映画(20と)ひとつ、エルマンノ・オルミ監督『楽園からの旅人』
  監督 : エルマンノ・オルミ
  製作 : イタリア

  作年 : 2011年
  出演 : マイケル・ロンズデール / ルトガー・ハウアー / アレッサンドロ・アベル

 

 

エルマンノ・オルミ 楽園からの旅人


大きな予算の映画ではないでしょう、ロマネスク様式を思わせる石を上に上に積み上げていった重さが暗さのなかに喘いでいるそんな教会をいくつかのセットに組んで90分ほどの映画はそのなかで織りなされます。結末はここに集った面々がそれぞれ教会をあとにする押し開かれた扉の向こうに待ち受けるものに映画自身が直面しつつ終わりを告げますが、それにしても老いた神父の嘆きの声が内陣の天につづく垂直な浄らかさに縋りついています。その祈りは彼に迫っているものにあまりに無力に、まさに信仰というものの危うい刃を踏み渡るような心地に更にも神の慈悲を讃えずにはいられませんが身廊にはつららく長椅子があるだけで聴衆はひとりもいません。イエスの身体を磔刑から引き下ろし掻き抱いだときのようなこの世の冷たさが教会の石づくりを凍らせているのです。やがて神父の声を叩きつけるように正面の扉が開けられると押し入ってくるのは作業着に取り揃った一団で物言わぬ彼らの、まるで棟梁のように中央を進んでくるのがバッタのように脚を折り畳んだしおらしいクレーン車です。(この騒々しさに聖俗の分厚い境界が一気に突き破られ見えない叫喚のような世俗の風が教会の内壁に絡みついていって)クレーン車が本来の横暴な手足を伸ばして上へ上へと伸びていくとそこには天上から見守るイエスの像があります。いやイエスに限らず教会を救いと典礼で守ってきたさまざまな装飾がいまや骨董品か無神論者のインテリアになるべく作業員たちに慎重な持ち運ばれていきます。そうです、教区は破綻したのです。金目のものは何もなくなって(そう神父の手には土産物にでも売られているような磔刑とそれに身を寄せる聖母たちの小さな小さな焼き物がいまでは彼の祈りを一手に引き受けていて)明日にも電気が止められるという夜、この教会に示し合わせたように続々と黒人たちが忍び入ります、音もなく闇に身を溶け込ませて。ヨーロッパに活路を見出そうと命からがら国境という荒波をくぐり抜けた彼らは密入国の次の輸送手順まで身を潜める場所を探していて、それというのも勿論当局の取り締まりを逃れねばなりませんが耳を澄ませば(いや澄まさずとも)夜の漆黒に住人たちの不安がとぐろを巻いて自動小銃の連射が間を置いては打ち鳴らされております、逃げても逃げても追ってくる容赦ない殺戮の手が文明と人権を謳った(まさに憧憬の)このヨーロッパで自分たちをむしゃぶり掴もうとしているのです。いまや小指ほどのイエスに見守られたこのがらんどうの石の壁は(司教からも見放されて)さて教会なのかどうか、しかし教会とは何か侵入した密入国者を前に神父は改めて自分に突きつけることでしょう。すでにこの国の技師にして密入国の支援を続ける精悍な黒人青年、治療のために教会の現状に足を踏み入れた医師は強制収容所を生きた過去に信仰を捨てながら捨て切れなかった何かを密入国者のその場限りに置かれた命に問い直します。勿論密入国者の多くはあえかな暮らしを叶えたいだけですが危難を潜ってきた過酷さを爆裂のダイナマイトで表明しようなどいう(まさに造反有理の)不穏な輩も当然入り混じっていて... しかしどうあれ夜は明けねばなりません。

 

 

 

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