前回の続きの話です。
下巻のある章に「音楽」というタイトルの章がありましたので、まずはそこの感想から。
音楽とは、もちろん音、波長、振動なわけで、媒体に共鳴して結果的に心や身体をヒーリングするわけですから、わかりやすい媒介です。
演奏者はもちろん、その音が発せられる場所(ホール)、聴衆などもそのバイブレーションを形成する役割を担っているのだそうです。
もちろん、それら三者がいずれも普遍意識に近い意識レベル、それに至りやすい条件(波動の高い場所、演奏者に好意的である、感受性に優れているなど)が整っていれば、素晴らしい演奏になるわけです。
これは意図してできるものではないですね。
聴衆が一人でも違う人だったら、演奏も変わってくるって言われたら、聴衆も責任重大
著者も、コンサートで実際に演奏によって波動が変わる経験をされているそうですが、
私もコンサートを聴いている時に意識が別の所に飛んだことは何度かあります(居眠りじゃないよ…)。
フルート四重奏で、水の中で泡が螺旋を描くように動いているイメージがバーンと出てきたり、
ベートヴェンの第九の4楽章(合唱部分)を聞いてたら「目覚めよ!目覚めよ!」って言われている気がしたり(そんな歌詞はないのです)、
とある海外オケの来日公演にて、交響曲の佳境に入った時、時間がスローモーションのようになって、舞台上に自分の視界がズームインしていくような感覚になったり、
その時は、「何だろこれ」と思っただけですが、
「こういうことだったんだ」
と本を読んで腑に落ちました。
肝腎なのは奏者がプロとかアマとかは関係ないってことですね。
もちろん、プロはその場の空気を一気に変える力量がありますし、それはすごいんですよ。
著者は「作曲者の意図通りに演奏することもあんまり意味がない」と一刀両断
作曲者すら顕在意識では意図していないことが、演奏者のレベルに応じて表現されることもあるんですね。
だから、指揮者や奏者によって、表現の仕方も千差万別。同じ指揮者や奏者でも日によって変わります。同じ演奏は二度とありません。
録音されていたとしても、生演奏とも違いますしね~。
逆に録音でもすごいと思う演奏は生で聞いてみたかったなと思いますが。
「オーケストレーションが下手くそだ」と言われる作曲家(例えばシュー〇ン)もいますが、奏者がそのレベルに達していないだけだろう・・・などと私は思います。