もう随分前ですが、菅原文太、梅宮辰夫、山城新伍、それに松方弘樹がいたかどうか、(そのうちもう三人が亡くなってるんですね、ほんと淋しいかぎりですが)、テレビの番組で水割り片手に東映時代の思い出話になります。はばかりのあることも多いでしょうし、どっしりと落ち着いていますが菅原はバラエティ番組の常連でもありませんから、なかなか口が重いんです。その彼が役者のひとりに生意気なのがいて皆で〆ようとしたことがあったなと言い出します。あったあったと梅宮たちも笑っています。皆でのしちゃおうってことになって夜中にそいつを呼び出したら、そんなかの誰かがあいつはたしか空手の達人ですよって言い出して、わぁーって逃げたよな。番組では名前は出ませんでしたが、これを聞いていた視聴者は(まあ私がということですが)生意気というこの俳優に杉良太郎を思い浮かべたように思います。まあいまならばそれが待田京介だとわかるんですが。(だいたいこの話の時分は杉は日活ですものね。)ただ杉も殺陣に合気道を取り入れて容赦のない投げや足払いを見せていましたし生意気というところも何ともはや。ということで今回は杉良太郎を少々。

伊藤雄之助の『大根役者 初代文句いうの助』(朝日書店 1968.4)は業界の裏話を披露するような役者本とははっきり一線を画した芝居を巡る芸談であり、歌舞伎の世界からいびり出され蹴り出された苦難を役者として生き抜いていく一代記であり、本物でない芝居がまかり通っていることへの警世の書です。この本に杉の名前が出てきます。伊藤はテレビドラマでは(VTRですから)撮影が終わるとすぐに上のブースに駆け上りいま撮ったところを見せて貰って自分の芝居を必ず確認すると言います。誰もそんなことをしていなかったのが、伊藤の姿勢を見て翌日からは杉も一緒に上って確認するようになったと満更でもない口ぶりでしたから、まさに初代文句いうの助のおメガネに叶ったわけです。

長谷川一夫と杉の交際のことを知ったのは林成年の『父・長谷川一夫の大いなる遺産』(講談社 1985.7)のなかです。もともと林と杉が親友であったところに映画界から身を引いたあと舞台に活動を移していた長谷川が控えめに杉への助言を口にしたことで(杉もさっそくそれを自分の芝居に取り入れて)以降ふたりの間に真率な敬愛が生まれます。(まあどうでもいいことですが、林成年は大映の俳優でしたから大映の、とりわけ長谷川が大映にいた頃の映画にいくらでも出ているのに私が初めて彼を知ったのは大林宣彦監督の『廃市』です。死んだような水郷の町の、美しい姉妹(とは言っても根岸季衣と小林聡美ですがそれがまた世の中とは隔絶した旧家のリアリティを醸していて)その間でさ迷うのが姉の夫である峰岸徹。祭の素人歌舞伎に出た峰岸の横で同じく白粉を落としている風格のある壮年の男が林で、このもつれた恋愛と義理立てのことを勿論知りつつ形にならない悲嘆を呑み込んでいる感じが伝わります。この映画はのちに林海象などにも受け継がれたギャランティーの分配方式を採っていて出演料などを払わない代わりに上映がある度にその売上をスタッフ出演者にそれぞれ割り振られたパーセントで支払っていくというもので私が見たのもそんな小さな上映会のひとつでした。まあそれはともかく)長谷川一夫とのつながりを聞いて、私には役者としての杉の輪郭が浮かんできたように思いました。

杉良太郎にまつわる最後の話は内田良平『乙姫様の玉手箱』(潮出版社 1984.12)にあります。テレビの杉の当たり役のひとつ、遠山の金さんを舞台に移したお芝居に内田も出演しています。ただ内田は思わぬ病のために一度降板し、命に関わる大手術をしたあと復帰してきた体です。内田ですから根は善人だが世の中からあぶれてしまったような境遇にある役どころ、仮に無実の罪に問われているひとのその無実の目撃者であってもそうやすやすと奉行所に出向くのは憚りのある身。しかしそのひとのことを思うと根っこの善人がいても立ってもいられず、わが身を顧みずお白洲に駆け込んでくる。(と見てきたようなことを書いていますが役柄についてはまったく失念しておりまして、私の大幅な加筆です。)最後は桜吹雪で悪人をきりきり舞いさせて一見落着、そのあとのことです。白洲に控えている内田に向かってお奉行様が語りかけます、大病を乗り越えてよくぞここまで参ってくれた、遠山心より礼を申すぞと杉がアドリブで内田の復帰をねぎらい満場の拍手が内田に送られます。そのことをいまふたたび書く内田の筆も杉への感謝に溢れていましたが、内田良平を大いに贔屓にする私としても杉の思いやりに思わず手を合わせたくなったひとくさりでありました。