夜の第三部分
  監督 : アンジェイ・ズラウスキー

  製作 : ポーランド
  作年 : 1972年
  出演 : レシェック・テレシンスキ / マウゴジャータ・ブラウネック / ヤン・ノビツキ

 

 

アンジェイ・ズラウスキー 『夜の第三部分』 マウゴジャータ・ブラウネック

 

やがて<連帯>へと噴き出すことになる共産主義体制下のポーランドの圧政を当然ながらそのまま描き出すことなど当のポーランドにあってできようはずもありません。秘密警察が跋扈しひとびとの囁き交わす生活の隅々にスパイと罠を張り巡らせて(それでも抵抗運動を組み上げようとするひとたちを投獄し拷問して)天が重く垂れ込めるなか就職も覚束なく食うや食わずの足許に配給切符を求めて這いずり回るいまをいまとして描けないとすれば、誰憚ることない故国受難の時代、1940年代のナチス占領期に舞台を移します。主人公は何とも謎めいた妻と小さな子供を連れて父の別荘に病み上がりにまだ足許もふらつくその保養に来ています。父が妻を快く思っていないのはあからさまで(ただこのひとが身につけた旧い教養が嫌悪を忍従させ自分が時代の旧きに掃き寄せられていることも承知していてそういう物分かりが却って頑固より頑迷に妻を拒否して)、何せ初婚の息子に妻はそもそも夫のあった身でありその然中に子供ができるような関係に陥った何とも混濁した関係が父を怯ませます。父が怯えるように確かに彼女は何か破滅的なものを齎す存在であって冒頭、灰色の昼下がりに別荘の窓辺に立つ彼女は「ヨハネの黙示録」を朗読して世界に災厄を降り注ぐ七つのラッパの天使の到来を告げます。まるでそれに呼び寄せられたかの如くナチスの秘密警察が馬上のまま家に押し入って妻を薙ぎ倒すと母、息子と呆気ないほどの(そう罪意識が形になるよりも早く)殺戮に串刺しにして去っていきます。それをただ息を潜めて見ているしかなかった主人公は妻子を失ったやり場のなさをレジスタンスに身を投じることで穴埋めしようとしますが、早くも秘密警察に追い詰められると逃げ込んだ先で妻と瓜二つの人妻と知り合います。弥が上にも妻との馴れ初めを思い起こさせることになり、直線であったはずの時間は折り重なり反復して出口のない、死のみがバタバタと積み重なる気怠い時間の地下道へと押し出されます。同じ時代に反ユダヤ主義を絶叫するルイ=フェルディナンド・セリーヌがその評論の名を『虫けらどもをひねりつぶせ』にしたようにしばしば迫害者は彼らの憎む民族をノミやシラミ、要するにうじゃうじゃといて無差別に増殖し寄生して血を吸い続けるものに表象したがるものです。皮肉なことに主人公の生活を支えるのがチフスのワクチン開発のために自らの肉体を吸わせ続けているシラミです。いまや被占領国民は秘密警察にひねりつぶされる<シラミ>でありそのシラミに自分の血を吸わせてワクチンを生み出すという捻りはワクチン開発者が言うようにシラミはワクチンの母であり主人公は自分の母親の乳母であるという倒錯的な希望(のなさ)なのであってそれこそポーランドのその時代、昨日が今日の先にある夜明けという気がします。

 

 

 

アンジェイ・ズラウスキー 『夜の第三部分』 マウゴジャータ・ブラウネック

 

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アンジェイ・ズラウスキー 『夜の第三部分』 レシェック・テレシンスキ

 

アンジェイ・ズラウスキー 『夜の第三部分』 レシェック・テレシンスキ

 

アンジェイ・ズラウスキー 『夜の第三部分』 レシェック・テレシンスキ

 

アンジェイ・ズラウスキー『夜の第三部分』 マウゴジャータ・ブラウネック レシェック・テレシンスキ

 

アンジェイ・ズラウスキー 『夜の第三部分』 レシェック・テレシンスキ

 

 

 

 

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