました。

そして彼の現状を訴えて、然るべき病院への入院をお願いしました。


先生はすぐに状況を理解してくれました

そして、精神医療センターへの入院手続きを

して貰いました。


今までで一番長く感じた辛い1ヶ月でした